たとえば、自分の行きたい方向、生きたい方向、良いと思う事悪いと思う事…これすべて「自分の思い」なわけで、第三者から「そうじゃないよ」とか「違うんじゃないの」とか言われても「お前の方向が違ってんじゃねーの」って思えてた頃は、それが正しいし、例え間違っていても「若さ」とか「らしさ」で踏み倒してこれた。
だがしかし、「違うんじゃないの」と言われて「そうかもしれないなぁ〜」なんて受け入れ始めると、さぁ大変。相手が「思いを込めた言葉」なのか「思い付きの言葉」なのかは別に「自分は間違ってたんじゃないか」なんつう思いに墜落してしまうと、出口さえ見えなくなる。 「お前も丸くなったね」って言われて、「俺も40だからね」まではいいんだけど、「愛想笑い」っちゅうのがどうもうまくできないし、上手な奴は逆に鼻につく!これって嫉妬か!?「俺らしく」の「俺」にいつまで迷ってるのやら…
この春の嵐の日に。
…傘壊れた。
だがしかし、「違うんじゃないの」と言われて「そうかもしれないなぁ〜」なんて受け入れ始めると、さぁ大変。相手が「思いを込めた言葉」なのか「思い付きの言葉」なのかは別に「自分は間違ってたんじゃないか」なんつう思いに墜落してしまうと、出口さえ見えなくなる。 「お前も丸くなったね」って言われて、「俺も40だからね」まではいいんだけど、「愛想笑い」っちゅうのがどうもうまくできないし、上手な奴は逆に鼻につく!これって嫉妬か!?「俺らしく」の「俺」にいつまで迷ってるのやら…
この春の嵐の日に。
…傘壊れた。
コメント (2) |
トラックバック (0) |










