津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

■文久二年という年

2017-07-10 09:20:48 | 史料

 この文書は家老・長岡監物が家老職を辞したいとする願出書(案文)である。監物とは米田家11代の是豪(これひで)の事である。
是豪の父・是容(これかた)は実学をもって藩政改革に勤めたが、守旧派学校党の筆頭家老松井佐渡の抵抗もあって職を辞している。
実学派で是容と袂を分かった一方の雄・横井小楠は越前藩・松平春嶽に認められて国事に奔走している時期である。
但し、この年文久2年12月19日吉田らと飲食中暴漢に襲われ遁走する事件を起こしている。
幕末期の混乱した世上の中での、この辞職願はいささか含みあるものではないのかと私は勘繰ったりした。
熊本藩年表稿によるとこの願出の詳細な日にちは判らないが、閏八月のこととする。病気が快気したのか同年11月11日是豪は家老職に復任している。
時世がそれを求めたのであろう。

   1:04 宮部鼎蔵ら形勢探索の為熊本発、2月5日帰国
   1:18 小国郡代・荻角兵衛自刃す
   2:05 木村哲太(万延元年遣米使節に随行)死去・34歳
   2:24 藩主慶順(韶邦)江戸発、4月1日熊本着
   4:27 藩主、朝幕に対する心事、又藩内人心動乱について告諭、家老以下謹慎す
   5:06 在府本藩家老は、長岡護美の出府がもし公武合体の周旋のためであるならば、暫くその期を延ばすよう藩政府に通牒す
   6月  幕府、諸侯の妻子国許へ引取勝手次第とす
   7:01 井口呈助、熊谷嘉左衛門に対し、薩長の公武斡旋に関する観察および藩内松井・米田両派の分争に関する意見を述ぶ
   7:06 横井平四郎、再び越藩に召される
   7:08 横井平四郎、幕吏大久保忠寛に諸侯の参勤を述職に易え、其室家を国に帰し、かつその固場を免ずべしとの三策を献策す
   7:17 横井平四郎、慶喜・春嶽起用後の幕府の状況を吉田平之助に告ぐ
   8:27 横井平四郎、幕府大監岡部長常を訪ね時事を論ず、その論大いに幕廷を動かし、横井登用さる
   8:28 大久保忠寛、横井平四郎に春嶽も速やかに出仕せんことを慫慂
  閏8:06 鍋島閑叟、内勅降下に関し、慶順の意向を問う   (鍋島閑叟は慶順弟・護久夫人宏子の実父)   
  閏8:18 横井平四郎、幕府の登用を固辞す 
  閏8:19 横井平四郎、一橋慶喜に謁し時局を意見、将軍の上洛の必要を説く
  閏8:22 幕府、諸侯参勤の期を緩め、且つ妻子の就国を許し、其の他行装、服色、貢物等の制度を改む
    同月 家老長岡監物、退任
   9:25 長岡刑部、内勅奉承の答礼使として上京す
    同月 国家周旋の儀につき、一条様より直書到来     

  10:06 山田十郎・佐々淳次郎相伴って、国老小笠原備前を訪う、これより本藩の勤皇家二派に分裂す
  11:01 住江甚兵衛・魚住源次兵衛上京命ぜらる
  11:11 長岡監物、家老に復任す
  11:13 長岡護美熊本発、12月5日京都着、京都警衛
  12:03 横井平四郎、攘夷実行に関し三策を幕府に建白す
  12:14 朝廷、長岡監物の上京を促さる
  12:17 宮部鼎蔵等、伏見より淀川を初め大坂川口海岸地理視察として出張を命ぜらる
  12:18 顕光院および鳳台院江戸を発し、2月16日熊本着
  12:19 吉田平之助・都築四郎・横井平四郎暴漢に襲われる
  12:22 慶順室江戸発、2月18日熊本着
  12:23 慶順、長岡監物を従えて上京す 
 

  

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