加藤清正息女にして紀伊大納言頼宣夫人搖林院(あま姫又八十姫)が、寛文六年の今日亡くなった。疱瘡だと伝えられている。
熊本在住の歴史研究家・福田正秀氏により、その生母は水野忠重(徳川家康生母お大の方の弟)息女・清浄院であることが、その著・加藤清正「妻子」の研究で明らかにされたのは2007年のことである。
永い間玉目丹波守の息女・正應院の女とされてきたが、福田氏と共著者水野家現当主・勝之氏の共同研究の成果は、誤り伝えられてきた加藤家の歴史に正当な光をあてた。
加藤清正息女にして紀伊大納言頼宣夫人搖林院(あま姫又八十姫)が、寛文六年の今日亡くなった。疱瘡だと伝えられている。
熊本在住の歴史研究家・福田正秀氏により、その生母は水野忠重(徳川家康生母お大の方の弟)息女・清浄院であることが、その著・加藤清正「妻子」の研究で明らかにされたのは2007年のことである。
永い間玉目丹波守の息女・正應院の女とされてきたが、福田氏と共著者水野家現当主・勝之氏の共同研究の成果は、誤り伝えられてきた加藤家の歴史に正当な光をあてた。