津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

■九州御動座記(ニ・2)還御

2017-05-06 07:11:13 | 史料

六月七日
一筑前国箱崎迄被成御帰坐候
  但此所ニ数日御逗留被成日向口へ被指向候毛利家其外諸軍勢被為洩付候。其中ニ立花左衛門尉ニ御渡候事。立花
  の要害ハ博田より三里在之。右の箱崎御逗留之中ニ毛利右馬頭有帰陣。御礼被申上候而御供ニ而七月二日ニ関戸 
  迄還御候。翌日三日ハ御休息ニ而毛利殿御成ヲ被申上山海珍物難筆尽候。重代の御太刀幷御馬以下数ヲつくし進
  上被申候。従上様御馬・太刀其外ニ御身ヲ不被数小長光光忠と云御秘蔵之御腰物被下候間毛利家衆流感涙候事此
  時ニ候。殊更小早川ニハ筑前・筑後両国を被宛行候。今迄の中国其儘無相違候。毛利忝かり候事尤ことはりに候
七月十日
一備前岡山まて還御なり
  但此所姫君様御迎ニ御坐候而種々様々の御馳走ニ付而中一日御逗留。同十二日ニ夜通ニ片上まて御還御候て其よ
  り御舟ニ被召同十四日巳尅ニ至大坂御帰坐候。上下万民ノ喜悦不可勝計候。海陸共ニ御迎の舟車立鳥も足を可休
  やう無之候。中々御推量ニ而御合点不可参候間不能具候。然者来廿五六日ニ可為御上洛の由候。聚楽へ御屋敷ニ
  候。京中の貴賤門前ニ市をなすへき事案ニ中候
  右是迄ハ上様御上下の次第及見候通如此候。又豊後口より日向表ヘハ中納言殿御働候。其次第ハ相隔遠境ニ而様
  子不慥候。不及書験候
一上様と中納言様二手ニ御手遣候。上様ハ豊前より筑前・筑後・肥後・薩摩へ御乱入候
一中納言殿ハ豊前より豊後・日向・大隅・薩摩と御働候。日向口指向たる儀ニ付而先中納言殿の口へ修理大夫を始各
 馳向数箇度の一戦在之由候。彼等随分相支候処ニ上様中筋より御動坐の由承驚候て俄降参申之由候
一上様守護武士ニ而  
 丹波少将殿(羽柴秀勝)   丹後侍従殿(細川忠興)
 松嶋侍従殿(蒲生氏郷)   岐阜侍従殿(池田輝政)
 曽根侍従殿(稲葉典通)   若狭侍従殿(丹波長重)
 北庄侍従殿(堀 秀政)   東郷侍従殿(長谷川秀一)
 出羽守侍従殿        陸奥守侍従殿(佐々成政)
 越中侍従殿(前田利長)   木村常陸介殿(木村重茲)
  此外ニ二万石・三万石なミの顔ハ数を不知候間、名字ヲしるすニ不及候。五百千の人数侍ハ前備・後備とて御馬
  廻同前候事
   合拾万余騎       (義統)     (輝元)     (宇喜多秀家)             (継潤)
一中納言様ニ相随候武士ニて大友左兵衛佐を始毛利右馬頭方・備前少将殿・伊賀侍従殿・宮部善浄坊法印・黒田
  (孝高)    (家正)              (南条元続)
 官兵衛尉・蜂須賀阿波守・後藤左衛門大夫・伯耆南条。此外少々衆ハ数ニもあらす不及各験候
   合拾五万余騎
 都合ニ拾五万騎
 右雑兵共丗万騎ニ余候。然処ニ御動坐より還御迄一日片時も無懈怠御兵糧渡被下候儀先代ニ無其例。末代猶以難有
 題目也。心有者舌を巻候。以上


    御在陣中ニ各進上物 (略す)


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