津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

■二つの松笠菱紋

2017-06-14 07:31:07 | 家紋

 細川家家紋の紋形が綿考輯録に六ツ、藩譜採要に七ツ紹介されているがその違いが三ツある。
藩譜採要には「竹笹紋」があること、二つ目は後者にてっせん紋があること、最後は「松笠菱紋」のデザインが全く異なることである。
なぜ細川家の基本的資料でこういう違いがあるのかも疑問である。

         綿考輯録にある紋藩譜採要にある紋

 その「松笠菱紋」は築山家に下賜されたというが、そのいきさつは次のようである。
綿考輯録にはこの「松笠菱紋」について
「既に南朝の正平十年(1355)細川頼之、西岡・山崎表発向のとき、楠正儀夜討を懸、軍不意に起り、築山市正保俊一人を連、北嵯峨より帰洛之由、此時築山と鎧を着替、松笠菱の紋付たるを直にあたへ、子孫に伝ヘ候ハゝ御申候との事、築山か家記に有之、此時の感書も今以伝来致候、此砌は築山も公方御直参なり、殊に頼之の聟なり、右保俊より六代目市正俊方、藤孝君之御家士と成、松笠菱ハ代々の家紋に仕候、頼有君も松笠菱御付被成候」と記し、又御家譜抜書には「頼有公御譜中・・家之紋松笠菱代々用之」と記してる。
築山家系図には「弥十郎重俊(市正) 母細川頼之庶女・福」と記されている。

藩譜採要にある紋 
最近この紋が描かれた陣笠の写真の提供を受けたが、写真の公開は控えてほしいとのことであった。
黒漆に金で三つの家紋が描かれている大変珍しいものである。ある有料の家紋を紹介するサイトによると、「細川京兆家」(1)の家紋だと紹介しているが、よくよく観察すると提供を受けた陣笠にある紋形が微妙に違う。
四つ折り紙で紙きり細工をしたという感じがするが、穴の穿ち方が大変心地よいし、稜線が菱型とは言えども微妙に膨らんでいて奇麗である。是こそが真形だと密かに思っている。
泡坂妻夫氏の「家紋の話ー上絵師が語る紋章の美ー」を読んでいるが、残念ながら掲載されていない。御高説を伺えないものか、手紙を出してみようかと思いながら躊躇している。

綿考輯録にある紋
綿考輯録では全く趣の違う松笠菱紋を紹介している。
紋帳ではなかなか見受けられるものではないが、先の有料サイトでは「細川京兆家」(2)or 「細川勝元」 の家紋だとして紹介している。
細川勝元は右京大夫、唐名で京兆、ゆえに京兆家と呼ばれるのだが、(1)(2)をどう使い分けしていたのだろうか。


ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« ■細川家家臣・津田氏 | トップ | ■松寿庵先生・第241講 »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。