津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

■メモ・熊本の飢饉に関する記録・2

2017-05-14 16:22:30 | 史料

 古文書の常で年記がないが天保九年のものではないかとされる飢饉対策の達しである。(岡崎鴻吉著「熊本御城下の町人」から)

       近年不作相続き別して昨年来は凶作に付、当春作の規模次第には市在共に如何これあるべきや
       甚だ御気遣ひ遊され候。勿論精々手を詰め何れも咄合候儀をは思召上られ候へども、天災は計 
       り難く候間自然春作抔に腰を懸け居候ては相済み難く、役人申は先ず当年の処も不作と見放し
       其の覚悟にて金銭の貯よりも米穀の貯手厚くこれあり候様重畳申談し、仮令当年春明共に不作 
       たりとし市在難渋これなき様丈夫の御備これあり度思召上られ候右は大しらべの儀にはこれあ
       るべく候へども成るべきだけ至急に申談じ大略の見込にても聞召上けさせられ御発駕遊された 
       きとの儀御沙汰遊され候事
          二月
            右御意の趣松野匡殿聞取書写の由二月十八日町会所にて吉田鷹之允山代藤市より申され候事救
       飢御手当の儀は御仁政の先務に付御改正初、御年貢米の内を分け年々籾囲仰付られ村々よりも
       銘々奉り彌以て御備手厚く相成り候様専ら誘掖これあり候に付、一統其風旨を受け豪富の者は 
       寸志銭調達いたし、小前にても作徳米差出候に付村備等も追々手厚く相成り、其外文化以来は  
       四窮民御救恤の仕法も相立ち居り、子ノ年以来は不作、去秋の凶荒に到り候ても御救筋兎哉角
       取行はれ候事に付、然候処五ケ所町(熊本高瀬高橋川尻八代)の儀是迄右躰の備手薄、凶年に
       至り御蔵米願下げ御救売の仕法を仰ぎ追々取続け来候事にて、去年以来も右同様数月の間今以
       御救売仰付置かれ候通にて、第一は御蔵米の繰合せ差障り御難渋に相成候事に付、以往の儀は
       其儘閣き難く、此末万一自他打続の凶作にも至り候はゞ御手に及び兼なさるべく候に付、此段
       御別段御沙汰の趣別紙書取を以て相渡し候通にて、御深慮の程恐れ乍ら兎角申上げ難く誠に以
       て有り難き儀共に候。然し乍ら拙者共に於ては此節迄心得薄く等閑に押移り、先は天幸に因循
       いたし居り、重畳恐れ入り奉り候次第に付、因て精々申談候処御勝手繰甚以て御六ケ敷き折柄   
       別して去秋以来一統の凶作、就中東目(あがしめ)在皆無、日前莫大の御所務欠に相成り、彌
       以て御繰合せ必至差支へられ候砌に候へども、御救恤の御手当は屹と御仕法相立恐れ乍ら尊慮  
       を安んじ奉り候様に取計らはづては相済み難く、此度出格の御僉議を以て五ケ所町へ五百貫目   
       御救恤備として御出方仰付られ候間、取柄相当割合を以て配分あり候。併し聊かの儀にて限り
       ある員数に候へば下地の備へに取加へ、外に市中戸口に応じ産出仕法筋相立、備高年々相増候
       様これなく候ては永続致し難く候に付其取計らひ専用の事に候。日此節格別の御仁恵篤と感激
       し奉り村備等の事に向き合候様これあり度其外此国恩をも報ひ奉り度存年の者は銘々准分の寸
       志をも差し出し申すべく何れの道にも御備手厚相成り前条御仁意を拡充し奉り候様分職の各己 
       以其役筋々よりも精々示し方これあるべき事。

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