津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

■これぞ至福の時

2017-11-23 07:38:36 | 徒然

 あるお宅(N家)の御先祖探しの御手伝いをしている。手掛かりは「改正禄高等調」のみである。
図書館に出かけN姓のお宅数軒の史料を探すが完全一致しない。
250石という家禄を手掛かりに、このお宅に間違いないと目星をつけ先祖附を取得した。
その先祖附けを二日がかりで読み下しと並行してタイピングを完了した。■明治の改名で書いたお宅である。
先祖附の最後の当主は「吟之助」、改正禄高等調にある同時代の当主は「郡次」、同じお宅だという確信はあるのだが同一人物であるという確証がなければ何とも成らない。
先祖附を見ると何代かの当主が「郡兵衛」とか「郡右衛門」を名乗っておられる。
最後の当主吟之助殿が明治の改名にあたり、郡兵衛の名乗りが出来ないため郡次とされたのだろうと推理したのだが・・・

100%の確証は得られなかったが、まずは先祖附の原本(コピー)と釈文と共に、いささかの説明を手紙にしたためお送りすることにした。
封筒に表書きをしてこれ等の成果を入れ、いざ糊付けしようと思いながら今一度取り出して点検をしているうちに、N様から一枚のメモを預かったことに気づいた。
本当にうっかりしていた。ここに郡次殿の生没年が書かれていたのだ。改めて先祖附を眺めてみると、「嘉永四年(1851)七月十七歳ニ而」家督相続している。
そしてメモには天保七年(1836)十一月三日生まれとある。これで間違いない、吟之助殿=郡次殿である記述はないが、ほぼ確定と考えてよかろう。

嬉しさがはじけ、赤のボールペンで追伸の文を書き、お送りした。昨夕資料が届いた旨のご連絡をいただいたが、お喜びの御様子で声が弾んでおられるのが判る。
これぞまさしく私の至福の時である。Nさまも休日の今日ゆっくりご覧いただけることであろう。

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ■「ひ」と「し」の事 | トップ | ■田中加治馬殿 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

徒然」カテゴリの最新記事