津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

■熊本城下町図

2017-03-19 10:49:45 | 史料

                                                                 N君のレポートにある写真

 家紋が書き込まれた熊本城下地図の存在を知ったのは、史談会の若い友人N君が持ってきた一枚のコピーからだった。
30枚に分割撮影されたという写真の中に、全体像を知ることができる1枚があった。
出所はN君が一年以上にわたり整理に苦労したDr.T先生の遺品の中にあったらしい。
この写真をN君はDr.T先生の奥様のご実家I家の所蔵品であったろうと予想していた。そしてその予想は的中していた。
史談会のT女史がI家と親しくされており、お宅を訪問してN君のレポートをお見せすると、まさに現在でもI家で所蔵されており実物を拝見して興奮して電話をしてこられた。巨大な太軸物らしい。
写真撮影をお願いしお許しいただいたという。T女史の息子さんはプロの写真家、しかし東京在住で帰熊がいつになるのかわからない。
私はコピーさせて頂くことはできないかT女史に提案、T女史はI家を訪問して快諾を得られてそのままその太軸物を借りてこられたらしい。
そして今度はこれをコピー屋さんに持ち込み、A1紙(841×594)、横(842)二枚、縦(594)四枚の八分割コピーが出来上がった。
費用約8,000円、少々値が張るが一部をお願いしてこれが手元に届いた。八枚を糊でつなぎ合わせようかとも思うが、あまりに大きくなるので
分割の侭で所蔵することにした。
縦横2×1.6メートルほどの巨大なもので、嘉永期の熊本城下の様子が生き生きと記されている。
京都で作られているがこれだけのものだから、藩が依頼したものではなかろうか。
着色された実物をいつか拝見したいものだ。
 

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