津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

■高麗門護札ノ事

2017-05-17 18:22:14 | 史料

現在ヤフオクに出品されている高麗門の解体に関わる文書である。残念ながら解体された期日は記されていないが、細川護久によって「熊本城廃隳願」が提出されたのが明治三年九月九日であり、その許可を得て直ちに解体が始められたのであろうか?。
富田紘一先生の御著「古写真に探る 熊本城と城下町」をみると、まだ「高麗門」や「新三丁目御門」などが写された写真が紹介されている。
撮影された日時が判らないとされるが、写真中央にジェーンズ邸が見えることからジェーンズが熊本に赴任した明治4年8月以降撮影されたと推定されておられる。
とすると明治四年八月以降に解体が始まったということになる。護久の願いがいつ許可になったのか、ご存知の方はご教示給わりたい。
又、この文書が何方によって書かれたかも分からない。ただ無残にも壊されてゆく姿を目の前にして慨嘆している様が伺える。

        高麗門護札ノ事  矢倉・櫓門 矢間アリ 門ノ下往来也
      此門ハ熊本城ヲ距ル凢七丁餘申酉ノ方位ニ
      残タル當城外郭門ノ一個ニテ高麗門ノ称アルハ
      ■時文禄年間我カ兵朝鮮ヲ伐テ勝利凱
      陣ノ際加藤清正ノ持帰リタル護札ヲ打有シ
      然シテ明治維新大變変革ニ臨ミ同三庚午年
      旧藩主細川候藩知事在職中城郭廃隳
      儀ヲ當時ノ辨官迠請願シ玉ヒ聞届ニ十月シテ
      以テ先ツ高麗門如シノ外郭ヨリ解崩ニ成リ
      タル折̪シニ余其場へ通リ懸リシニ従来詰門
      (南向)西ノ柱ニ打付有シ大牘ハ彼国佛
      師ノ護札ニモ有ルベク竪二尺餘幅二寸斗リノ
      板ナル故木ハ年ヲ経成シ墨書ノ梵字ノミ
      高ク字体残リタルヲ従前頻々通行ノ節
      視過キテ全文ヲ細見セシヿ無カリシカバ何
      タルヲ不知尤無用ノ贅物タルべケレ共三百年
      外ノ古物ナル故不朽ニ保存成シ置度解
      方関係ノ者へ照會セルモ札ノ有無サヘ  
      気付ザリシニ付紛失シテ尋ルニ道ナク尚古ノ 
      癖有ル予ニ於テ遺憾斯ナカラズ依テ該 
      門九ノ概略ヲ記シ併セテ清正公ノ偉功ヲ 
      構成ニ傳フ
                  此櫓ノ下往来
      ■今高麗門門町ト云有リ 石垣高
                  雨露ニ晒ス故石・・・

                                                        



            この護札無くなってしまったのだろうか?



ジャンル:
きいて!きいて!
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« ■家老職三度 | トップ | ■松寿庵先生・第237講 »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。