かっての妙解寺全域の図である、二つの川(井芹川・坪井川)に囲まれた建物は塔頭臨流庵、左手の二つの建物は左手・智照院、右手が寶光院(天岸和尚亡母寶光院のお墓)である。智照院の裏手の一段高い場所にあった光尚の弟・細川尚房一族のお墓は、JR九州の新幹線建設に先立ち調査が行われた。
井芹川に架かる橋や正門の四脚門は現在もこの絵図のままである。現在は北岡自然公園として市民の憩いの場となっているが、かっては安国寺側に入場門があったが、現在は閉じられたこの門は昭和30年水前寺の神水苑(刑部家下屋敷跡)から移設されたものである。
図の中央右寄りに見える大きな建物が、廃藩置県後細川家はここに移り住み「北岡邸」とよんだ建物である。昭和20年7月3日の熊本の空襲で焼失したが、幸いにも藩政史料が納められていた御蔵は焼け残り、永青文庫史料として熊本大学に寄託されている。
木下 韡村日記を読んでいて「臨流庵」にであい、何だろうと思って検索したら貴兄のブログがヒットしました。細川家に関することは何でもお調べなんですね。表敬意。
臨流の意味も合点がいきました。「流」とは坪井川、威芹川の事ですね。
韡村日記嘉永5年7月25日の条に「於臨流庵詩文会」とあります。
韡村日記の解読を手伝ってくれないかという話が舞い込んできたことが有りましたが、すでに活動されているのでしょうか。大御所ばかりではないかと思い、単なる歴史馬鹿の私は足がすくんでいます。