熊本藩年表稿の天明二年九月の項に「合志郡久米村での死者、葬儀の折よみがえる、以後葬儀は時刻を考えること(藩法899)」とある。
誠に不思議な話でずっと頭に残っていたが、最近その詳細を知ることができた。
天明三年の飢饉についていろいろ調べている中で、「熊本藩町政史料」のなかにこれに関する記述があった。ただしこの事件は飢饉とは無縁の話である。
病死の者、二日二夜之内ニハよみかえり候もの稀ニ有之事ニ候、既ニ此度、合志郡久米村之者、五十
四歳之男、大病相煩候処、先月晦日之暁致病死、翌朔日之夜葬候節ニ至りよみかえり、追々服薬等ニ
て弥養生ニ相成候、然処下方之風俗ニて病死之者早速不取置候ヘハ、其家ハ不及申、脇々よりも不埒
之様ニ相唱候処よりしきりに差急候儀、甚心得違之事ニ候条、以来取置不差急、時刻を考葬候様可被
示置旨候、此段懸り々々へ可有通達候、以上
九月廿六日 町方根取中
近代でもこんな話を聞くこともあるが、古今稀なる話ではある。まずは一件落着。