津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

■上妻文庫・書写版「おあむ物語」

2017-07-14 09:20:21 | 史料

 先にご紹介した「おあむ物語」は、熊本県立図書館所蔵の上妻文庫の書写版である。
内容が少々違う旨のご連絡をいただき、一部修正してご紹介したが、その後内容を詳細に読んでみたところ、WEBで紹介されいるものや、岩波文庫の「雑兵物語・おあむ物語」の読み下しとは随分異なっていることが判明した。
先にも記したが上妻文庫の「おあむ物語」は引用元が明らかにされていない。大意はとらえているが相当の差異が認められる。
そこで「上妻文庫・書写版ーおあむ物語」としての読み下し文をご紹介申し上げる。
読み違いなどあるかと思われるが、ご指摘ご叱責を給わりたい。

(おあむ物語
子どもあつまりて)

おあん様。むかし物語りなされませといへハ
おれが親仁ハ山田去暦といふて石田治部少
輔殿に奉公して近江国彦根に居られ
たか其後治部殿むほんの時美濃国大
垣の城に我等も罷りて不思議な事
かおじやつたよふ 夜の九ツ時分誰ともなく
男女三十人程の聲夜々しておしやた
おとましや/\おそろしうおじやつた 其
後 家康公様より攻衆大勢城へむか
はれて戦か夜昼おじやた程に其
よせ手の大将ハ田中兵部殿と申しておじ
やる 石火矢をうつ時ハ城の近所を触廻
りておじやつた。それはなぜならハ石火
矢をうては櫓もゆるる動き地もさけ
るやうにすさまじしいさかいに気の弱き
婦人抔ハ即時に目をまハし難儀する
夫故に前かたに触て置た物しや 其ふ
れがかあれハ光り物かして雷の鳴をまつ

やうに心地しておしやつた 初の程ハ活た
こヽちもなく唯物おそろしくこわやとは
かりわれ人おもふたか後々ハなんともおじやるも
のじやない 我々も天守に居て
鉄鉋玉を鋳ました 又味方へとつる
首を天守へ集めて夫々小札を付て
覚え置さい/\首におはぐろを付て
おじやる それはなぜならハ昔ハおはぐろ
をつけた首ハよろしき人とて賞翫
す 夫故白歯の首ハおはぐろ付て
給れと頼まれておじやつた 首もこわひ物
てハおりない其首共の血臭ひ中に寝タ
事もおじやつた 或日寄手より鉄鉋打
かけて今日ハ城も落候半と申す 事の外騒
ひた事でおじやつた 其處へ長人来
て 敵ハ皆々しさりました 最はやおさ
わぎなされもすなしづまり給へと
いふ處へ鉄鉋の玉来りて我等弟十四 

歳になりし者へあたりて其侭ひり
/\として死ておじやつた 扨々むごい事
を見ておじやつたのふ 其日我親仁の持
口へ矢の来りて去暦事ハ家康公さま
御手習の御師匠と申された訳の
ある者じや程に城を遁れたくハ御助
あるべし 何方へなりとも落候へ 路次
のわづらひも有まじ そのよし諸手へ仰
置たとの事でおじやつた 城ハ翌日中攻落さるゝとて皆/\力を落し
我等も翌日ハうしなはれ候半と心細く
成ておじやつた 親仁ひそかに天守へ参
られて 此方へ来ひとて母人我等もつ
れて北の塀脇ゟ梯を掛て釣縄にて
下へ其人数ハ親たち二人わらハと長二
人計其外家来ハその侭にておじやつた
城を放て五六町程北へ行し比母人
俄ニ腹痛て娘を産たまうた 長人其

時田の水にて産湯をつかひ引揚て
つまにつゝみ母人を親仁肩ニ掛て青
野が原の方へ落ておじやつた 怖ひ事
ておしやつたのう 昔かふ/\南無阿ミた/\
又子供彦根の咄しなされませといへば
おれが親仁知行三百石取ておられた
其時分ハ軍か多くて何事も不自由な
事でおじやつた 勿論用意ハ面々
たくはへもあれども朝夕ぞふすいを
たべておじやつた おれが兄様折々
山へ鉄鉋打に参られた 其時ニ朝めし
を焚て昼飯にも持れた 其時我等
も菜めしをもらうてたべておじやつた
故兄さまをさひ/\すゝめて鉄鉋打に
行とあれば嬉くてならなんだ 扨
衣類もなくおれが十三の時手作の花
染の帷子一ツあるより外になし一ツの
かたびらを十七の年まで着たるによ 

つてすねが出てなんぎにあつた せめ
てすねのかくれるほどの帷子一ツほし
やと思ふたか此よふに昔は物事不自由ナ
事でおじやつた 又めしなと喰といふ
事もなかつた 今時の若ひものハ衣類
の物数寄ニ心を懸て金銀をつひ
やし喰物に色/\の好事めさる
沙汰の限な事とて(此處虫喰)彦根の事
をいふて叱り給ふ故に後々ハ子供等
名を彦根婆といヽし 今も老人
昔の事を引て當世にを示をハひこ
ねをいふと俗説に云ハ此人より始
し事なり 夫故他国の物にハ通ぜず。御
国において可語
右去暦土州親類方へ下り(ムシクイ)山田
喜助後に蛹也と号盲となりお安
ハ雨森儀右衛門へ嫁す 儀右衛門死て後
(ムシクイ)養育となり喜助為にハ叔母 

なり 寛文年齢八十余にて卒す
予其頃ハ九歳にして右の物語を折
/\聞覚て記たり 誠に光陰は矢の
ことしとかや 正徳の比ハ予すで孫共を集
世の中の費を示すをハこざかしき
孫共昔のおあんハ彦根ばゝと今の父
さまは彦根父さまよ 何をハおじやるぞ
世ハ時々じやものをとて鼻にてあ
しらふ故腹も立とも後世おそるべし
又後世いかならん 孫ともまた己か孫
と計にさみせられんと後にハ南まい
だ/\ゟ外にいふべきハなしかしく
右一通之事実勝之筆取なり。誰
人の録せる類や不詳うたかふらくハ
山田氏の覚書なるへし。田中又右衛門
(ムシクイ)直の所持を(ムシクイ)書出叓
尓之。


 享保十五年庚戌三月廿七日 谷垣守

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