津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

■雲か山か呉か越か・・頼山陽、来熊

2017-08-23 08:12:52 | 徒然

 文政元年八月の今日、頼山陽は長崎の茂木から出発天草の富岡に渡る予定が、海が荒れたため遠く大矢野に流され、その後千々岩を経てようやく富岡に入ったとされる。
有名な「泊天草洋」はその富岡の地で作られたものである。小学生のころ教えられてうろ覚えであるが、何度か口ずさんでいると記憶がよみがえってくる。

                泊天草洋 頼 山陽
                             ご  えつ
               雲耶山耶呉耶越   雲か山か呉か越か
                         すいてんほうふつ せいいっぱつ

               水天髣髴青一髪   水天髣髴  青一髪
                              はく     なだ

               万里泊舟天草洋   万里 舟を泊す天草の洋
                           ほうそう        ようや

               煙横蓬窓日漸没   煙は蓬窓に横たわって日漸く没す
                         べっけん     はかん おど

               瞥見大魚波間跳   瞥見す大魚の波間に跳るを
                         たいはく    あたりて 
               太白当船明似月   太白 船に当りて 明るきこと月に似たり


 また、一月余熊本で過ごした頼山陽は、熊本から竹田へ向かう際、遠くなる熊本城や杉並木越しに見える阿蘇の雄大さに感じ入って作った詩もなじみ深い。

               大道平々砥不如   大道平々砥もしかず 
               熊城東去総青蕪   熊城東に去されば総て青蕪       熊城=ゆうじょう=熊本城
               老杉爽路無他樹   老杉路を挟んで他樹無し 
               缺處時々見阿蘇   欠くる処時々阿蘇を見る

 

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