津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

■治年公ご逝去

2017-09-19 21:39:43 | 歴史

「細川治年」の画像検索結果 天明5年(1785)父重賢公の死去により家督したが、天明7年(1787)9月16日(実記は9月19日)に死去した。
享年30。わずか二年余の治世であった。
嫡男年和が幼かったため、室・揚台院(埴姫)の同母弟・宇土藩主立禮を養子とした。後の齊茲である。
年和を後継とすることが約束されていたが、年和・応五郎・浄丸等の男子が次々と亡くなり、齊茲の跡は嫡子齊樹が継ぐことになる。
忠利の血統は治年の死により断絶、忠利の父・忠興(三齋)が溺愛した立孝の子孫・宇土細川家の血統へと継がれていく。
細川家の歴史上、特筆すべきことである。

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■主夫

2017-09-19 15:56:24 | 徒然

 奥方の入院騒ぎで図書館から借りていた本の返却日が過ぎてしまった。
お叱りを受ける前に返却しようと出かけたら・・・休館日、昨日が祭日で月曜日だということをすっかり忘れていた。
熊本県立図書館は火曜日が休館日である。返却ポストに投入してむなしく帰る。
帰りに病院によって、「毎日洗濯やら買い物やら食事の心配やら、忙しくて仕方がない」とぼやいたら、「主婦の大変さが判るでしょう」とカウンターパンチを喰らってしまった。銀行に行ったり夕食の買い物に行ったり、すっかり主夫である。

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