新札幌礼拝堂の最新情報 主日礼拝 毎週日曜日 午前11時より

今日の礼拝堂の様子をお届けします。礼拝に来られなかった方たちと、遠くにいる友たちと恵みを分かち合うために。

1月22日「今日の礼拝堂」

2017年01月30日 | 今日の礼拝堂

顕現節第3主日

「今週の祈り:主なる神さま。あなたはみ子によって多くの人々を信仰に導き、栄光を顕されました。私たちにも信仰のたまものを与えみ子のように、すべての人々に喜びを伝えることができるようにしてください。み子イエス・キリストによって祈ります。」

顕現節第3主日説教                岡田薫(週報掲載説教要旨)
マタイによる福音書4:12-17

「光が射し込む」

洗礼者ヨハネ逮捕の知らせは国中に響き渡ります。そして主イエスはこの知らせを受けて《ガリラヤに退かれ》るのです。マタイはこれを、《預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった》(14節)と書いています。

ゼブルンとナフタリ地方と呼ばれるこのあたり一帯は、別名では異邦人のガリラヤとも言われていました。国境地帯であり、かつてはアッシリアに完全占拠され、イスラエルから見れば失われた土地、異邦人によって汚されてしまった土地だからです。商売のために往来する異邦人もいれば、そのような異邦人たちを相手に商売を行う人々もあり、カファルナウムはローマ軍の駐屯地でもありました。ですからガリラヤは、ユダヤの人々にとって、洗練された都エルサレムと比較すれば文化的にも宗教的にも劣る辺境の地と考えられていたのです。

しかし、主イエスの伝道活動は、このガリラヤから始まりました。マタイは《退いた》と表現していますが、この《退く》という言葉は決して消極的なものではありません。これと同じ意味の言葉が、2章の14節(エジプトへ去り)と22節(ガリラヤ地方に引きこもり)で使われています。どちらの場合も夢の中で主の天使によって語られたお告げの部分なのですが、ヨセフは神さまの導きに従う、という姿勢を貫いています。ここには、神のみ心に信頼し、信じて身を委ねてゆく、という積極的な信仰者の姿を見ることができます。

これと同じように、主イエスは最後の預言者であるヨハネの投獄の知らせによって、いよいよご自身が積極的に活動を開始することを確信されたからこそ、ガリラヤへと《退かれ》たのです。そして、故郷のナザレではなく拠点をカファルナウムに定められました。これは故郷という人間としての基盤となる場所、前提を放棄する事を意味します。つまり主は、これまでの全てを放棄し、新しい道へと一歩を踏み出される。そこには、人間的な知恵や蓄えはなにひとつ無く、父なる神の導きがあるのみです。しかも、預言者が殺され、辺境と揶揄されるような所に敢えて身を置かれるのは、まさに《暗闇に住む人々は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が差し込んだ》と預言者は語ったとおりなのです。

暗闇に輝く真の光として、主イエスは福音伝道の業を始められました。その第一声は、《悔い改めよ。天の国は近づいた》です。この呼び声は、単に過去を振り返って、後悔し、嘆き悲しめと、言われているのではありません。「自分」に固執し、自分の罪に押しつぶされてしまうような存在である私たちに向かって、主は《悔い改めよ》と呼びかけられます。これは、あなた自身を見るのではなく「顔をあげて、わたしを見みなさい」という呼びかけです。恐れず神であるわたしと向き合いなさい、という、親しい交わりへの招きなのです。

  

〇7ヶ月の研修を終えて野口神学生とのお別れの時がきました。これからの残りの課題を無事に終えて、2年後に牧師として神さまの召命に応えて、現場に遣わされていく神学生のために、ずっと見守り続けておりにふれて祈りを届けていきましょう。

「報告担当差が病欠のため、簡素にまとめました。これからしばらくこのような形態になることをお許しください。」

 

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