新札幌礼拝堂の最新情報

今日の礼拝堂の様子を日曜日のうちにお届けします。礼拝に来られなかった方たちと、遠くにいる友たちと恵みを分かち合うために。

10月16日「今日の礼拝堂」

2016年10月16日 | 今日の礼拝堂

聖霊降臨後第22主日

「今週の祈り:私たちの主イエスよ。あなたは、あらゆる時代の愚かな批判や疑いを耐え忍ばれました。あなたを勝手に断定しようとする私たちを赦し、あなたを「主」と告白する確かな信仰を与えてください。父と聖霊と共に、あなたは私たちの唯一の主です。」

              

〇一目で「秋」を感じる一活けです。すすき、りんどう、黄色のガーベラ、赤い木の実。どれもこれも、夏を生き抜いたけだるさが漂います。一本の花が語る言葉の大きさは、私たちの心を満たしてくれます。いつも、季節の花を活けてくださるNAさんに頭が下がります。毎週、毎週、花の組み合わせを変えて季節感を表現する大変さは愛なくしてはできません。

〇礼拝堂は高校生が3人、ただ座っているだけで何か違う・・・新鮮な爽やかな香りを感じます。・・・ということは、反対に、気が付かないでいるけれど「加齢臭」というのも本当なのかもしれません。いかんともしがたいことですが・・・・・

〇説教は岡田牧師でした。「絶えず祈れ」という説教題でメッセージを取り次いでくださいました。「諦めないで祈ること」「希望の見えない時こそ、祈りなさい」と、牧師は勧めてくださいました。私の特技は「すぐあきらめる」ことだと自負しているので、心にしみました。先日検査入院をしていたとき、幼稚園の園長先生が「私のモットーは、諦めないことなんだよ」と話してくださったとき、そうだね。すぐあきらめてしまうのは、絶対に助けると約束してくださっている神さまを、結局は信じ切っていないということだものね。と、その時は疲れた体で、帰宅前に病院によってくださった園長先生の穏やかな顔と話し声に、とても素直になって翌日の辛い検査に臨んだのを思いだします。失敗ばかりが続くと、やっぱり日ごろの特技がむくむくと顔をもたげて、逃げの姿勢になってしまいます。牧師の語ってくださったメッセージにもう一度顔をあげて生きていきましょう。

〇聖霊降臨後第22主日説教                野口和音神学生(週報掲載説教要旨)
ルカによる福音書18:1-8

「この世でも祈り続けなさい」

今日のたとえ話には、やもめと自分勝手な裁判官が登場しています。やもめが裁判官に幾度となく自らの救いを願い求めたことによって、裁判官はついにその申し出を取り上げることにする、という話です。この裁判官は神を畏れることもなく、人を人とも思わない人でありましたから、ただ裁判官自身が不利益を被らないように彼女の願いを聞き入れることにしたのです。イエス様はこのたとえ話から、まして神様は、熱心に祈り求める人々をいつまでも放ってはおかないであろうと言われるのです。

このたとえ話は、絶えず祈らなければならないことを教えるために話されたとあります。祈りとはなんでしょうか。聖書の教える祈りとは、神様との対話である、とよく言われます。それはたとえば旧約聖書の中で、ソドムの滅亡を宣言された神様に対して、アブラハムが撤回を願い求める場面などに現れています。聖書の教える神様とは私たちの祈りを受け止めるだけではなく、私たちに対して応えを返される、相互的な対話関係の中にある存在なのです。

私たちはどのような祈りをするでしょうか。感謝と願いはよく祈られるかもしれませんが、詩編を見ると、嘆きの祈りもまた多くあることに気付きます。なぜですか、どうしてですか、という切実な問いもまた祈りとして聞き届けられるのも、祈りが対話であればこそであります。しかし私たちがそのような問いを神様に投げかけるとき、神様が沈黙されているように感じるときもあるのではないでしょうか。この問題を深く掘り下げたものとして、遠藤周作の『沈黙』があります。日本に宣教にきた司祭は、日本で迫害を受ける信仰者を救ってくれ、と神様に祈りを捧げるのですが、神様は沈黙されたままなのです。神への語り掛けが呪詛のためのようだ、とさえ彼は言うのです。ここに人間の罪の姿があります。祈りが神様との対話である以上、神様からの応答を聞く耳がなければ、対話にはなりえないのです。神様が確かに聞いてくださっている、と信じる信仰によってその応答を受け取ることが出来るのです。さもなければ嘆きの祈りは、呪いの言葉へと貶められてしまうのです。

『沈黙』の中で、ついに司祭自身も踏み絵を踏むことになります。その時彼は主の声を聞くのです。「わたしは沈黙していたのではない、一緒に苦しんでいたのだ」と。私たちの苦しみを沈黙のうちに分かち合われる主がおられることを、司祭はその信仰によって聞くのです。私たちの祈りは、対話であります。私たちの祈りを受け止めてくださる唯一の主がおられます。私たちもまた、主の御声を聞き取ることの出来る信仰が与えられるよう、祈り求めてまいりましょう

 

               

〇先週、札幌礼拝堂で行われた「札幌教会宣教100年記念礼拝」に、新札幌から助っ人にいったスリッパたちをきれいに拭いて乾かす作業をしている姉妹たちです。無心にスリッパと向き合っている姉妹たちの姿の美しいこと。一つのおおきなことを成し遂げる陰にある、目にはふれない小さな小さな奉仕です。このほか、各礼拝堂と会場になった幼稚園の後始末は、どれだけ大変だったことかと思います。すべてがうまく運ばれて、記念の時が刻まれたことを、神さまに感謝いたします。そして、大きな行事が終わって、呆けてしまわないかと思ったけれど、もうすでに101年をこうして淡々と着々と歩みだしていることを感じて、立ち止まることが赦されない信仰の歩みの確かさに感動します。

 

〇10月23日(日) 聖霊降臨後第23主日

〇司式:野口和音神学生

〇説教:野口和音神学生

〇奏楽:中嶋泰子姉

〇聖書朗読:小川照美兄

〇礼拝当番:堀川悦姉
      滝田裕美姉

〇聖書:申命記:10:-12-22・テモテの信徒への手紙二4:6-18・ルカによる福音書18:9-14

〇讃美歌:470・369(1-3)・369(4,5)・391(1-3)

〇うどん食堂と聖書の学びがあります。ご予定ください。

〇19日(水)21日(金)はオープンチャーチです。どなたでもご自由にご参加ください。

 

 

 

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