新札幌礼拝堂の最新情報 主日礼拝 毎週日曜日 午前10時30分より

今日の礼拝堂の様子をお届けします。礼拝に来られなかった方たちと、遠くにいる友たちと恵みを分かち合うために。

4月23日「今日の礼拝堂」

2017年04月23日 | 今日の礼拝堂

復活後第1主日

「今週の祈り:全能の神さま。主の復活を喜び祈っている私たちを助け、すべての言葉と行いとよって、復活の力を伝えさせてください。あなたと聖霊とともにただ一人の神であり、永遠に生きておさめられるみ子、主イエス・キリストによって祈ります。」

    

〇純白に包まれた礼拝前の聖壇です。清らかですがすがしくて、凛として静寂の中で礼拝を待ちます。昨週のイースターのユリにオンシュジュ―ムの可憐な黄色が添えられて、やさしい気持ちにさせてくれる一活けでした。

 

〇復活後第1主日説教 中島和喜牧師(週報掲載説教要旨)
ヨハネによる福音書20:19-23

「派遣」

先週、私たちの教会では復活祭が祝われました。どの場所でも喜びに満ちた日を迎えたことでしょう。復活の御言葉に与り、食卓を囲み、中には洗礼の喜びに包まれた教会もありました。

さて、それから一週間が経ちました。復活の喜びを祝った後で、祭の後のようにどこか寂しさを覚えながらも、落ち着いてきた頃かもしれません。しかし、今日の箇所はマグダラのマリアや弟子たちが復活の主に出会った数時間後のお話です。まだ日も変わっていません。復活祭は終わりましたが、復活の主に出会う事は終わらないのです。私たちは何度も出会っていくのです。今日も、そのような思いで御言葉に耳を傾けていきたいのです。

20章18節にあるように、イエス様が復活したという知らせはマグダラのマリアによって人々に伝えられました。それでも、弟子たちはユダヤ人達を恐れて家に閉じこもっていました。イエス様の復活を聞いてもなお、信じられなかったのでしょう。厳重に鍵までかけて、怯えながら家のドアを閉ざしていました。そんな中、イエス様はいつの間にか家の真ん中にやってきます。20節には「手とわき腹をお見せになった」とあるように、確かにその体でもってやってくるのです。弟子たちはその姿を見て、喜びました。そしてイエス様はその弟子たちに聖霊を送り、世に遣わしていくのです。

ドラマチックな弟子たちとイエス様の再会に、思わず「めでたし、めでたし」と言いたくなります。けれども、ある視点からこの箇所を読んでいくと、まるで自分の信仰が問われていくように感じてしまいます。それは「罪」の視点です。

弟子たちはマグダラのマリアの言葉に耳を傾けず、ドアの鍵を締め、引きこもっていきます。まるで、私たちの罪を表しているようです。復活の主は私たちに罪の赦しと永遠の命を示し、死という最大の絶望すらも乗り越えることの出来る希望と勇気を示して下さいました。けれども私たちはそれを心の底から信じ切ることはきっとできないでしょう。不安に思う事もあれば、恐怖する事もある。時には絶望する事も。「神が共にいるのだから何があっても大丈夫」と信じる一方で、「決して信じない」部分ももっています。それが「罪」の正体です。その罪はとても根深く、どんな救いの言葉に対しても、ドアに鍵をかけるように塞ぎ込んでしまうのです。

だから、23節の言葉をよく聞いてほしいのです。「だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」

あなたは、自らの罪を赦していますか。復活の主は十字架を通して私たちに語り掛けています。「だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。」つまり、あなたの罪を、赦してよいのです。心に鍵をかけてこの言葉を拒否しようとしても無駄です。イエス様はあなたの内にいつの間にかいるのです。だから、喜んで罪の赦しに与っていきましょう。その喜びの中、弟子たちと同じように私たちもまた遣わされていきましょう。

 

〇4月30日 午前11時   復活後第2主日
〇司式:中島和喜牧師
〇説教:中島和喜牧師
〇奏楽:滝田裕美姉
〇聖書朗読:青木比呂子姉
〇礼拝当番:小川照美兄
      滝田裕美姉
〇聖書:使徒言行録2:36-47・ペトロの手紙一Ⅰ:17-21・ヨハネによる福音書20:24-29
〇讃美歌:175(1,2,4 )・387(1,2)・387(3,4)・399(1,3,4)
〇26日(水)28日(金)は中島牧師の在宅日です。オープンチャーチをしています。どうぞご自由にご参加ください。
 

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