新札幌礼拝堂の最新情報 主日礼拝 毎週日曜日 午前11時より

今日の礼拝堂の様子をお届けします。礼拝に来られなかった方たちと、遠くにいる友たちと恵みを分かち合うために。

11月12日「今日の礼拝堂」

2017年11月29日 | 行事予定

聖霊降臨後第23主日

「今週の祈り:全能(ぜんのう)・永遠(えいえん)の神(かみ)さま。あなたが約束(やくそく)されたものを得(え)、命(めい)じられたことを愛(あい)するために、私(わたし)たちに信仰(しんこう)、希望(きぼう)、愛(あい)の賜物(たまもの)を、さらに豊(ゆた)かに注いでください。み子(こ)、主(しゅ)イエス・キリストによって祈(いの)ります。アーメン

〇聖霊降臨後第23主日説教 中島和喜牧師(週報掲載説教要旨)マタイ22:34-40

「二つの掟」

マタイ福音書は全体を通して旧約の完成を述べていると言って良いでしょう。決定的となるのは5章17節にあります「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。」という言葉です。イエス様の教えは律法や預言者の教えに反しているように見えて、むしろその教えを完成させるためだと御自身で述べているのです。

今日の箇所ではその詳細について述べられています。40節には「律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」とあります。ここでの「掟」という言葉は「ルール」とか「規範」という意味ではありません。言い換えるならば「原理」と言った方が良いでしょう。旧約は「神を愛すること」と「隣人を愛すること」この二つの原理に基づいているというのです。とても単純でわかりやすくされました。それによって、この二つの原理が私たちに襲い掛かってくるようになったのではないでしょうか。

イエス様は37節でこう言います。「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」と。これは申命記6章5節にある言葉ですが、わかりやすく言うならば、「心全体、魂全体、思い全体」で主を愛せよと言うのです。あなたは出来ていますか?

さらにイエス様は畳みかけるように二つ目の掟を言います。「隣人を自分のように愛しなさい。」と。これもレビ記19章18節の言葉ですが、一つ目よりも難しいかもしれません。どこか自己中心的になったり、隣人を愛することよりも自己を愛することばかりに目を向けてしまったり、そもそも自分を愛するという事が苦手な私たちですから、最初からこの掟に従えないかもしれません。

二つの掟がわかりやすく私たちに伝えられるようになったからこそ、それを実行出来ない私たちをより鮮明に映し出してしまうのではないでしょうか?

だからこそ、私たちは「旧約の完成」という部分に目を向けていたいのです。イエス様が言う「完成させるために来た」というのは、何も旧約聖書の教えを理論的に完全なものとしようとしたのではないし、よりわかりやすく私たちに伝えようとしているのでもありません。その掟に私たちを招きいれようとしているのです。

今日の聖書箇所には一つ不思議な言葉があります。それは40節の「基づいている(クレマニューミ)」という言葉です。この言葉は十字架に「かける」あるいは「つける」という意味でも使われる言葉です。「基づく」と「(十字架に)かける」がなぜ同じ言葉で表されるようになったのかはわかりませんが、「二つの掟に基づいている」という言葉に、十字架を連想させる言葉が使われているのです。十字架を思わずにはいられません。

イエス様は十字架を通して、旧約を完成させるのです。それは、二つの掟を守れない私たちを、十字架からの愛を通して、その掟に生きることができるように導こうとしているのです。まさに、私たちの中で「旧約の完成」が起こされるのです。そのことに信頼して、これからも二つの掟をいつも思い起こし、大切にしていきたいと願います。

 

〇11月19日 午前11時 聖霊降臨後第24主日
〇司式:中島和喜牧師
〇説教:中島和喜牧師
〇奏楽:滝田裕美姉・小林広枝姉
〇聖書朗読:小川敦子姉
〇礼拝当番:小林広枝姉

〇聖書:ホセア11:1-9  テサロニケ(Ⅰ)3:7-13  マタイ25:1-13
〇讃美歌:189、289、370、461、聖餐254
〇11月15日(水)は、オープンチャーチをしています(来年の3月までは週1回、水曜日のみ)。どなたもお気軽にお立ち寄りください。 

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11月5日「今日の礼拝堂」

2017年11月08日 | 今日の礼拝堂

全聖徒主日

「今週の祈り:全能(ぜんのう)の神(かみ)さま。あなたは信(しん)じる者(もの)を主(しゅ)キリストのからだ、唯一(ゆいいつ)の聖(せい)なる教会(きょうかい)に結(むす)び合(あ)わされました。恵(めぐ)みを注(そそ)いで、私(わたし)たちを聖徒(せいと)たちの信仰(しんこう)と献身(けんしん)の生涯(しょうがい)に倣(なら)わせてください。あなたの民(たみ)のために備(そな)えられた喜(よろこ)びで満(み)たしてください。あなたと聖霊(せいれい)と共(とも)にただひとりの神(かみ)であり、永遠(えいえん)に生(い)きて治(おさ)められるみ子(こ)、主(しゅ)イエス・キリストによって祈ります。

(礼拝堂の花です)

(信仰の先達者たちと一緒に礼拝を守りました)

(中島和喜牧師の誕生日の記念撮影です)
 

〇全聖徒主日説教 日笠山吉之牧師(週報掲載説教要旨)ヨハネ15:1〜17

「キリストに繋がって」

全聖徒主日です。神のみもとに召された信仰の先達者たちを覚えるこの日は、今やハロウィンの喧噪にかき消されてしまいそうですが、信仰者にとっては大切な日です。なぜならこの日、私たちは先達者たちのありし日の姿を思い返しながら、自らの信仰を問い直すことが出来るからです。先達者たちが、会堂で座っておられたあのお席、御言葉に聴き入っておられたあの表情、晴れ晴れと讃美歌を歌っておられたあの姿を思い返す度に、私たちもまた自分の信仰を顧みずにはいられません。そして、私はまだまだだな…あの方に信仰に比べるとひよっこだな…と思うわけです。そんな私たちに、今日イエスさまが語られた福音は大きな慰めになります。「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」(ヨハネ福音書15章5節)私たちも、また私たちの先達者たちも、イエス・キリストという同じ木につながっているかぎり、豊かな信仰の実りを結ぶことができる−然り、たとえ今はまだ熟していなくても、刈り入れの時には豊かな実りを!

とかく私たちは先達者たちと比較して、自らの信仰の至らなさを恥じる者ですが、ルターは「信仰」に優劣はない!と言いました。信仰とは、私たちが自らの努力によって獲得するものではなく、ただ神の恵みによって与えられるものだからです。神が与えたもう賜物に優劣はありませんし、私たちが勝手に判断して優劣をつけてもなりません。とすると、神によって与えられる「信仰」についても同様です。キリストに繋がっている信仰というのは、ただそれだけで貴く、何にも代え難い祝福に満ちた神からの賜物なのです。

先週は「宗教改革主日」でしたから、ルターの生き様について話しました。彼の残した言葉はいずれも彼自身の信仰からあふれた出たものですが、中でも「大胆に罪を犯しなさい。しかし、それよりもさらに大胆に悔い改めなさい」という言葉は有名です。このルターが語ったとされる言葉を、このたび発行された『悩み多き人生に答えはあるのか』では、「大胆に罪を犯しなさい。けれども、それよりもさらに大胆に信じなさい」と訳していました。ルターにおいて、「悔い改める」ことと「信じること」は同じことです。自らが犯した罪を悔い、神の御前で罪を告白する悔い改めは、そこに神の赦しが、神の恵みが注がれることを信じるがゆえに出来ることだからです。それゆえ、パウロも言ったように、私たちは罪の中にとどまり続けてはならないのです。「私たちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。」(ローマ書6章6節)私たちはいつまでも罪の奴隷ではなく、キリストの十字架によって罪をあがなわれ、信仰によって自由とされた者なのです。 

〇11月12日 午前11時 聖霊降臨後第23主日
〇司式:中島和喜牧師
〇説教:中島和喜牧師
〇奏楽:滝田裕美姉・小林広枝姉
〇聖書朗読:藏谷俊夫兄
〇礼拝当番:堀川悦姉

〇聖書:申命記26:16-19  テサロニケ(Ⅰ)1:1-10  マタイ22:34-40
〇讃美歌:192、238、294、195(1-3)、聖餐253(1-3)
〇11月8日(水)は、オープンチャーチをしています(来年の3月までは週1回、水曜日のみ)。どなたもお気軽にお立ち寄りください。 

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10月29日「今日の礼拝堂」

2017年10月30日 | 今日の礼拝堂

宗教改革主日

「今週の祈り:全能(ぜんのう)の神(かみ)、恵(めぐ)みの主(しゅ)よ。あなたに忠実(ちゅうじつ)な民(たみ)に聖霊(せいれい)を注(そそ)いで、み言葉(ことば)のうちに堅(かた)く保(たも)ち、あらゆる誘惑(ゆうわく)とみ言葉(ことば)の敵(てき)から防(ふせ)ぎ守(まも)り、キリストの教会(きょうかい)に救(すく)いと平安(へいあん)を与(あた)えてください。あなたと聖霊(せいれい)と共(とも)にただひとりの神(かみ)であり、永遠(えいえん)に生(い)きて治(おさ)められるみ子(こ)、主(しゅ)イエス・キリストによって祈ります。

(礼拝堂の花です)

〇宗教改革主日説教 中島和喜牧師(週報掲載説教要旨)マタイ5:1-6

「あなたは幸いだ」

今日は宗教改革主日です。今年においては、宗教改革500年を記念する日であります。私たちは今日という日を迎えるにあたり、マルティン・ルターを通して伝えられた神の恵みについて、今一度、深く問い直していきたいと思うのです。

そもそも、宗教改革とは一体何だったのでしょうか。世界の歴史として見れば、宗教改革は教会の大分裂をもたらした大事件です。しかし、信仰をもってみるならば、宗教改革は教会の信仰が問い直された時であると言えるでしょう。腐敗しきっていた当時の教会、その決定的となるものが贖宥状でした。そこにルターは問うのです。恵みとはなんであるか。そもそも恵みとは私たちの行動によって変わるものであるのかと。それ故にルターは1517年10月31日に95箇条の提題(贖宥状の効力を明らかにする討論)をヴィッテンベルク城教会の門に掲示したのです。それが宗教改革の発端となりました。努力によって私たちは義とされるのではなく、ただただ信仰によってのみ義とされると述べたのです。これが信仰義認と呼ばれる教理となり、宗教改革で起こされた教会はこの教理を採用していると言って良いでしょう。

ここまではルーテル教会でよく語られることですから、多くの人が知っていると思いますし、しっかりと受け止めていると思うのです。しかし、今一度問い直したいのは、「義とされる」という神の恵みを私たちはどこまで受け止めているかということです。

私事になりますが、先週休暇をいただき、旭川に行ってきました。もちろん観光名所である旭山動物園にも行ってきました。一番驚いたのはカバの展示コーナーでした。水中のカバをガラス越しに見ることが出来るのですが、私の頭の中に描いていたものよりも、カバはカバでした。そのすぐ横にいたキリンを見ても、想像よりもキリンなのです。

私たちは頭の中に何かを思い浮かべるとき、実物よりも、どこか小さく想像してしまうことがあります。このことは、私たちが恵みを受け取る時に大きな障害となるのです。

今日の聖書箇所でイエス様は言います。「幸いだ」と。その言葉を、あなたは受け取っているでしょうか。たくさんの状況の人々に向けて、「幸いだ」と述べるイエス様の言葉を、あなたが受け取ってほしいのです。あなたに向けて「幸いだ」とイエス様は言って下さっているのです。今は苦しくても、いつか幸いとされるのではないし、何かしたから幸いとされるのでもありません。今、この時、「あなたは幸い」なんです。あなたに天の国は約束されているし、慰めを受けられるし、地を受け継ぐことができるし、満たされるのです。それは、あなたが思っているよりも、大きくて、確かな恵みであります。心のどこかでこの言葉を小さくしてしまっているのではないでしょうか。だからこそ、問い直したいのです。「あなたは幸いだ」と言って下さる神の恵みをそのまま受け止めていきたいのです。それこそが、信仰によって義とされるということでありましょう。ルターを通して伝えられた神様への姿勢を、これからも、何度も問い直しながら、信仰生活を送っていきたいと願います。 

〇11月5日 午前11時 全聖徒主日
〇司式:中島和喜牧師
〇説教:中島和喜牧師
〇奏楽:滝田裕美姉
〇聖書朗読:小笠原里子姉
〇礼拝当番:出口輝子姉

〇聖書:エゼキエル37:1-14  ローマ6:1-11  ヨハネ15:1-17
〇讃美歌:142、271(1,2)、271(3,4)、337、聖餐252(1,2)
〇11月1日(水)は、中島牧師の在宅日で、オープンチャーチをしています(来年の3月までは週1回、水曜日のみ)。どなたもお気軽にお立ち寄りください。 

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10月22日「今日の礼拝堂」

2017年10月23日 | 今日の礼拝堂

聖霊降臨後第20主日

「今週の祈り:私(わたし)たちの主(しゅ)イエスよ。あなたは、あらゆる時代(じだい)の愚(おろ)かな批判(ひはん)や疑(うたが)いを堪(た)え忍(しの)ばれました。あなたを勝手(かって)に断定(だんてい)しようとする私(わたし)たちを赦(ゆる)し、あなたを『主(しゅ)』と告白(こくはく)する確(たし)かな信仰(しんこう)を与(あた)えてください。父(ちち)と聖霊(せいれい)と共(とも)に、あなたは私(わたし)たちの唯一(ゆいいつ)の主(しゅ)です。

(礼拝堂の花です)

〇聖霊降臨後第20主日説教 中島和喜牧師(週報掲載説教要旨)マタイ21:33〜44

「主がなさったこと」

『マタイによる福音書』には、ぶどう園のたとえがよく出て来ます。先週の日課(20章1〜16節)もそうでしたし、今日の日課の直前(21章28〜32節)も舞台はぶどう園です。そこには父親から「ぶどう園へ行って働きなさい」と命じられた兄弟が登場しますが、最初は反発した兄が後から考え直してぶどう園に出かけたのに対して、二つ返事で答えた弟は出かけなかった…とあります。このたとえ話しを聞いていたのは祭司長や長老たちでしたが、イエスさまは彼らに向かって明言されました。「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。なぜなら、ヨハネが来て義の道を示したのに、あなたたちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちは信じたからだ。あなたたちはそれを見ても、後で考え直して彼を信じようとはしなかった」。

今日の日課のたとえ話しも、イエスさまが宗教指導者たちに対して語られたものです。「ある家の主人がぶどう園を作り、垣を巡らし、その中に搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て…」とイエスさまが語り出した時、聖書に詳しい彼らはすぐに『イザヤ書』5章の<ぶどう畑の歌>を思い浮かべたことでしょう。「わたしの愛する者は、肥沃な丘にぶどう畑を持っていた。よく耕して石を除き、良いぶどうを植えた。その真ん中に見張りの塔を立て、酒ぶねを掘り、良いぶどうが実るのを待った。しかし、実ったのは酸っぱいぶどうであった」。神が心を込めて創られたこの世界は、さながら神の愛であふれたぶどう畑。にもかかわらず、そこに住むことを赦され、豊かに収穫するよう期待された私たちがそこを荒れ放題にしてしまっているという現実…。それゆえ預言者は嘆くのです。「主は裁きを待っておられたのに、見よ、流血。正義を待っておられたのに、見よ、叫喚。」と。

イエスさまが今日語られたたとえも同様です。主人が丹精を込めて整えたぶどう園で繰り返される殺人…それでも主人はあきらめずぶどう園に僕たちを送り続けるのですが、ついには息子まで殺されてしまいます。イエスさまがこのたとえ話しに、ご自身の受難を重ね合わせておられることは確かでしょう。しかし、イエスさまは十字架の死から復活されるのです。まさに『詩編』にあるように「家を建てる者の捨てた石」が「隅の親石」となって用いられ、神のぶどう園はますます堅固に、豊かに成長していくのです。私たちもこの神のぶどう園で、喜びにあふれて共に働くよう促されています。たとえ現実の社会は私たちの罪で破れていようとも、そこで神のぶどう畑を耕すべく召されているのです。「何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい。そうすれば、とがめられるところのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、命のことばをしっかり保つでしょう。」(フィリピ2章15節) 

〇10月29日 午前11時 宗教改革主日
〇司式:中島和喜牧師
〇説教:中島和喜牧師
〇奏楽:滝田裕美姉
〇聖書朗読:秋田直枝姉
〇礼拝当番:小川敦子姉

〇聖書:ヨシュア24:14-24  コリント(Ⅰ)1:10-18  マタイ5:1-6
〇讃美歌:450(1,2)、240、300(1-3)、450(3,4)、聖餐259(1,2,8,9) 
〇10月25日(水)27日(金)は、オープンチャーチをしています。どなたもお気軽にお立ち寄りください。 

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10月15日「今日の礼拝堂」

2017年10月23日 | 今日の礼拝堂

聖霊降臨後第19主日

「今週の祈り:主(しゅ)なる神(かみ)さま。あなたは、私(わたし)たちをあなたのぶどう園(えん)で働(はたら)くように招(まね)き、誰(だれ)ひとり空(むな)しく立(た)たせられません。私(わたし)たちにみ国(くに)の務(つと)めを与(あた)え、生涯(しょうがい)あなたの知恵(ちえ)によって歩(あゆ)ませてください。み子、主イエス・キリストによって祈ります

 

〇聖霊降臨後第19主日説教 日笠山吉之牧師(週報掲載説教要旨)マタイ20:1〜16

「神の約束」

イエスさまは、しばしば「天の国」についてたとえを話されました。本日の福音も、その一つ。神の愛が、私たちの思いを超えてどれほど深くて広いかを示すたとえ話です。

登場人物は、ぶどう園の主人と労働者たち。主人はその日の働き手を雇うために、夜明け前に町の広場まで出かけていきました。広場には既に仕事を求める人たちが集まっていたので、主人は一日につき1デナリオンの約束で彼らを雇いました。主人は、朝の9時頃に再び広場にいき、何もしないで立っていた人々に声をかけます。「あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう」と。さらに主人は昼の12時頃にも、また3時頃にも広場に出かけ、仕事にあぶれていた人たちを雇いました。主人がこの日、最後に広場に出かけたのは夕方の5時頃。そこには、まだその日の仕事を求めて立ち尽くしていた人たちがいました。主人は彼らにも「ぶどう園に行きなさい」と声をかけたのです。

さて、一日の仕事が終わり、主人は労働者たちに賃金を支払うよう監督に命じました。まず、最後に雇われた人々が呼ばれ、1デナリオンが手渡されました。1デナリオンとは、労働者の一日分の賃金です。正味1時間も働かなかった人が1デナリオン?それなら、俺たちはもっともらえる筈だ…と、午後3時組、正午組、午前9時組、そして夜明け組の人たちも期待したでしょう。しかし、彼らが受け取った賃金もみな1デナリオンでした。朝一番から仕事をした人々からは、当然不満が出ます。1時間しか働かなかった連中と、まる一日暑い中を辛抱して働いた俺たちとを、同じ扱いにするとは!至極まっとうな主張です。実際に私たちの社会でこのようなことが行われたら、労働争議が勃発するでしょう。しかし、この主人は不平を言う者に優しく語りかけるのです。「友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと1デナリオンの約束をしたではないか」。確かに、そのとおりでした。夜明け前から雇ってもらった者たちは、1日1デナリオンの約束でぶどう園で働いたのでした。主人は、何も約束違反はしていないのです。主人は、続けて言います。「わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ」と。

このたとえ話で主人にたとえられている神とは、このように深くて広い愛に満ちた方なのです。それは、預言者イザヤを通して、神ご自身が語られたとおりです。「わたしの思いはあなたたちの思いとは異なり、わたしの道はあなたたちの道とは異なる…」。神の思いと人の思いとは、天と地ほどの差があります。それゆえ、この地に住む私たちは他人と比較することをやめて、神から与えられたすべての賜物に感謝することが期待されているのです。「あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです」とパウロが語ったように。 

〇10月22日 午前11時 聖霊降臨後第20主日
〇司式:日笠山吉之牧師
〇説教:日笠山吉之牧師
〇奏楽:滝田裕美姉
〇聖書朗読:青木比呂子姉
〇礼拝当番:小川照美兄

〇聖書:イザヤ5:1-7  フィリピ2:12-18  マタイ21:33-44
〇讃美歌:153(1-3)、324(1,2)、324(3,4)、199、聖餐258
〇10月18日(水)21日(金)は中島和喜牧師の在宅日で、オープンチャーチをしています。どなたもお気軽にお立ち寄りください。 

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