ひとひらの雲

つれづれなるままに書き留めた気まぐれ日記です

年越しの風景

2018-01-05 18:52:24 | 日記
 遅ればせながら、明けましておめでとうございます。今年一年が皆様にとりましても我が家にとりましても、良き年でありますように。
 そしてまた、マイブログの方もよろしくお願い申し上げます。

 昨年の師走は寒かったですね。風邪を引いたりした方も多かったのではないでしょうか。どんな事情があっても迫りくる年の瀬。「越すに越されず、越されずに越す」という言葉もありますが、どのような状態でも年は明けてしまうもの。非情なものです。特に大晦日(おおつごもり)は大変なものでした。

 江戸時代、越後屋が「現金掛値(かけね)なし」の看板を掲げるまでは、掛売り制度が常識的に行われていました。俗にいう「ツケ」ですね。カードが普及して、今ではツケで商売をするお店はあまりなくなってしまいましたが、ひと昔前までは飲み屋さんなどでよく行われていました。つまり飲んだり食べたりしたもの、商品を購入したりした分をそのお店の帳簿に記録しておいてもらい、給料日などに支払うシステムです。江戸時代はそのツケを支払うのが大晦日だったんですね。

 ですから大晦日は一年の総決算の日ということになります。この日をどう処理して終わるかが、庶民生活の重大な鍵になっていました。できれば年内に支払を済ませて新年を迎えたいと思いますけれど、支払をしてしまうと、その後の生活ができない(食べるものを買ったり、暖をとることができない等)。そうした庶民のやりくりの悲喜劇を描いたのが、井原西鶴の浮世草子『世間胸算用(せけんむねざんよう』です。

 副題に「大晦日は一日千金」とあって、大晦日における貸し手と借り手の駆引きを描いています。そしてこの物語に登場する人物はどこにでもいるような怠惰な亭主、口巧者な内儀、或いは孤独な老婆であったりしますけれど、世間からの脱落者も多く登場します。彼等は脱落の原因さえつかめないような、運命的な貧困の波に揉まれてしまった人たちで、そうした救う方法のない主人公たちの姿を西鶴はじっと見つめているんですね。まさに西鶴の真骨頂です。

 西鶴自身は裕福な商家の出で生活に困ることはなかった筈なのですが、こうした庶民生活を活写しているところが作家の作家たる所以といえましょう。
 さて、庶民の年越しから平安貴族の年越しへと目を転ずれば、やはり一番に浮かぶのは源氏物語になるでしょうか。

 まずは「幻」の巻ですが、最後の方に「年暮れぬとおぼすも心細きに…」とあって大晦日の様子が描かれています。つまり追儺(ついな)、宮中で悪鬼を追い払う儀式をするわけです(現在の節分)。そしてこれをもって源氏自身の一生も終わるのです。物語に描写されてはいませんけれど、現代の読者は「鬼は外、福は内」という声を遠くに聞きながら、やがて終わるであろう光源氏の一生を予感するんですね。優雅で幻想的な風景です。

 追儺   本文のない巻名

 この「幻」の次にくる巻名は「雲隠」。しかし本文はありません。紫式部は源氏の死を描くことができなかったのです。
 皆さんはどんな年越しをなさいましたか。

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