ひとひらの雲

つれづれなるままに書き留めた気まぐれ日記です

江戸の本屋

2017-11-05 19:04:08 | 日記
 最近は書店でもいろいろなものを売るようになりましたが、江戸時代は本を作ること自体が大変でした。何しろ写本といって、人が手書きで写していた時代があったわけですから、活字本ができただけでもすごい進化だったんです。それが江戸時代になると、整板といって1枚の板に絵や文字を左右逆に彫り、墨を塗って紙に写す方法が普及するようになります。いわゆる木版印刷ですね。これによって急速な進化を遂げた出版文化は、書籍目録が必要になるほど出版点数が増えていきました。

 江戸初期には京・大坂が中心だった出版文化も、17世紀後半には江戸が中心になり、江戸の本を扱う地本問屋(じほんどんや)ができてきます。現代のシステムと違い、地本問屋では出版から販売までを行っており、お抱えの作家もいたそうです。では、他の作家の本を読みたい場合どうしたかというと、貸本屋(かしほんや)で借りたんですね。そもそも当時の読み物は高価でしたから、庶民は貸本屋に見料(けんりょう)を払って読むのがふつうでした。

 地本問屋

 貸本屋は本の束を背負って定期的にやってきます。お客の好みを把握し、おすすめの本のいい場面を開いてみせたり、あらすじを聞かせたりします。お客の方は借りていた本を返し、新たに本を借ります。読み切れなかった本をもう少し読みたい時は追加料金を払いますし、汚れや破れ、落書きなどがあった時も追加料金をとられます。また、「次はこんな本を読みたい」というリクエストもできるので貸本屋は便利な存在でした。ちょっと現代のレンタルビデオショップに似ていますね。

 お金のある人は地本問屋で購入することもできますが、今の書店のように立ち読みはできません。手代や番頭が本のあらすじを教えてくれるので、それで買うかどうかを判断します。草双紙のようなものなら十~二十文くらいで買えましたが、長編小説となると一冊二百~三百文、現代でいうと万を超すような金額になりました。ですから一般的な庶民は貸本屋を利用します。

 貸本屋

 貸本屋は幕末近くには八百軒くらいあったそうです。一軒の貸本屋で170~180人くらいの顧客を持っていましたから、地本問屋での売り上げが千部であったとしても、読者は数十万単位でいると考えられます。そうした中から江戸の町人文化が花開いていくんですね。仮名草子、浮世草子、草双紙に始まる出版文化は、洒落本、滑稽本、人情本、読本へと発展し、曲亭(滝沢)馬琴の大ベストセラー『南総里見八犬伝』を出現させることになるのです。

 因みに時事的印刷物は原則禁止だったそうで、「読売り」ともいわれた瓦版はモグリだったんですね。ですから内容的には火事や心中事件、仇討ちなど無難なものが主でした。政治批判などはなかなかできなかったんでしょうね。その点、少しはいい世の中になったといえるのかもしれません。

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