森元志乃 shino morimoto

ヴァイオリン弾きの吐息

樹々の遺言

2016-12-13 21:32:06 | Weblog
大好きな遊歩道の街路樹たちが 雨に濡れて 幽かに音を立てている。

ニュータウン計画の当初から あるいは それ以前からあった木々たちは

なん十年と生きてきて それは皆 立派なのだが 

時期が来ると えぇ! そんなに切っちゃうの?! というほどに

職人さんの手によって 見事にバッサリ 剪定されてしまう。


その姿は痛ましく 初めて見たときには なぜ?という思いに駆られたのだが

“街路樹”という役割を担わせた以上 木々を管理することが人の役割なのだと知る。

「共存」ということを 考える。


少し前 何かの番組で 

ある大きな通りの街路樹について 取り上げられていた。

オリンピックに向けての無電柱化 道路の拡幅 といった理由で

樹齢80年を超えるイチョウたちを伐採することになり 

それについて反対運動が起きている といった内容だった。


それはそれで 必要なことなのかもしれないけれど

100年経てばモノにも魂が宿る なんて育てられ方をしてきたものだから

ましてや 生命あるものを 人間の都合でどうこうしてしまうことには 

どうにも 反発を感じずにはいられない。

「いや 後で ちゃんと 新たに若木を植えますから」 って

それも なんだか 違うよね。

切られる樹が もし ギャーッ やめてぇ! と叫んだら 

あんな ひどい切り方はされないのかもしれない。

 

楽器を持つ人間は アフターケアに どれだけ お金が掛かるか知っている。

そこに掛かる「お金」 それは ある意味 愛情の証でもある。

以前 「ヴァイオリンは買った後もお金が掛かるらしいので」と言って

体験レッスンに来た お母さんが 「だから ピアノにします」

ピアノにも失礼だけれど…。 いろいろ 考えさせられる台詞だった。

楽器と共に生きる そういう姿勢の友人たちに囲まれているだけに。



今 持っている楽器についてだけは 随分前から 娘に遺言を残している。

もっと実力を引き出してくれる 別の持ち主がいるかもしれないのに

縁あって 我が家に来ることになった楽器への 取るべき責任の一つ 

そんな風に考えている。



そういう意味では つい買ってしまう本 どうしよう と 悩んでしまう。

いや 待て 本だけじゃない。

参った。 今日もまた グルグルして 寝られない。
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