松山神社
2012年02月05日
カテゴリー: 〔投稿〕 神国の民草・代表 脱懈怠




『松山神社』
御鎮座地
〒533-0004 大阪市東淀川区小松四丁目15番38号
御祭神
菅原道真公 天照皇大神 春日大神 住吉大神
御由緒
当地は、往古難波入江の基点であった江口の西に接す。江口は難波入江の口の意で、西行法師と江口の君との故事で有名である。土壌は極めて細砂、丈余掘っても変わる事なし。往古淀川尻あたり、河水と潮水と相会し、渦旋して洲壌をつけた地なるが如し。烈風の日砂塵濛々として天に沖し、全村その影を没する事あり。近郷よりこれを望み、火災と誤認して喧騒した事も屡々ありき。と古書にある。難波八十島の一つ中島が形成され、江口・小松は永く中島村と称し、又中島音頭も今に残されている。
延喜元(901)年、大宰府の配所に流されることになった道真公は、淀川を下って難波入江の口に差しかかられた折、数千株の小松が生い茂る中島の景観に御感動、傍らの石に腰を掛けて『小松の詩』を詠まれた。村号の小松この時より始まる。又菅公直筆の御真像を写し給い、永代我がここに置くべし、此の地に本心留め置くべしとの御遺勅により、菅公歿後村民社祠を建立し、村の氏神と崇めたのをその創祠とする。
明和初(1764)年頃に境内拡張、社殿修築行われ、その竣功に当たり、正一位前大納言より『天満宮』の揮毫を得て額を掲ぐ。明治4年松山神社と改称、当時の字名を今に残すものである。現社殿は昭和19年の再建で、本殿(流れ造)・拝殿(入母屋造)・幣殿・東西参列殿・神饌所・楽所よりなるが、拝殿及び社務所は、元別格官幣社四条畷神社(小楠公を祀る)の旧御社殿を移建したもの、御神門及び付属建造物は、御神忌1075年式年大祭を記念して、昭和52年建立せられたものである。
感想等
当社も、お馴染の大阪屈指の大B地区に御鎮座される神社である。筆者が訪れたのは日が傾きかけた夕方であったためか、前の公園ではたくさんの子供達の姿を見かけたが、他の参拝者は見られなかった。
畏れ多くも当社の素晴らしい点はまず、御神門をくぐってすぐの御本殿を向いて左のところに祓戸社が御鎮座されているということである。他社ではなかなか見られない。まずこの祓戸社にお参りし、お手水舎で口と手を清め、心身の穢れをなくしてから、御本社をお参りすることになる。2回もお祓いもしくはお清めを行うことの意味は、いかに一般社会が穢れているかということである。神社を参拝するときぐらいは、『私心』を払い捨て、一心に皇室の弥栄・国家の繁栄をお祈りしたいものである。
第2は、奥宮として天津磐座が御鎮座されているということである。天津磐座とは神を祀る石である。都会に御鎮座される神社で、『奥宮』が見られる神社は珍しい。少し残念なことは、この天津磐座のすぐ後ろがマンションであるということである。神社の周りと言えども、御神域以外は当然のことながら一般の土地であるので規制することはできない。神社をとくに国策で保護した明治の世なら話は別であるが。そんな素晴らしき時代を日本人は何故顧みないのであろうか。





