日本バプテスト京都教会の今週の週報巻頭エッセイです。
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「総会というキリストにある行為」
早くも2月。当教会の総会の季節です。
私たちバプテストは総会を権威とし、最高決定機関とします。
教会(教派)によっては、牧師や執事会(役員会)が決定機関であるケースもありますが、
バプテストは総会を選び取っています。
また、日本の宗教法人法でも役員会が決定機関とされますが、
バプテストはそれでも総会を選び取ります。
最高決定者とは、最終責任者と同じ者でありましょう。
つまり、その交わり、団体、教会にかかわる仲間たちの命、生活、そこにおける困窮、重荷を、
「私は共に背負う覚悟も持つ」という者のみが、決定に参与できるわけです。
すると、特に法においては、その最高決定者が必ずその責任を負うという線をはずせないため、
代表者や役員がそういう役割を持つよう定められるということもありましょう。
すると、メンバー全員による総会は、責任を負う覚悟のない者も決定権を持つ可能性がどうしても高く、
国家の法や多くの教会の法では採用できないのかも知れません。
しかし、それでもバプテストは総会を採用します。
それはバプテストが聖書の証言するキリストにこだわる教会だからと思います。
逆にいうと、キリストと異なっている現実の国家や団体の行為、方法を、キリストに従うゆえに選ばないわけです。
しかし良くも悪くも総会による決定は理想ではあれ、世の現実からすると隙だらけです。
責任が担われない決定が次々に生まれます。
当教会のこれまでの総会決議の中にも、尊重されないものは多々あります。
そういうケースでは、もしかしたら、
無意識にも最高決定機関は教会家族の総会ではなく、血縁家族や自分となる現象が起きているのだと想像します。
そしてきっとこれが国の法も知るところの
総会を最高決定機関とする最大のデメリットなのだろうと思います。
でもバプテストはそれでもなお総会を選び取ります。
それは、
総会参加者みんなが確実に
「教会共同体の仲間と運営の全責任を背負う覚悟ができている」と語る日、
つまりキリストと共に十字架を背負う行為をなすことができる日が、
必ず来る!という理想に賭けているからです。
総会は、キリスト(自分ではなく)が私たちに何を要請しているか、みんなで祈り求める場です。
総会は、この世における神の国の象徴である教会の交わりと働きと運営とが、
招かれたみんなの具体的献身と献金という責任の中で祝されていくことを、
具体的に確認し計画する場です。
総会は、当教会の交わりに招かれたみんなの顔と、これから招かれる将来のみんなの顔を想起し、
「そのみんなの命と生活と困窮と重荷を私は共に背負う」という覚悟を、
互いに響き合わせつつ、意見を交換し、事柄を決定する場です。
これらが起こされるのは、
神さまが、キリストをそのような方として、
つまり私たちの全てを身代わりとなって背負われ、それも私たちの愛がなく無責任という罪のために十字架で死なれた方として、
私たちにささげてくださっているからです。
私たちはその神の愛を受けているからです。
だから、私たちは、キリストゆえに
理想たる総会という行為に、今年も挑戦してみたいと思います。
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「総会というキリストにある行為」
早くも2月。当教会の総会の季節です。
私たちバプテストは総会を権威とし、最高決定機関とします。
教会(教派)によっては、牧師や執事会(役員会)が決定機関であるケースもありますが、
バプテストは総会を選び取っています。
また、日本の宗教法人法でも役員会が決定機関とされますが、
バプテストはそれでも総会を選び取ります。
最高決定者とは、最終責任者と同じ者でありましょう。
つまり、その交わり、団体、教会にかかわる仲間たちの命、生活、そこにおける困窮、重荷を、
「私は共に背負う覚悟も持つ」という者のみが、決定に参与できるわけです。
すると、特に法においては、その最高決定者が必ずその責任を負うという線をはずせないため、
代表者や役員がそういう役割を持つよう定められるということもありましょう。
すると、メンバー全員による総会は、責任を負う覚悟のない者も決定権を持つ可能性がどうしても高く、
国家の法や多くの教会の法では採用できないのかも知れません。
しかし、それでもバプテストは総会を採用します。
それはバプテストが聖書の証言するキリストにこだわる教会だからと思います。
逆にいうと、キリストと異なっている現実の国家や団体の行為、方法を、キリストに従うゆえに選ばないわけです。
しかし良くも悪くも総会による決定は理想ではあれ、世の現実からすると隙だらけです。
責任が担われない決定が次々に生まれます。
当教会のこれまでの総会決議の中にも、尊重されないものは多々あります。
そういうケースでは、もしかしたら、
無意識にも最高決定機関は教会家族の総会ではなく、血縁家族や自分となる現象が起きているのだと想像します。
そしてきっとこれが国の法も知るところの
総会を最高決定機関とする最大のデメリットなのだろうと思います。
でもバプテストはそれでもなお総会を選び取ります。
それは、
総会参加者みんなが確実に
「教会共同体の仲間と運営の全責任を背負う覚悟ができている」と語る日、
つまりキリストと共に十字架を背負う行為をなすことができる日が、
必ず来る!という理想に賭けているからです。
総会は、キリスト(自分ではなく)が私たちに何を要請しているか、みんなで祈り求める場です。
総会は、この世における神の国の象徴である教会の交わりと働きと運営とが、
招かれたみんなの具体的献身と献金という責任の中で祝されていくことを、
具体的に確認し計画する場です。
総会は、当教会の交わりに招かれたみんなの顔と、これから招かれる将来のみんなの顔を想起し、
「そのみんなの命と生活と困窮と重荷を私は共に背負う」という覚悟を、
互いに響き合わせつつ、意見を交換し、事柄を決定する場です。
これらが起こされるのは、
神さまが、キリストをそのような方として、
つまり私たちの全てを身代わりとなって背負われ、それも私たちの愛がなく無責任という罪のために十字架で死なれた方として、
私たちにささげてくださっているからです。
私たちはその神の愛を受けているからです。
だから、私たちは、キリストゆえに
理想たる総会という行為に、今年も挑戦してみたいと思います。










