珍しいことで大阪在住の長男から「たまには大阪で一緒に飯を食おうよ・・・」と電話をもらった。
マァ、道路の混むGWも、山岳会の春山合宿も終わったことだし、暫く遠出もしていないので頑張るか!と、家内ともどもマイカーにて出かけることとした。
折角近畿まで走るなら、こちら都合と言うのか、こちら勝手と言ったら良いのか、とにかくフリーランスの身分を活かして、車移動の気ままなスケジューリングをした。
息子は、大阪ビジネスパークにある高層ビル38階のレストランを予約済みと言ってきたので、その前後をロングドライブの中で有効活用すればよいわけである。
今回自分が考えついたプランは「一岳三山を巡るツアー」をベースにして、成り行きで味付けをしながら旅を盛り上げようと考えた訳であるが、我が家を出発して3日目に府県境をトンネルで越えて奈良県に入り、もう随分前から憧れていた秋篠の伎芸天を訪ねた。
秋篠寺 2011/05/16 am
奈良と言えば法隆寺とか、東大寺かと思いがちだが、わが国では唯一の伎芸天がおわす秋篠寺は平城京のすぐ近くで、こじんまりとした境内の中に、濃い雑木林がひっそりと残されて、木々の間には分厚い絨毯のような苔が敷き詰められている。受付を抜けて左手に大元堂を見ながら玉砂利の敷かれた境内を進むと石灯篭を正面中央に配した本堂が現れる。
右手には萌えるような芽吹きの中に結実をみせている菩提樹が植えられてすべてのカラーが落ち着いたトーンで調和している。
高い敷居を跨いで暗い土間に立つと、中央にご本尊の薬師如来坐像。その両脇には日光、月光菩薩。さらに左右に何体かの眷属が並び、それぞれに小さな説明ボードが置かれている。お堂の内はローソクのみの照明で薄暗いが、拝観者から見て一番左で入口に寄った辺りに立つ、大きく優美なお姿が伎芸天像であった。
入口からの自然光をかすかに受けて左の頬をわずかに浮き上がらせたお姿はなぜか謎めいている。天女をイメージさせる容姿と端麗さに福徳・技芸の守護神との説明が重なって、以前より抱いていた伎芸天のイメージが具現化した気持ちと成れて、心から合掌した。
作家の五木寛之さんは氏のエッセイ集の中で、伎芸天は芸術の守護神で、とくにアーティストのなかで人気が高いと書かれている。私も現役の頃はビジュアル系のワークを職業としてきた経緯もあり、今が有る。と感謝の念も含めて、このツアー一番に選んだ良き一山であった。
唐招提寺 2011/05/16 pm
昨年の一月だったが、私の所属する鹿児島山岳会が薩南の金峰山で一年の安全登山を祈願した後に、枕崎近くの草野岳で新年山行をした。500Mにも満たない小さな山で、下山後でも冬の短い日照に余裕が有り、未知だった枕崎を走ろうかと、一人ドライブに出た。
冬の海岸線は斜光が眩しいが煌めく海が綺麗だし、くねるカーブも楽しい。冬の季節だからと履いているスタットレスのキシミも心地良くなる。
暫く走ると右手の小高い丘に、ミュージアム風に大きな窓をつけた建物が見えてきた。小さな駐車スペースに車を寄せて降りてみると、坊津の鑑真記念館であった。
天平時代(753年12月)に六度目の渡日でこの浜へ上陸できたと伝わる鑑真大和上の記録が資料とともに展示されている。もう西日も落ちようとする冬の夕刻だったがレプリカながら盲目の鑑真像に出会えて、そのお顔が見せる表情の優しさに心打たれた。と記憶している。
仏教は大陸からの渡来宗教で、日本人に生きる尊さを感じさせながらも稚拙だったようだ。鑑真は時の天皇が、釈迦のお教えを活性すべく、大陸から招いた高位な僧侶だったと記録されている。さらに食文化を始め、あらゆる面での生活文化も授けてくれたと資料には記されていたが、淡海三船(オウミノミフネ)と言う方がまとめた「唐大和上東征伝」に来日の顛末が残されているそうだ。今に生きる者として深く尊崇の念を抱いてしまう。
遣唐使の時代に数度の渡日を試み、5度目のときは遭難だったのだろうが失明する。それでも宗教に対する義務感か、6度目の渡航を決意して成功したと言う。志を立ててから12年の歳月が流れていたそうだ。
66歳の鑑真が奈良東大寺で、仏教の戒律を上皇や当時の僧侶たちに授戒した。のちに戒律道場として創建された寺院が現在の唐招提寺の興りだと言う。
威圧されそうな南大門を抜けて真っすぐ進むと、大きな金堂が両手を広げたように立ちふさがる。伽藍正面に八本の列柱がモノトーンな天平様式を見せて、そのボリューム感の中に縦線を多く見せたシンプルさは国宝である事を納得させる。
多くの堂塔伽藍をもつ唐招提寺の境内を歩くと、戒壇と呼ばれる石造りの壇がある。鑑真大和上が最もたいせつに考えた処であり、多くの弟子達に僧侶の資格を授けた場でもあったそうだ。
鹿児島の小さな入江であった坊津が、鑑真の上陸地ならば、1250年も前に、奈良の都に創建された、律宗本山「唐招提寺」をこのツアー二番目の山としてリンクづけたことに価値も感じられた良い寺だった。
石山寺 2011/05/19 pm
このツアー三番目の山としては、自然景観の発達した環境の中で、梢の先に瀬田川の流れが垣間見られるような石山寺を選んだ。一つには近江と呼ばれる肥沃の地に奈良東大寺の末寺として天平時代に創建された歴史と、石光山と名付けられた山号の如く、聳え立つ巨岩(珪灰石で、国の天然記念物)上に造られた国宝の多宝塔など、季節や時間軸で移ろう琵琶湖の自然美に良くマッチしているからだ。
もう一つ、今回私が石山寺を参詣できたチャンスは40年来の親しい友人が東近江に住んでおられて、以前から拠点と成ってくれるだけではでは無く、一緒にカメラを持って案内もして頂ける、大きなサポートも要因となっている。
芭蕉は晩年になって、近江の地に居を移してまでも、近江八景を愛したと言われるが“石山の秋月”で知られる月見亭の景勝もこの寺の中に在って、源氏物語の著者である紫式部も含めた京の都人には、ずっ〜と長い間のリゾートだったのだろう。
そんな訳で当初目的の3山巡りは思い通りに完了したが、彼は安土の名宮、沙沙貴神社では満開の白花「なんじゃもんじゃ」や、東近江市の古刹である石塔寺で、これも又珍しい巨大な石の三重の塔。数えきれないほどの五輪塔や石仏群を見せてくれた。本当に何時もながら感謝の念でいっぱいである。
作家の五木寛之氏は、石山寺の参拝を済ませてから琵琶湖名物のシジミ飯に舌鼓を打ったとある。この日我々は仁王門をくぐる前の昼時にこの名物を頂いたが、シジミを炊き込んだ釜飯は香りと味が絶妙で、何れはリピーターになれればと期待している。
氷ノ山(ひょうのせん) 2011/05/21 am〜
鹿児島の我が家を出て八日目。奈良と滋賀で3山(三カ寺)+を巡った後は趣向を変えて1岳だ。昨日は琵琶湖をから北回りコースで京都北部を経由して、夕刻には兵庫県の但馬地方へと着いた。家内には疲れが少々出たように見えてきたが・・・。
夜明けとともに起きだすと、予報通りの暗い朝。七日間も動いていたが、この朝は一番暗い。幸い早朝のTV予報では日中は持つと言う。昨夜、宿のマネージャーに進められた横行コース登山口までの林道を急いだ。標高をかせぎ、期待のブナ帯にさしかかった頃から道脇に残雪が見られだし、ブナの新緑が眩しくなる。
5月は月初めのGWに北九州の英彦山々系で、新緑のブナやミズナラに出合えて感激したが、本州、それも日本海側のブナは大きくて水々しい。この時期に纏っている葉っぱも大きく活き活きとしている。林道脇に流れ出ている湧水を両手に集めた。冷たくまろやかで美味い。水分補給用と昼の調理用にと、それぞれのマイボトルを満タンにした。後で沸かすコーヒーが楽しみだ。
ダートの林道に神経を使いながら標高が1000mを超えると、数台の先行車が止められた大段ケ平登山口へと着いた。(中国山地では「山」をせん 「平」をなると読むようだ)
私は九州南部に住んで5年目となったが照葉樹の山を歩く機会が多いせいか、大段ケ平をスタートしてから直ぐの谷側に咲いていた白花をコブシと思い、なにげ無く通過したが、タムシバ(もくれん科の高木)で有ったことを忘れていた。思い出せたのは下山時に再び見て、なにかが違うと気付いてからだった。以前は月山や天元台の春スキーで、白い忍者手裏剣みたいな大輪を良く見かけたものだったが、残念ながら最近はそのチャンスには恵まれていないから忘却したか、加齢のなせることなのか・・・寂しい。
それにしても自然林が綺麗だ。最近、冬の氷ノ山はスノーシューが流行っていると聞く。日本海側は冬の季節風がもたらす豪雪で、山々の保水能力が高くなり、植生にはじっくりと水分が行き渡る。ブナ科の木々たちには最高の環境なのだろう。でも雪の重みに耐えかねて様々な樹形に育った姿も良く見かける。面白かったり、可哀相だったりするが大自然の恵みほど豊かなものは無いようだし、反面生きる者には過酷な試練を与えることも多いから怖いのだ。
50年も前の話だが、冬の八ヶ岳へ何度か連れて行かれた時代があった。雪壁クライムや縦走で、アクセスが良いからとか、晴天率が高くて良い訓練が出来るからと、折々に入山したが。当時アブラの乗った先輩たちは、小屋の多い八ヶ岳を小屋ばっかりの小屋ヶ岳だと馬鹿にしていたことを覚えている。
本当は小遣い不足で、小屋を使えない僻みが有ったのだろうと、思い出せば今でも楽しい。勿論自分もそうだったが。
お蔭で劣悪な環境でのビバーク訓練は良くさせられたものだったが、今思えば生きた青春の一コマであった気もして懐かしい。
氷ノ山も小屋の多い山だ。殆どが避難小屋であるが、私の登ったコースにも小さいながら2階に出入り口のある大屋町避難小屋。神戸大の所有であろうか、神大ヒュッテ。頂上にも山頂避難小屋、その他分岐点等に避難小屋が数か所造られている。
厳冬期や積雪期の吹雪対策であろうが、山スキーや雪山登山の人たちには、行き届いた施設があって安心できる良い山域だ。出来ればWポールでスノーシュー。私も鹿児島の仲間たちと残雪期の晴れた日にでも、再トライをしたいものだ。
お読み頂けたでしょうか。岳とお山(お寺さん)。異質のようで紐解けば共通点がいっぱい見えてくる。これも加齢が成す技か!とも、思えてきますが、私にはプランの中に好きなドライブもからませた2300kの大移動となりました。横の妻も良く付いてきてくれて、結構楽しい旅でした。
できれば時々こんなツアーができるよう、これからもスキルと体力のアップ。目標もしっかりと定めて頑張りたいと思っている。
END
マァ、道路の混むGWも、山岳会の春山合宿も終わったことだし、暫く遠出もしていないので頑張るか!と、家内ともどもマイカーにて出かけることとした。
折角近畿まで走るなら、こちら都合と言うのか、こちら勝手と言ったら良いのか、とにかくフリーランスの身分を活かして、車移動の気ままなスケジューリングをした。
息子は、大阪ビジネスパークにある高層ビル38階のレストランを予約済みと言ってきたので、その前後をロングドライブの中で有効活用すればよいわけである。
今回自分が考えついたプランは「一岳三山を巡るツアー」をベースにして、成り行きで味付けをしながら旅を盛り上げようと考えた訳であるが、我が家を出発して3日目に府県境をトンネルで越えて奈良県に入り、もう随分前から憧れていた秋篠の伎芸天を訪ねた。
秋篠寺 2011/05/16 am
奈良と言えば法隆寺とか、東大寺かと思いがちだが、わが国では唯一の伎芸天がおわす秋篠寺は平城京のすぐ近くで、こじんまりとした境内の中に、濃い雑木林がひっそりと残されて、木々の間には分厚い絨毯のような苔が敷き詰められている。受付を抜けて左手に大元堂を見ながら玉砂利の敷かれた境内を進むと石灯篭を正面中央に配した本堂が現れる。
右手には萌えるような芽吹きの中に結実をみせている菩提樹が植えられてすべてのカラーが落ち着いたトーンで調和している。
高い敷居を跨いで暗い土間に立つと、中央にご本尊の薬師如来坐像。その両脇には日光、月光菩薩。さらに左右に何体かの眷属が並び、それぞれに小さな説明ボードが置かれている。お堂の内はローソクのみの照明で薄暗いが、拝観者から見て一番左で入口に寄った辺りに立つ、大きく優美なお姿が伎芸天像であった。
入口からの自然光をかすかに受けて左の頬をわずかに浮き上がらせたお姿はなぜか謎めいている。天女をイメージさせる容姿と端麗さに福徳・技芸の守護神との説明が重なって、以前より抱いていた伎芸天のイメージが具現化した気持ちと成れて、心から合掌した。
作家の五木寛之さんは氏のエッセイ集の中で、伎芸天は芸術の守護神で、とくにアーティストのなかで人気が高いと書かれている。私も現役の頃はビジュアル系のワークを職業としてきた経緯もあり、今が有る。と感謝の念も含めて、このツアー一番に選んだ良き一山であった。
唐招提寺 2011/05/16 pm
昨年の一月だったが、私の所属する鹿児島山岳会が薩南の金峰山で一年の安全登山を祈願した後に、枕崎近くの草野岳で新年山行をした。500Mにも満たない小さな山で、下山後でも冬の短い日照に余裕が有り、未知だった枕崎を走ろうかと、一人ドライブに出た。
冬の海岸線は斜光が眩しいが煌めく海が綺麗だし、くねるカーブも楽しい。冬の季節だからと履いているスタットレスのキシミも心地良くなる。
暫く走ると右手の小高い丘に、ミュージアム風に大きな窓をつけた建物が見えてきた。小さな駐車スペースに車を寄せて降りてみると、坊津の鑑真記念館であった。
天平時代(753年12月)に六度目の渡日でこの浜へ上陸できたと伝わる鑑真大和上の記録が資料とともに展示されている。もう西日も落ちようとする冬の夕刻だったがレプリカながら盲目の鑑真像に出会えて、そのお顔が見せる表情の優しさに心打たれた。と記憶している。
仏教は大陸からの渡来宗教で、日本人に生きる尊さを感じさせながらも稚拙だったようだ。鑑真は時の天皇が、釈迦のお教えを活性すべく、大陸から招いた高位な僧侶だったと記録されている。さらに食文化を始め、あらゆる面での生活文化も授けてくれたと資料には記されていたが、淡海三船(オウミノミフネ)と言う方がまとめた「唐大和上東征伝」に来日の顛末が残されているそうだ。今に生きる者として深く尊崇の念を抱いてしまう。
遣唐使の時代に数度の渡日を試み、5度目のときは遭難だったのだろうが失明する。それでも宗教に対する義務感か、6度目の渡航を決意して成功したと言う。志を立ててから12年の歳月が流れていたそうだ。
66歳の鑑真が奈良東大寺で、仏教の戒律を上皇や当時の僧侶たちに授戒した。のちに戒律道場として創建された寺院が現在の唐招提寺の興りだと言う。
威圧されそうな南大門を抜けて真っすぐ進むと、大きな金堂が両手を広げたように立ちふさがる。伽藍正面に八本の列柱がモノトーンな天平様式を見せて、そのボリューム感の中に縦線を多く見せたシンプルさは国宝である事を納得させる。
多くの堂塔伽藍をもつ唐招提寺の境内を歩くと、戒壇と呼ばれる石造りの壇がある。鑑真大和上が最もたいせつに考えた処であり、多くの弟子達に僧侶の資格を授けた場でもあったそうだ。
鹿児島の小さな入江であった坊津が、鑑真の上陸地ならば、1250年も前に、奈良の都に創建された、律宗本山「唐招提寺」をこのツアー二番目の山としてリンクづけたことに価値も感じられた良い寺だった。
石山寺 2011/05/19 pm
このツアー三番目の山としては、自然景観の発達した環境の中で、梢の先に瀬田川の流れが垣間見られるような石山寺を選んだ。一つには近江と呼ばれる肥沃の地に奈良東大寺の末寺として天平時代に創建された歴史と、石光山と名付けられた山号の如く、聳え立つ巨岩(珪灰石で、国の天然記念物)上に造られた国宝の多宝塔など、季節や時間軸で移ろう琵琶湖の自然美に良くマッチしているからだ。
もう一つ、今回私が石山寺を参詣できたチャンスは40年来の親しい友人が東近江に住んでおられて、以前から拠点と成ってくれるだけではでは無く、一緒にカメラを持って案内もして頂ける、大きなサポートも要因となっている。
芭蕉は晩年になって、近江の地に居を移してまでも、近江八景を愛したと言われるが“石山の秋月”で知られる月見亭の景勝もこの寺の中に在って、源氏物語の著者である紫式部も含めた京の都人には、ずっ〜と長い間のリゾートだったのだろう。
そんな訳で当初目的の3山巡りは思い通りに完了したが、彼は安土の名宮、沙沙貴神社では満開の白花「なんじゃもんじゃ」や、東近江市の古刹である石塔寺で、これも又珍しい巨大な石の三重の塔。数えきれないほどの五輪塔や石仏群を見せてくれた。本当に何時もながら感謝の念でいっぱいである。
作家の五木寛之氏は、石山寺の参拝を済ませてから琵琶湖名物のシジミ飯に舌鼓を打ったとある。この日我々は仁王門をくぐる前の昼時にこの名物を頂いたが、シジミを炊き込んだ釜飯は香りと味が絶妙で、何れはリピーターになれればと期待している。
氷ノ山(ひょうのせん) 2011/05/21 am〜
鹿児島の我が家を出て八日目。奈良と滋賀で3山(三カ寺)+を巡った後は趣向を変えて1岳だ。昨日は琵琶湖をから北回りコースで京都北部を経由して、夕刻には兵庫県の但馬地方へと着いた。家内には疲れが少々出たように見えてきたが・・・。
夜明けとともに起きだすと、予報通りの暗い朝。七日間も動いていたが、この朝は一番暗い。幸い早朝のTV予報では日中は持つと言う。昨夜、宿のマネージャーに進められた横行コース登山口までの林道を急いだ。標高をかせぎ、期待のブナ帯にさしかかった頃から道脇に残雪が見られだし、ブナの新緑が眩しくなる。
5月は月初めのGWに北九州の英彦山々系で、新緑のブナやミズナラに出合えて感激したが、本州、それも日本海側のブナは大きくて水々しい。この時期に纏っている葉っぱも大きく活き活きとしている。林道脇に流れ出ている湧水を両手に集めた。冷たくまろやかで美味い。水分補給用と昼の調理用にと、それぞれのマイボトルを満タンにした。後で沸かすコーヒーが楽しみだ。
ダートの林道に神経を使いながら標高が1000mを超えると、数台の先行車が止められた大段ケ平登山口へと着いた。(中国山地では「山」をせん 「平」をなると読むようだ)
私は九州南部に住んで5年目となったが照葉樹の山を歩く機会が多いせいか、大段ケ平をスタートしてから直ぐの谷側に咲いていた白花をコブシと思い、なにげ無く通過したが、タムシバ(もくれん科の高木)で有ったことを忘れていた。思い出せたのは下山時に再び見て、なにかが違うと気付いてからだった。以前は月山や天元台の春スキーで、白い忍者手裏剣みたいな大輪を良く見かけたものだったが、残念ながら最近はそのチャンスには恵まれていないから忘却したか、加齢のなせることなのか・・・寂しい。
それにしても自然林が綺麗だ。最近、冬の氷ノ山はスノーシューが流行っていると聞く。日本海側は冬の季節風がもたらす豪雪で、山々の保水能力が高くなり、植生にはじっくりと水分が行き渡る。ブナ科の木々たちには最高の環境なのだろう。でも雪の重みに耐えかねて様々な樹形に育った姿も良く見かける。面白かったり、可哀相だったりするが大自然の恵みほど豊かなものは無いようだし、反面生きる者には過酷な試練を与えることも多いから怖いのだ。
50年も前の話だが、冬の八ヶ岳へ何度か連れて行かれた時代があった。雪壁クライムや縦走で、アクセスが良いからとか、晴天率が高くて良い訓練が出来るからと、折々に入山したが。当時アブラの乗った先輩たちは、小屋の多い八ヶ岳を小屋ばっかりの小屋ヶ岳だと馬鹿にしていたことを覚えている。
本当は小遣い不足で、小屋を使えない僻みが有ったのだろうと、思い出せば今でも楽しい。勿論自分もそうだったが。
お蔭で劣悪な環境でのビバーク訓練は良くさせられたものだったが、今思えば生きた青春の一コマであった気もして懐かしい。
氷ノ山も小屋の多い山だ。殆どが避難小屋であるが、私の登ったコースにも小さいながら2階に出入り口のある大屋町避難小屋。神戸大の所有であろうか、神大ヒュッテ。頂上にも山頂避難小屋、その他分岐点等に避難小屋が数か所造られている。
厳冬期や積雪期の吹雪対策であろうが、山スキーや雪山登山の人たちには、行き届いた施設があって安心できる良い山域だ。出来ればWポールでスノーシュー。私も鹿児島の仲間たちと残雪期の晴れた日にでも、再トライをしたいものだ。
お読み頂けたでしょうか。岳とお山(お寺さん)。異質のようで紐解けば共通点がいっぱい見えてくる。これも加齢が成す技か!とも、思えてきますが、私にはプランの中に好きなドライブもからませた2300kの大移動となりました。横の妻も良く付いてきてくれて、結構楽しい旅でした。
できれば時々こんなツアーができるよう、これからもスキルと体力のアップ。目標もしっかりと定めて頑張りたいと思っている。
END











の写真を見てる感覚になりました。不思議^m^
しょうじょうばかまの花、初めて見ましたがよ〜
華やかな花ですね〜(^^♪どの写真も素敵で、梅雨だけどどこかに出かけたくなりました(^u^)
おっと、そうだった、赤いザックカッコイイですね
ヽ(^o^)丿
前半は古寺巡礼、後半は氷ノ山の自然 いづれも新緑にどっぷりと身を置いた旅は羨ましい限りと夫婦で見たよ!
秋篠寺、唐招提寺どちらも行きたいと思っているお寺さんで秋にでも行こうかという気分です
素晴らしい写真のオンパレードだね!!!
二人でまた来て下さい・・・待ってるよ!
氷ノ山は大家の方から登られたのですね、私の山菜採りと渓流釣りは引原湖に流れ込む源流を目指して登ります、クマが出るので入山禁止の看板があちこちにあります、最初は怖かったのですが慣れたら気にもなりません
昨日も引原までタケノコとりに行って来ました。圧倒的にクマよりイノシシのほうが多いようです、猪のおこぼれ頂戴でした。
私、「鹿児島写真撮影スポット」の管理人のmt.sakurajima1117と申します。
急なお願いで大変恐縮ではございますが、本日、相互リンクのお願いに上がりました。
立ち上げて3週間余りの稚拙なサイトですが、リンク集の末端に加えて頂ければと思います。
先にこちらのページへ「山紫水明」のリンクを貼らせて頂きましたので、御確認下さい。
http://kagoshima600km.blog.fc2.com/blog-category-1.html
なお、こちらのサイトは以下のように紹介して頂ければ幸いに存じます。
サイト名:鹿児島写真撮影スポット
リンクページ:http://kagoshima600km.blog.fc2.com/
これからサイトの充実を図っていきたいと思いますので、温かい目で見守って頂ければ有難く存じます。
よろしくお願い致します。