病後のリハビリと、正月の退屈をしのごうと、2日は新年らしい好天の中で、日南の飫肥に遊んだ。帰路の途中で、内之浦に宿を取り、3日には九州本土最南端の佐多岬へ向かった。
古い話で恐縮するが、横浜市生まれの私が小学生の頃の遠足で、浦賀水道(神奈川県横須賀市)を照らす観音崎灯台へ行ったことがある。戦後10年にも満たない頃のうろ覚えだが、小高い岬の突端で、群青色の海原を背景にした灯台内部の窮屈なスペースで、光源となるランプや、分厚いレンズを見学したはずだ。
2006年春に鹿児島県へ移住して、一度は行かなければ、と思っていたし、期待もしていた佐多岬は生憎のしぐれ模様で、紺碧な海原に浮ぶ岩礁に建つ白亜の灯台が、煌めきながら目に入ってくる光景は、空想と期待だけに終わってしまった。
でも、観音崎灯台も含めて、ここ佐多岬など8ヶ所の灯台が、江戸末期の頃に、アメリカやイギリス。フランスとオランダなど4ヶ国との約束によって、来日する船舶の航路標識として設置されたと、このドライブで60年ぶりに復習できた。
佐多岬は、海の安全を守る部分では、歴史的とも言える灯台が設置されていると共に、霧島屋久国立公園内でもあり「佐多岬展望公園」としている。
ただ、この日の佐多岬は、季節的な寒々しさが増幅したか、荒廃したレストハウスらしき建屋も含めて、余りにも荒涼とした様子に驚かされた。
有名観光地でありながら、人との出会いは少なく、シンボルツリーだろうか、大きなガジュマルの見られる駐車場付近では、集団で出没するニホンザル達の多さに、異様さを感じてしまった。
リハビリドライブの写真はPICASAでどうぞ
古い話で恐縮するが、横浜市生まれの私が小学生の頃の遠足で、浦賀水道(神奈川県横須賀市)を照らす観音崎灯台へ行ったことがある。戦後10年にも満たない頃のうろ覚えだが、小高い岬の突端で、群青色の海原を背景にした灯台内部の窮屈なスペースで、光源となるランプや、分厚いレンズを見学したはずだ。
2006年春に鹿児島県へ移住して、一度は行かなければ、と思っていたし、期待もしていた佐多岬は生憎のしぐれ模様で、紺碧な海原に浮ぶ岩礁に建つ白亜の灯台が、煌めきながら目に入ってくる光景は、空想と期待だけに終わってしまった。
でも、観音崎灯台も含めて、ここ佐多岬など8ヶ所の灯台が、江戸末期の頃に、アメリカやイギリス。フランスとオランダなど4ヶ国との約束によって、来日する船舶の航路標識として設置されたと、このドライブで60年ぶりに復習できた。
佐多岬は、海の安全を守る部分では、歴史的とも言える灯台が設置されていると共に、霧島屋久国立公園内でもあり「佐多岬展望公園」としている。
ただ、この日の佐多岬は、季節的な寒々しさが増幅したか、荒廃したレストハウスらしき建屋も含めて、余りにも荒涼とした様子に驚かされた。
有名観光地でありながら、人との出会いは少なく、シンボルツリーだろうか、大きなガジュマルの見られる駐車場付近では、集団で出没するニホンザル達の多さに、異様さを感じてしまった。
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| 北緯30度59分10秒 |











