katano紀行

大自然と仲良し、写真でブログ

甑岳とえびの岳

2012-04-30 16:09:58 | Weblog
今朝(4/30)の新聞に、登山規制中の4月28日に高千穂峰で起きた、男女の遭難が報じられた。入山したのは地元宮崎市職員で19歳の男性と知人の女性20歳とある。二人は道に迷い携帯電話で119にダイヤルしたと言う。二人は同日中に県防災課のヘリコプターで無事救出されたが入山規制については「知らなかった」と話しているようだ。
昨年来霧島の規制エリア内の各登山口には「規制のお知らせ」を掲示するだけではなくロープや鎖等のゲートも設置されている筈である。ましては地元自治体の職員が、知らなかったでは済まされない事である。
当節は腑に落ちない話が多いが、世の中に「甘やかし」がはびこる事だけは、お互いが避けたいものだ。

          

私はこの騒ぎの一日前の早朝に、巻雲棚引く韓国岳を横目にして「甑岳」に登った。頂上の火口湿原では青空を映し込む池塘の変化や、竜胆の群落に遊び、下山後には「えびの岳」へも足を延ばして大自然を満喫した。途中では黄色の房状に開花した霧島ミズキ。純白の花びらを集合させたオオカメノキ等々、季節感とこの日の時間軸の移ろいをしっかりとデジカメに記録して帰路についた。

          

4月27日の甑岳とえびの岳の写真はPICASAのスライドでどうぞ・・・

          
甑岳・えびの岳

 

          
        
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春の彩り

2012-04-04 20:21:37 | Weblog
もう随分前に聞いて良く口ずさんだ曲で、チェコ(ボヘミア)民謡の“おゝ牧場は緑♪♪”が流行った。もう半世紀も前に、私もテントの中で仲間と歌ったものだったが・・・

ちょうど溝辺の台地はファームが多く、縦断する網掛川が龍門滝となって、姶良の平野部に注ぎ込んでいる。ここは幅が43メートル、落差は46メートルもある大岩壁で、飛沫を上げながら轟音とともに滑り落ちる純白な瀑布は豪快で「日本の滝百選」にもチョイスされた名瀑と成っている。

         

2月26日以来の滝見台。あれから5週ぶりに滝見台に来た。今日はエープリル・フールらしい春の陽光を思いっきり透過で見せる県木(楠)の若葉が輝いている。満開桜の枝越しに滝上部の岩場、まるで剣道の面に似たような凸部だけに当たる光が素晴らしい。

龍門滝は少々の飛沫を浴びてしまうが、滝壺の水面ギリまで降りられる。当然のごとく豪快さは数段高まり、カメラワークも楽しさが増してくる。

昨夜NETでポイント探しをしたが、ここから近場で桜島に対峙する公園が有った。加治木町では桜の名所でも有るらしい。おお・・・ナビで探せた。鹿児島生まれの家内も知らないと言うガ。

名が「高岡公園」小高い丘の上だ。この時期で日曜日、家族連れで賑わっている。姶良市内でこんな人出は珍しい。
青空にソメイヨシノの淡いピンクが揺れている。歩くにつれて、そよ風にそよ・ぐ楓の若葉達が綺麗。赤く輝く芽吹きか、花か!是非スライドで見て欲しい。

若草の土手には竜胆が群落状態、これは可憐だ。枯葉を押しのける濃い紫、こっちの竜胆もカシャ。

     

今日は何回目かと気になる噴火。車好きとして、降灰に泣かされる日も有る鹿児島居住であるが正面に眺めれば、やっぱり豪快。カッコいい。

サァ帰ろうか…と、帰路の畑では葱坊主。白い頭は小花の固まりらしい。もう油絞りも真近かと言うが、菜の花畑では黄色味が少々濃いようだ。

おわり

春の好日。カラフルな彩りはPICASAのスライドで・・・

春の彩り
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2012-03-27山桜開花

2012-03-31 13:14:33 | Weblog
          

(白銀坂から重富干潟へ)

3月中旬に私の居住する鹿児島県姶良市の内、歴史の石畳道として親しんできた「白銀坂」と途中の展望スペースから望める「重富海岸」一帯が、「屋久・霧島国立公園」の再編に伴う指定エリアの変更で、新たに「霧島・錦江湾国立公園」が誕生して編入された。
今回の編入は、2万5千年前に相次いで発生した大噴火で形成された姶良カルデラの学術的価値や錦江湾独特の生物。カルデラ外輪山からの湧水の流れから始まる思川火口の干潟である重富海岸一帯。
歴史的、文化的価値を残しながらも照葉樹林など、多くの貴重な植生も残す白銀坂。
移住して5年の間、何度も登って、多くの自然に遊ばせてもらった場所であったが6年目にして、お気に入りのフィールドが国立公園に編入されたなんて、私には素晴らしい。

          

ヤマザクラ(山桜、学名:Prunus jamasakura)はバラ科サクラ属の落葉高木。日本の野生の桜の代表的な種で、サクラの仲間では寿命が長く大木になる。ヤマザクラを原種として品種改良された種も多い。多くの場合葉芽と花が同時に展開する(開く)ので、これがソメイヨシノと区別する大きな特徴となる。日本、台湾、韓国、北朝鮮に分布。開花時期は3〜4月頃。・・・とWikipediaにある。

一般的に開花の後に芽吹く桜の新芽は若草色だが、開花より一足早く芽吹く山桜は若葉に赤みが多く表れて、日照を浴びた紅葉のように綺麗だ。そして心もち小振りか、純白の花弁とのミックスが醸し出す美しさは、街では見られずに山の中を歩く者だけに喜びを振舞ってくれる。

          

山を登って海岸を歩ける。こんな欲張った楽しみは何処でも出来る訳では無い・・・。と、私の長〜い、山登り人生では思ってきた。でも南九州の低山では、こんな楽しみが普通のようだ。

「オジちゃん、こんにちは〜」
先ほど来、干潟で遊んでいた小学生から声がかかる。
都会に近い処ではあり得ないことだろう。でも、すご〜く自然に感じる。ジジイとしては、嬉しさを感じながらも自然体でなければ・・・と対応に緊張してしまう。

見事に開花した山桜と小学生が遊ぶ干潟の写真はPICASAのスライドで・・・
               
2012-03-27beautifulYAMAZAKURA
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金縷梅咲く頃

2012-03-23 16:03:38 | Weblog
          

タイトルで何やら難しい漢字名を使ってみました。調べてみると、マンサク科の落葉小高木とある。そして語源は明らかでないけれど早春に咲き始めることから、「まず咲く」「まんずさく」が、東北地方で訛ったものと言われているようです。
ここ霧島で咲くマンサクは、大浪の池周遊コースが有名なのですが、残念ながら今は新燃岳の噴火による規制で入山が出来ません。

3月20日、春分の日。夕食時に天気予報を見ながら・・・
「おォ〜明日は最高!!マンサク撮ってくる・・・一人で行くから留守番してね!」
と霧島行を宣言。カメラ類と山道具、いつものことながらウキウキしながら準備を始める。

霧島市溝辺のキャベツ畑を通る時は無風快晴、気温が1.5度。連山のシルエットが素晴らしい。10日前にもここでシャッターを切った。あの時はモルゲンロートっぽくピンクに染まった霧島連山だった。

8:30韓国岳が朝日に輝いている。野生鹿が迎えてくれる、やはり10日前と同じパターンだ。えびの高原の空気が冷たく、凛としている。今日も山はご機嫌が良いようだ。

県道1号線脇、土手の入山口に霜柱が立っている。ここも前回と同じだが今回は一人歩きだ、平日の山はド・ピーカンに晴れ上がっても貸切状態で静かだ。サア今日はマンサクに出合えるかな・・・楽しさも増してくる。

さて、えびの岳の話に戻るが、実はこの山。国土地理院の25000分の1地図には三角点と1292.7mの標高表記はあるが、山名は載っていない。そこで、三省堂発行の「日本山名事典」で調べると「1293m宮崎県えびの市と鹿児島県霧島市の境。霧島山北東部えびの高原にある。」と書かれている。いずれにしても今回の新燃岳噴火が発生しなかったならば、あまり知られずに、ずーと静かな良い山だったのだろう。

自分にはお気に入りの山となりました。写真はPICASAのスライドでどうぞ。

          
まんさく咲く頃
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2012.03.14枕崎へドライブ

2012-03-15 20:52:15 | Weblog
          

「晴れたら何処かへ」最近こんな病気に罹っています。それも症状の中に焦りさえ感じる場合があるのです。これって朝起きて思い立つとき、前夜の天気予報に背中を押されるとき。などなど・・・色々なパターンが有ります。この症状は私が思うに、一生懸命に働いて、働いて・・・みたいな時代をリタイアして10年以上も経った今だから発症したのだろうと、勝手に思い込んでおります。どうもシニア世代になりながら、欲ばりのようですが・・・

随分昔の話です。バブリーと言われた、ちょっと不健全な時代に、都内の飲み屋で流行りだした焼酎の中に、さつま白波と呼ばれたブランドが多いに目立ち、そのラベルにはキープした人の名前が、マジックインクで大げさに書かれていたと記憶しております。
実は当時の私も、夜ごと飲み屋通いみたいな頃がありまして、色々な方々と良く酒を酌み交わしたものでした。
私の場合は仕事の関係で地方へ出向いたとき、ないしは登山の帰り道に山麓の各地で、地酒とか、銘酒とか表現される、美味しい清酒と肴やご当地料理を追っかけたものです。そうそう、蔵へ入って試飲も随分したもんです。
そんなことで焼酎にはあまり馴染んでいなかったのですが、昨日の枕崎ドライブで素晴らしい焼酎蔵を覗かせてもらいました。なんと、この蔵は多くのサラリーマンをとりこにした、さつま焼酎白波を醸していた蔵だったのです。

枕崎と言えば鰹節で、質も生産量も日本一だと聞いております。私としては初めての枕崎。焼酎蔵だけに燃えている場合では無かろうと、観光センターに立ち寄って、ボランティアガイドさんからヨカトコ情報をもらいました。

漁港や名勝、お魚センターで味わった漁師料理。それに我が国最南端の駅。半島の突端で活気も感じる良い街を歩いた日帰りドライブでした。

自分にはお気に入りの街となりました。写真はPICASAのスライドでどうぞ。
枕崎に遊ぶ


またそのうちに行こ〜と・・・


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2012 03 10 霧島えびの岳で森あるき

2012-03-11 19:21:54 | Weblog
         

どうやら春の長雨も上がった模様だ。でも新燃岳の地下では依然として、マグマの活動なのか蓄積なのか、まだまだ予断を許さぬようだ。

折角の好天に、思いきり霧島の山々に浸りたいと願っているのは私だけでは無かろうが、ダメなものはダメで、メインの山岳は諦めて「えびの岳/1293m」へ向かった。
去年の春に登山規制が始まって登山者が増えたのだろうか、県道1号線の脇から登る入山口のふみ跡が顕著になっている。

         
         枝振りは森のコンダクターのようだ

自分がこの山を登るのは一昨年の暮れいらいで、2度目となるが、イメージとしてはマイナーな山で、人気度も低いし、ガイドブックにも取りあげられない静かな低山であった。しかしこの日は、春の日照が森を輝かせ、背後に聳える韓国岳を一際大きく見せてくれている空気は、昨年の後半を思いも寄らない疾病で療養をしいられた以来のこととなり、久々の山歩きが楽しい。

私が森を好きになったきっかけは、白神山地が自然遺産に指定されて間もない頃で、瑞々しいブナの新緑に魅せられた時からだったし、屋久島の奥岳や伊豆天城山の森林帯で、森の良さ、優しさを自らインプットできた時に森歩きの魅力が倍加した事だった。

         

大自然がアーティストなのか、森が彫刻家なのか、森を歩くと、樹木の風化。コケ類の造形。アートを感じる作品は沢山見つけられる。そんな積もりで私の森歩きはスローであるが、カメラ目線は絶えず忙しい。でもカシャと切ったデジタル画像をイメージ通りに作画することは中々難しいものだ。

         
         まるで草月流、勅使河原○○先生のようだ

         

もっと沢山の「えびの岳アート」をご覧になるにはpicasaでどうぞ

えびの岳で森あるきpicasa







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加治木町史跡めぐり一万歩ウオーク

2012-02-29 16:55:13 | Weblog


2月26日、日曜日であったが空模様はあまり芳しくない。でも家に居るよりはと「加治木町史跡めぐり一万歩コース」へトライした。
エリアは市街地でありながらスタート地点の駐車場はフリーである。田舎のメリットかと思うが、有りがたいことだ。傍らでは大輪の椿が真っ赤に開花している。これから始まるウオーキングを明るくも楽しくもしてくれるようなパワフルな赤だ。

               

先ずは滝見台へ登った。正面には白糸を幾筋も、と言うより細い糸、或いは束ねた糸を勢いよく落とし込むような美しい瀑が観られた。

龍門滝は日本の滝百選にも選ばれた名瀑となるが、鹿児島県が整備した県民の森周辺の山々からの流れを集めた網掛川の流域となる。
実はこの名瀑。背後の山々が浅いせいか、堂々と流れる時、細々と流れる時、枯れてしまう時。時期や雨量によって変化が激しいのだ。春の花々も咲ききれない今、そんなことを想いながらのどかな川沿いを歩いた。左手に加治木中学校が見えてきた。校舎の見かけに味わいが感じる、なにか上手くローカルカラーを表現している・・・良い学び舎だ。

Spot 1
この日の第一のポイントは春日神社だ。加治木中学の校門前、川を挟んで右手に小さな森が見えてきた。どこから見ても鎮守の森って雰囲気がする。マップを見ると正解だ。橋を渡るとすぐに真っ赤な鳥居が目に入って来た。近づくと、鳥居脇に石造りの仁王像が立っている。自分の人生、今年は6廻り目。今までに大勢の人達と出合っているが、誰かに似ている。とにかく表情がユニークなのだ。ウ〜ン・・・

          

境内には社務所らしき建屋もあるが宮司さんは不在なのか、無人なのか。とにかく小さな森の中の社と言った雰囲気の中は静けさと、塵一つ見当たらない境内が心地良い。東京にも春日町も春日神社もあるし、奈良公園の春日大社は世界遺産だ。神様同士に繋がりが有るのだろうか。次ぎへの移動にも真っ赤な鳥居をくぐる。でも、あの表情は誰だったのか!結局は思い出すことは出来なかった。

Spot 2
二つ目の見所を訪ねるルートは、小奇麗な住宅地を抜けて、川幅の広がった網掛川に寄って行く。そこで出会ったのは金網の中に鎮座した石神様だった。思わず「コンチハ〜狭っ苦しくないですか・・・」と声を掛けながらシャッターを押した。でも女性かなと思わせる神様は和やかな表情で、行き交う人たちに笑顔を見せていた。

          

いつのまにか合流した国道10号線を加治木小学校の校庭沿いに折れて、ちいさな路地へと入ったが、観光地図をなぞっても方向が定まらない。これと言った目印が見当たらない。さあ、どうしようと悩んでいると
「どちらをお探しですか・・・」 私の背中の方から声がかかった。
私が振り向くと、相手は黒いタクシーの運転席から身を乗り出すように笑顔を見せている。
「亀の墓!で・・・良いんですかねぇ・・・読み方は?」 と私
「あァ・・・カメバカですヨ。あの山の中にカメの墓が有ります。行かれて見て下さい。ワッゼエ立派な墓ですヨ・・・」 と、方言も交えて2、3百メートルもかなたの森を指している。私と同年配か、もう初老って感じのするタクシードライバーが車を止めて教えてくれた。ちょっと脇道ではあるが、自動車道の真ん中でこんな親切! 田舎とは言え、ありがたいことに感激する。

          

ここには島津都美夫人の墓と記した案内板があった。都美夫人は垂水島津家から嫁いできた姫だったが、島津家25代の太守重豪の生母だそうだ。夫人は男子を産み落としたその日の内に亡くなって悲劇の人となったが、幼名を善次郎、成人して重豪と名を改め、太守となった重豪が、母の33回忌に建てた墓だそうだ。
亀を礎にした碑は“亀趺碑”とよばれ中国、朝鮮半島からの渡来文化のはずだが、尊崇すべき人を顕彰する意味が有るようだ。それにしても33歳にしてこのような墓を造営し、供養したと言う。現代では考えられない事が出来てしまう封建と言う時代に違和感をもってしまう。

          
          島津都美夫人の墓

Spot 3
さて三つ目は、伊勢神宮では無く伊勢神社。右手には田圃が大きく広がり、左側には農家が並ぶ細道を進んだ。4,5日暖かい日が続いたからか、畔では蓮華の花が咲きだしている。直ぐ近くでは表情豊かに「どうぞ、寄ってって下さ〜い・・・」と言ってるような田の神さ〜にも出合ったが、田舎の良さをまた発見した感じだ。

                    

          

           
暫く行くと赤い鳥居が見えてくる。三重県伊勢神宮から勧請した天照大神と書かれており神殿には錠がかかっている。ガラス越しに中を覗くと神様が綺麗で、カシャっと一コマ失礼した。

          
      
          

Spot 4
文禄・慶長の役は1590年代に豊臣秀吉が起こした朝鮮との戦役だが、当時の大名として島津氏も渡海し戦っている。
そして凱旋したが完勝とは言えず、ましては朝鮮半島が相手では領地分配も無い。九州の大名たちは競って文化を持ち帰っている。陶芸もあった。そして加治木には人質にしたのだろうか、朝鮮国の皇子を連れ帰っていたそうだ。「鴻の巣園跡」と記されているこの場所は皇子の収容場所だったようだ。今では単なる空き家が一軒、それも荒廃している。ただ季節の証しか、寒空の中ではあったが、紅梅が見事に開花して、見映えと匂いで歓迎してくれた。

          

Spot 5
先ほどから展開していた右手の田園風景は一層開けて明るい景色へと変わり、いつの間にか九州道の加治木インターも見えてきた。左手には臼杵か大谷のような磨崖仏が現れそうな断崖が現れている。ここでは仏こそ掘られてはいないが、今日の五つ目のスポットとなる。ちょっと唖然とする原風景の中となるが、小さなお堂に木彫の薬師如来像が安置されているそうだ。
          
                
          
そこに着いて先ず合掌した。いつ頃に、誰の作だか、見当もつかないが、その風化の度合いがとにかく凄い。磨崖の迫力とともに一見の価値は大ありだ。

          

Spot 6
朝スタートしてから5キロ半くらいは歩いたか、鹿児島がいきなり豊後国東のように変身している。
岩屋寺跡は一山全体が苔むしている。いかにも聖地だと思わせるが、仏教遺跡が残っていても不思議は有るまい。でも、廃仏毀釈の本家みたいな鹿児島だ。奥に踏み入れば廃仏運動の凄さが今でも伝わってくる。やはりあの頃は、国の中全体に狂気があったのか。と、思わせられる遺跡だ。合掌・・・

          

ここの仏像が明治初年に起きた「廃仏毀釈」の被害にあい、首を落とされ、寺は焼かれてしまったと言う。
岩屋寺は島津家とのかかわりが強く、1627年に修復された記録が残り、そのときの住職、頼昌法印の石坐像が磨崖をくりぬいた中に残っている。この坐像だけが唯一首を落とされずにお姿を保たれている。
全山に霊験あらかたなる気を感じる。まさにパワースポットである。鹿児島に移住して5年、初めて文化的遺産に触れられた気がする。

          

Spot 7
さて、もう一つ。今日最後のスポットは隈媛神社を詣でることで健康一万歩コースを締め括れる。
鹿児島県内には神社が多い、と思っている。移住して5年、鹿児島山岳会の会員となり随分県内各地の山を登ってきたが、様々な鳥居に出合っている。ユニークだったのは三重岳だったか、水道工事材料になる太目の塩ビパイプを用いたもの。竹の丸太製、と言うかな?のもの。もちろん木製も有ったが、正に素人の手作り調のもの等々だ。でも今日の加治木町内では、それぞれ立派な鳥居が目を引いた。ここ、隈媛神社も真っ赤な鳥居だ。それも、なかなか立派な鳥居だ。左脇には仁王なのか、ちょっと首を傾げたくなるような石像も立っている。表情がユニークと言うよりめっぽう愛嬌があるのだ。

          

隈媛は、戦国の時代だったのだろうが、肥後の人吉から輿入れした姫だそうだ。そしてその時代らしく悲劇な一生を終えている。横で家内が案内板をよんでいたが、封建時代の女性は自分ではどうにもならない社会の仕組みの中で、辛い生涯を終えた方が多かったようだ。

とにかく一日を良く歩いた。神や仏に沢山出合い、手をたたき、合掌もできた。今日は意義深い良い一日であった。

史跡めぐりの写真はpicasaでどうぞ・・・

加治木史跡めぐりpicasa





          

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2012 02 20 重富干潟

2012-02-25 13:38:40 | Weblog
    


2月20日月曜日であったが、良く晴れ上がった陽光が眩しい。そうだ“たまには海辺で遊ぼう”と思い立ち、市内の浜辺へ向かった。
実は最近、海域カルデラなどと言う言葉を耳にした。九州に来て数年、カルデラと聞けば阿蘇と思っていたから、なにか異質に聞こえていたが話をたどれば自分の居住する域内の海辺が話題になっているらしい。何でも、国立公園のエリアに見直しが始まって、太古の噴火によって形成された姶良カルデラと錦江湾がオーバーラップする辺りに脚光が当たってきたと言うのだ。
詳細は環境庁発信の情報等を地域新聞社のホームページで見られるが、干潟の自然保護が今より進むことは良いことだ。特に一帯が商住地域に直結しているので地域一体型の環境整備がなされることに期待もしたい。

     

昼間のほぼ一日を干潟で過ごした。ランチも自前であった。散歩なのかウオーキングだろうか、数人の方とお会いしたが、山でも海でも自然にふれる人たちは美しい。

     

     
          
     

重富干潟 写真スライドはpicasaで 
         
重富干潟


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2012 02 12鹿児島でレトロ

2012-02-14 20:12:32 | Weblog



我が家から鹿児島市内へのアプローチで、国道10号線の狭い路を、そろそろ市内という頃に、トンネル入り口が見えてくる。左手に目線を振ると、ファミレスの裏手にもの寂しげな洋館が目に入ってくる。
自分の移住以来ズーと気に成っていたし、興味も感じていたら、写真集の九州原風景や他の九州内発行の写真集で「旧鹿児島紡績所技師館」通称では異人館と呼ばれるレトロな建造物のページを見つけた。

鹿児島は維新前後の混乱期まで、他県(他藩)はおろか、外国からも攻め込まれた経緯が無く、江戸期を通じて、兵が強いと敬遠されがちな南国の雄藩であった。そんな田舎の大名行列が、横浜郊外生麦村で、イギリス人のグループの何人かを、無礼討ちと言う武士の倣いで切り捨ててしまった。(生麦事件・文久2年8月1862)
翌、文久3年夏には、鹿児島湾に侵攻して事件の解決を迫るイギリス軍との間で初めて戦闘が開かれる。陸から幼稚な砲台で応戦する中、敵の艦砲による猛攻を見せつけられた薩摩軍は目から鱗が落ちるがごとくに、文明開化への舵をとったようだ。

        
エントランスを突き出し部にして特徴付けた洋館造り

この洋館、今では国の重要文化財と指定されているが、薩英戦争後の文明開化策の中で、日本最初の洋式紡績工場となった、鹿児島紡績所の英国人技師達の宿舎から始まり、維新後には明治天皇も行幸された記録も残っている。

明治10年勃発の西南戦役では、負傷兵の病院として使用されている。その後、鶴丸城本丸跡へ移築されて鹿児島学校の一部として、若者育成のステージとしても一役買っているが、昭和11年に現在地へ再び移築されて、鹿児島市の管理となっている。
太平洋戦争後は進駐軍宿舎として接収されてしまうが、昭和26年に返還されてからは今日まで鹿児島市の文化遺産として保存されて来たようだ。
そんな数奇な運命を背負ってきた洋館だと知ったが、これからも知人や友人が来鹿の折りには、案内をしてみたいスポットだ。


異人館の写真はPICASAでどうぞ
鹿児島異人館(旧鹿児島紡績所技師館)
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2012.02.11春を探しに外輪山

2012-02-13 15:37:23 | Weblog

藺牟田池外輪山(中央は薩摩富士とも呼ばれる飯盛山)

今年の冬寒は厳しいですね。小生も、今冬の寒さが身に沁みて、外での遊びが半減でした。でもジッとしていても寂しいし・・・と思い、代わり映えも無い近場で、昨年末以来の低山歩きをしてきました。
この日の鹿児島地方は久々に晴れ上がり、雲一つ無い好天に、朝のうちは少々肌寒さも感じるスッキリとした祭日でした。だからと言って登山者に行き交うようなエリアでもなく、カルデラの小さな湖面が光る眩しさと、イヤホーンから聞こえるジャズを楽しみながら歩き出した山登りでした。


鹿児島県の山は森が多く枝密度が濃い(片城山直下で)

藺牟田池はカルデラで、湖面の標高が295m。最初に取りついた片城山の標高が509m、差し引いた登降差が214m。頂上に着いても眺めが無い。登山者も居ない。それでも縦走路の中では貫禄の主峰です。509メートルの標識をカシャ!! 鹿児島県の山は森が深い。枝密度の濃い中で木漏れ日を見ているだけでも癒されます。ヤッパ自然って素晴らしい。

          
           霧島大浪池とも伝説でリンクする

2012.02.11の写真はPICASAでどうぞ
藺牟田池外輪山


2011.10.15 外輪山、森と展望の写真はPICASAでどうぞ
外輪山、森と展望


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