2月26日、日曜日であったが空模様はあまり芳しくない。でも家に居るよりはと「加治木町史跡めぐり一万歩コース」へトライした。
エリアは市街地でありながらスタート地点の駐車場はフリーである。田舎のメリットかと思うが、有りがたいことだ。傍らでは大輪の椿が真っ赤に開花している。これから始まるウオーキングを明るくも楽しくもしてくれるようなパワフルな赤だ。
先ずは滝見台へ登った。正面には白糸を幾筋も、と言うより細い糸、或いは束ねた糸を勢いよく落とし込むような美しい瀑が観られた。
龍門滝は日本の滝百選にも選ばれた名瀑となるが、鹿児島県が整備した県民の森周辺の山々からの流れを集めた網掛川の流域となる。
実はこの名瀑。背後の山々が浅いせいか、堂々と流れる時、細々と流れる時、枯れてしまう時。時期や雨量によって変化が激しいのだ。春の花々も咲ききれない今、そんなことを想いながらのどかな川沿いを歩いた。左手に加治木中学校が見えてきた。校舎の見かけに味わいが感じる、なにか上手くローカルカラーを表現している・・・良い学び舎だ。
Spot 1
この日の第一のポイントは春日神社だ。加治木中学の校門前、川を挟んで右手に小さな森が見えてきた。どこから見ても鎮守の森って雰囲気がする。マップを見ると正解だ。橋を渡るとすぐに真っ赤な鳥居が目に入って来た。近づくと、鳥居脇に石造りの仁王像が立っている。自分の人生、今年は6廻り目。今までに大勢の人達と出合っているが、誰かに似ている。とにかく表情がユニークなのだ。ウ〜ン・・・
境内には社務所らしき建屋もあるが宮司さんは不在なのか、無人なのか。とにかく小さな森の中の社と言った雰囲気の中は静けさと、塵一つ見当たらない境内が心地良い。東京にも春日町も春日神社もあるし、奈良公園の春日大社は世界遺産だ。神様同士に繋がりが有るのだろうか。次ぎへの移動にも真っ赤な鳥居をくぐる。でも、あの表情は誰だったのか!結局は思い出すことは出来なかった。
Spot 2
二つ目の見所を訪ねるルートは、小奇麗な住宅地を抜けて、川幅の広がった網掛川に寄って行く。そこで出会ったのは金網の中に鎮座した石神様だった。思わず「コンチハ〜狭っ苦しくないですか・・・」と声を掛けながらシャッターを押した。でも女性かなと思わせる神様は和やかな表情で、行き交う人たちに笑顔を見せていた。
いつのまにか合流した国道10号線を加治木小学校の校庭沿いに折れて、ちいさな路地へと入ったが、観光地図をなぞっても方向が定まらない。これと言った目印が見当たらない。さあ、どうしようと悩んでいると
「どちらをお探しですか・・・」 私の背中の方から声がかかった。
私が振り向くと、相手は黒いタクシーの運転席から身を乗り出すように笑顔を見せている。
「亀の墓!で・・・良いんですかねぇ・・・読み方は?」 と私
「あァ・・・カメバカですヨ。あの山の中にカメの墓が有ります。行かれて見て下さい。ワッゼエ立派な墓ですヨ・・・」 と、方言も交えて2、3百メートルもかなたの森を指している。私と同年配か、もう初老って感じのするタクシードライバーが車を止めて教えてくれた。ちょっと脇道ではあるが、自動車道の真ん中でこんな親切! 田舎とは言え、ありがたいことに感激する。
ここには島津都美夫人の墓と記した案内板があった。都美夫人は垂水島津家から嫁いできた姫だったが、島津家25代の太守重豪の生母だそうだ。夫人は男子を産み落としたその日の内に亡くなって悲劇の人となったが、幼名を善次郎、成人して重豪と名を改め、太守となった重豪が、母の33回忌に建てた墓だそうだ。
亀を礎にした碑は“亀趺碑”とよばれ中国、朝鮮半島からの渡来文化のはずだが、尊崇すべき人を顕彰する意味が有るようだ。それにしても33歳にしてこのような墓を造営し、供養したと言う。現代では考えられない事が出来てしまう封建と言う時代に違和感をもってしまう。
島津都美夫人の墓
Spot 3
さて三つ目は、伊勢神宮では無く伊勢神社。右手には田圃が大きく広がり、左側には農家が並ぶ細道を進んだ。4,5日暖かい日が続いたからか、畔では蓮華の花が咲きだしている。直ぐ近くでは表情豊かに「どうぞ、寄ってって下さ〜い・・・」と言ってるような田の神さ〜にも出合ったが、田舎の良さをまた発見した感じだ。
暫く行くと赤い鳥居が見えてくる。三重県伊勢神宮から勧請した天照大神と書かれており神殿には錠がかかっている。ガラス越しに中を覗くと神様が綺麗で、カシャっと一コマ失礼した。
Spot 4
文禄・慶長の役は1590年代に豊臣秀吉が起こした朝鮮との戦役だが、当時の大名として島津氏も渡海し戦っている。
そして凱旋したが完勝とは言えず、ましては朝鮮半島が相手では領地分配も無い。九州の大名たちは競って文化を持ち帰っている。陶芸もあった。そして加治木には人質にしたのだろうか、朝鮮国の皇子を連れ帰っていたそうだ。「鴻の巣園跡」と記されているこの場所は皇子の収容場所だったようだ。今では単なる空き家が一軒、それも荒廃している。ただ季節の証しか、寒空の中ではあったが、紅梅が見事に開花して、見映えと匂いで歓迎してくれた。
Spot 5
先ほどから展開していた右手の田園風景は一層開けて明るい景色へと変わり、いつの間にか九州道の加治木インターも見えてきた。左手には臼杵か大谷のような磨崖仏が現れそうな断崖が現れている。ここでは仏こそ掘られてはいないが、今日の五つ目のスポットとなる。ちょっと唖然とする原風景の中となるが、小さなお堂に木彫の薬師如来像が安置されているそうだ。
そこに着いて先ず合掌した。いつ頃に、誰の作だか、見当もつかないが、その風化の度合いがとにかく凄い。磨崖の迫力とともに一見の価値は大ありだ。
Spot 6
朝スタートしてから5キロ半くらいは歩いたか、鹿児島がいきなり豊後国東のように変身している。
岩屋寺跡は一山全体が苔むしている。いかにも聖地だと思わせるが、仏教遺跡が残っていても不思議は有るまい。でも、廃仏毀釈の本家みたいな鹿児島だ。奥に踏み入れば廃仏運動の凄さが今でも伝わってくる。やはりあの頃は、国の中全体に狂気があったのか。と、思わせられる遺跡だ。合掌・・・
ここの仏像が明治初年に起きた「廃仏毀釈」の被害にあい、首を落とされ、寺は焼かれてしまったと言う。
岩屋寺は島津家とのかかわりが強く、1627年に修復された記録が残り、そのときの住職、頼昌法印の石坐像が磨崖をくりぬいた中に残っている。この坐像だけが唯一首を落とされずにお姿を保たれている。
全山に霊験あらかたなる気を感じる。まさにパワースポットである。鹿児島に移住して5年、初めて文化的遺産に触れられた気がする。
Spot 7
さて、もう一つ。今日最後のスポットは隈媛神社を詣でることで健康一万歩コースを締め括れる。
鹿児島県内には神社が多い、と思っている。移住して5年、鹿児島山岳会の会員となり随分県内各地の山を登ってきたが、様々な鳥居に出合っている。ユニークだったのは三重岳だったか、水道工事材料になる太目の塩ビパイプを用いたもの。竹の丸太製、と言うかな?のもの。もちろん木製も有ったが、正に素人の手作り調のもの等々だ。でも今日の加治木町内では、それぞれ立派な鳥居が目を引いた。ここ、隈媛神社も真っ赤な鳥居だ。それも、なかなか立派な鳥居だ。左脇には仁王なのか、ちょっと首を傾げたくなるような石像も立っている。表情がユニークと言うよりめっぽう愛嬌があるのだ。
隈媛は、戦国の時代だったのだろうが、肥後の人吉から輿入れした姫だそうだ。そしてその時代らしく悲劇な一生を終えている。横で家内が案内板をよんでいたが、封建時代の女性は自分ではどうにもならない社会の仕組みの中で、辛い生涯を終えた方が多かったようだ。
とにかく一日を良く歩いた。神や仏に沢山出合い、手をたたき、合掌もできた。今日は意義深い良い一日であった。
史跡めぐりの写真はpicasaでどうぞ・・・