児玉真の徒然

峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい
(真壁仁 峠)

青森の亀子政孝さんと田村緑

2012年08月30日 | 各地にて
 
 亀子さんは大村室内合奏団のコントラバス奏者。九響の名手深沢さんのお弟子さんだと思う。イギリスに留学し天草に帰ってきたときに熊本県立劇場のオーディションがあって今年登録演奏家になっているが、そのとき審査委員だったのが田村さんだった。今回は青森に田村さんが誘う形でアウトリーチが実現した。
 本人は演奏でもアウトリーチのお話でもあんまり先に決めておきたくないタイプだと思うけれども、今回は前日にランスルーをやり、かなり突っ込んだ意見交換もして流れを作って行って、元々強い本番をうまく活かす形で良いアウトリーチができていたと思う。彼は熊本や長崎でも弾けるベース奏者として気になる存在でもあり、こういう人が地域で活躍していってくれることは望ましい。それで今回は函館への通り道ということもあり、勝手連でランスルーから見せてもらう事にした。
 今日明日と2回づつのアウトリーチで前半は同じ曲目だけれども後半は曲目を変えて新しいプログラムに挑戦した。コントラバスというのは巨大さで充分子ども達の人気者になるのだけれど、彼は楽器の裏の板を触らせて、低音の振動を感じさせてくれるのが子ども達には嬉しいようだ。本番では、訥々として話す感じではあるがちゃんと言いたいことはきっちりと話してくれるので子度鬼も伝わるし、見ている方も安心。ある意味器用なので出来てしまうのだけれど、きちんと聴き手の意識の流れをつかみつつ話すと楽器と相まって非常に良いアウトリーチになるように感じる。熊本でも期待である。
 田村さんは「ピアノの秘密」を15分にまとめたけれど、それでも彼女の話す子どもへの投げかけ方とか話の順番とかは子どもの意識に沿って実に見事。ああいうのをパッとできてしまうのは凄い才覚だと思う。

Aプロ
1,愛のあいさつ
2,ぞう(動物の謝肉祭)
3,ぞうさん
4,キーチョ
5,軍隊行進曲(ピアノ)
6,アベマリア(グノー)
7,チャールダッシュ
Bプロ
1,愛のあいさつ
2,ぞう(動物の謝肉祭)
3,ぞうさん
4,ディッタースドルフの協奏曲
5,軍隊行進曲(ピアノ)
6,アメイジンググレース
7,エンターテイナー

北九州の講座

2012年08月25日 | 各地にて
 昨日、北九州の響ホールで「コーディネーター講座」という講座が開かれて、そこでお話しをしてきた。前半は私の話、後半はパネルディスカッション形式。
 直接関わるための資格講座というような種類のものと思って参加された方もいたみたい。音楽に関わるこういう講座のやり方の難しさはあると思った。チラシにはコーディネーターの必要性を訴えていて、実際アウトリーチのコーディネーターをしてくださっている方たちがパネラーで来ていた、と言うこともその一因かもしれないが、どちらかというとプロデュース講座的に市民センターの方たちにコンサートの作り方を話し、そのバックアップについて北九州市にプランがあると良かったのかもしれない。このような講座に限らず,事業が主催者の目的のつもりのように聞きに来る人に伝わっているとは限らないということは時々起こる問題ではある。じつは話しを始める直前に気がついたのだけれど、修正するこれという方法が見つからなかった。
 主催者側に明確な考え方があることと、それに見合った構成を考えてミスマッチを少なくする必要性を感じた一日。
 一方、北九州のアウトリーチの事業そのものは一定の成果が出つつあるように思う。学校で定着して来たこと、演奏家と財団の関係が良くなってきているように思うこと、アーチスト何人かに他の人のアウトリーチのコーディネート業務をお願いするやり方で一定の成果があることが確認できたこと(演奏家が演奏家のアウトリーチのコーディネートをすることはほかの地区の例もほぼ無いように思うので不思議だと言ったら、アーチストからそんなストレスは感じていない、という非常に嬉しい反応があった)、演奏家にノウハウがたまり財団がどうのということではなく、それぞれ自分の活動の中で活かしてくれているように思うこと、などである。
演奏活動は普及的なプロジェクトも含めて市内でかなり行われているので、そこにアウトリーチで培った手法を活用してもらえればやった甲斐があるというものである。
 まあ、アウトリーチの整理が出来て良かったと言ってくれた人もいたし、そういう意味では意義がある講座だったと思うけれども・・・。
 途中で35分程度の模擬アウトリーチを受講生向けに歌ってもらった山科佳子さんは、前日は「生け贄!(なるほどそういう捉え方もあるか)」とか言っていたのですが、元々構成力は良く、伝える方法を持っている歌手である。一方やや声自体の容量の小ささが気になっていたのだがこの日は見違えるほど。何か声の勘所をつかんだかも・・・と言っていたので、もっと大きな演奏家になっていってくれると嬉しいね(写真)。

福山のアーチスト研修会と北九州

2012年08月23日 | アウトリーチ
一昨日昨日と、福山リーデンローズでの演奏家のアウトリーチ研修会があった。今回はどちらかというと田村緑さんが中心。私が補助に近いかな。
6月にオーディションで選んだ5組の演奏家にはアウトリーチ向けのレパートリー表と、進行プランを事前に出していただいていた。5組を2+3に分けて、二日間でレクチャーからプランの検討、そしてランスルーまでを行う。今冬の熊本の場合はこれにもう一日加えて学校のアウトリーチ実施となったのだけれど、考えて見れば良くやったなあという感じ。昨日はランスルーまででやっとだったが、翌日の実施って、アーチスト側にその覚悟があれば出来てしまうものなのか、どうなのかが良くわからない。
今回、どの組も直前まで不安だったのだけれど、どの組も、いざランスルーとなるとそれなりに形をつけてくるのは、演奏家という本番にむかう強さのせいなのか・・・。とはいえ、まだまだ課題があり、修正が必要なので、それは11月初めの学校への実施までに音楽も含めてそれぞれが頑張らないといけないだろう。演奏家の持つレパートリーの少なさというのは地域でのこういう事業の難しさだろう
こういう研修の二日間を楽しい時間と考えるかどうかはある程度好みの問題はあるかもしれない。教える側の私の場合、少なくとも今回のようにアーチスティックにやきもきするような時間は決して嫌ではなく、他の仕事に比べてもどちらかというと好きな方かもしれない(もちろんストレスがないとはいわないけれど)。このような時間を経過したあとに演奏家同士の仲間意識(同志感)が出来てくる、その変化が楽しいのであろう。

昨日のランスルーのあと、その足で北九州に来て今日はピアニストの早川恵美さんの病院へのアウトリーチを聞かせてもらった(写真)。終了後反省会というスケジュール表をもらっていたのだけれど、基本的には良くできていて特に反省するべき事もない。九州厚生年金病院は5年くらい前に移転して、新しい建物になったが空間が広く,特にグランドピアノが置いてあるスペースは4階まで吹き抜け。高い天井に響くので音が良さそうなのだけれど、逆に病院のロビー周りというのは静かな空間ではないので、その音も広く空間を漂ってしまうということはあった。ピアノソロに向いた空間かどうかはやや疑問だが、早川さんはさすがに全く動じる様子もなく、きちんとした仕事をした。偉いものだ。

エルシステマとおんかつ

2012年08月15日 | 徒然
 昨日、日本に一時帰国中の内藤るみさんと久方ぶりに話をした。彼女は一時昭和音大のプレリューディオにいて、おんかつ少しだけ手伝っていただいた事がある。しかし、ご主人についてアメリカに渡り(ご主人も実にガッツのある人のようで、アメリカでオリンピックの関係の仕事を日本という下駄を履かずにやっているらしい)、ボストンでアートマを勉強し、ボストンでPRの仕事を、エルシステマのアメリカでの広がりを手伝い、今はコロラドでエルシステマを始めている(本人はこじんまりとと言っていたけれど)。エルシステマの実際の内容に関しては一番日本語で説明できるであろうと思える人。さすがシビアなアメリカのパブリックリレーションで鍛えて来ただけある話しだった。
 7月のエルシステマジャパンの立ち上げ記念のシンポジウムで話を聞いていて、この分かったような(言っていることはすばらしい=彼らはすでにやっているのでやっていることでもあるわけだが・・・)わかりにくいような(それで?)不思議な気分になっていたので、いくつか特にアメリカのことを聞きたかったということ。それに、形式を持たないというエルシステマは、アメリカや他の国で本当に色々な姿になっているので、シンポジウムで日本でのエルシステマジャパンに先駆けての2つの先行事例の発表を聞いても、相変わらずエルシステマはなんぞやがつかめなかったので「何がエルシステマではないか?」を聞いてみたいと思ったのだ。
また、これからの世の中を作る子どもに対して、私たちは何が出来るかということは、日本の,特に被災地で高齢化が一気に進みそうなエリアとっては重大なテーマになって来るであろうことを考えると、彼女との議論はとても大事だという予感もあった。サントリーの箕口さんを誘い、いわきの足立君と一緒にお話しをした。
 話を聞いて、いくつか納得したことがある。シンポジウムの時にも何となく気配を感じたのだけれど、おんかつと似た要素があるのだ。別に目的とかやっている事が似ているのではないが、社会におけるシチュエーションとか、ぶつかる問題とかが似たような形で立ち現れて来そうな予感があるのである。
 そういう形での判り方が個人的には一番納得感がある。
 理念はともかく文句のつけようがないと思うはずだけれど、そこで行われることに対してのわかりにくさのようなもの。実際の現場にいる人間にとって、自分がどう動くかと言うことにクリアな納得感がないと難しく感じたり抵抗感を感じてしまったりすると言うこと。逆に具体的な事をきちんと伝えないと、違った思い込みで現場が進んでしまうことも起こりそうだ。その辺を気をつかうのは日本ではおんかつでも経験済みである(日本でよく出そうなことだがきっとアメリカでもあったに違いない)。
 だから、やはり具体的にその教えている現場を見てもらうしかない、というのもとてもよく似ている。具体的に見ると一定の経験のある音楽関係者は納得するだろう(まあ逆な人も出てくるだろうが・・・)。でも、そのことを他の人に話そうとするとまた同じようになってしまって、見てもらうしかない,となるのである。
 もう一つ、そのために現場を動かす人のノウハウが大切なのだけれど、そのノウハウを持っている人が今の日本の具体的現場にいるかどうかが心配なこと。だから、指導する先生やアーチストの強い気落ちと方向性の一致、そしてそのノウハウとしての実際的な方法論。それもその人に合致した個性的でないといけない、ということ。そのためには結局現場を預かるアーチスト(または指導者)の育成をしないといけない、ということである。
 おんかつも結局は音楽家にその意識と方法を伝え,コンサルティングしていく、という作業が必要になっているという認識があるのだけれど、大学院が充実しているアメリカでは、すでに具体的にエルシステマを各地の実情に合わせ構築するとともに、指導をする人材育成を始めている(ボストン)らしい。日本も少しづつは変わっているがどうなんだろう。多分エルシステマジャパンでも、日本人の育成のことは確実に必要になるだろうが、それをアメリカからの輸入のみでやるのはなかなか難しそうだ。そういう内容なのである(アウトリーチでも引っかかる問題)。
しかし、その構築がされていくことを期待するし、その意味では音楽家を教室に届ける,と言うだけでは全然すまなくなっているおんかつと似た課題になるのかもしれない。途中の手法(登り道)はかなり違い、途中の景色も違うのだろうが、スタートとゴールは思いのほか近いところにある気がする。
 エルシステマについてはいままでほとんど勉強していなかったけれども、手強い。これはかなり勉強しないといけない。目的や仕組みもだけれど、自分にとっては現場に転がっていることできわめて大事なことがいくつもありそうなのだ。体力(=気力)と時間があるかな・・・心配。

山田和樹と萩原麻未

2012年08月14日 | 徒然
先週の土曜日に行った山田和樹と萩原麻未と新日フィル。
考えてみると山田和樹は9日に東混を振って、10,11日と新日フィルを振ったことになる。彼の指揮はとてもしなやかさがあって個人的には好き。東混での声に対するのとは違ったダイナミックな柔らかさがサンサーンスのオルガン付きで感じられた。さすがである。ちょっと前にある新しいホールに彼のことを推薦しようと思ったことがあって,実現しなかったけれどちょっと惜しかったかなとおもう。
ラベルのコンチェルトを弾いた萩原さんはソリストとしての音量が心配だと言っているひとがいたけれどどうなんだろうか。聴いていてデビューした頃の小川典子さんのようにスケール感を感じるのだけれどタイプが違うかも。たしかに、オケが鳴れば鳴るほどピアノを鳴らしてくると言う感じのあった小川さんのような迫力とは違うスケール感かもしれない。ちょっと大陸的な感じかな・・・。ピアニシモの綺麗さとか共感するところがあって、未完成なきがするとは言え、逆にこれからどう変わっていくのだろうか、と興味を持てる演奏家の一人であることは間違いない。
リサイタルを聴きたいね。

東混8月のまつり(林光追悼)

2012年08月10日 | 徒然
林さんとの関係は大学生時代にさかのぼるが、その話は以前にもブログでも書いた。
今日の第33回東混・8月のまつりは売り切れ、危うく聞き逃すところだった。
この企画はカザルスホールがオープンする少し前から始まっていたが、カザルスホールが出来て会場が移ってきた。でもそのときは貸ホールだったしそれほど強い思い入れはなかったように思う。新しい第一生命ホールが出来たときに、東混が出来た時の支援者の一人だった当時の第一生命社長の矢野一郎との関係もあって縁がある団体として東混とは8月のまつりを共催にしていこうということになったのだけれど、だんだんと今の時代に必要な企画として継続していこうという感覚になってきた。だから私はトリトンを離れても継続してくれているのは嬉しい限り。
アーチストのライフワークになるような企画はなるべく応援したいと思っているので、8月のまつりも、もうこれは林さんが死ぬまで続けなくてはと思っていた。それにここ10年の日本の状況は、この曲を必要としているとしか思えないし、一年半前からはその必然性がもっと強くなったように思える。しかし、昨年の公演で元気そうだった林さんがこんなに早くそういうことになるとは全く思っていなかった。少なくとも1年ほど前に元二期会にいたY氏と会ったときも、最近の70,80代は化け物的に元気だよね,と話していて,間違いなく林さんはその中に確実に入っていたように思う。それだけに残念ではある。
今日のコンサートは、定番の原爆小景のあと、コメディアインサラータ、日本抒情歌曲集より、うた、ねがい。原爆小景は林さんが振った昨年と今回の寺嶋陸也は振ったのとでは精密さが全然違って、寺嶋さんの方が綿密に計算されて、表現力が増している印象。林さんの振った昨年は違った感じだった。精密ではないけれど、酸いも甘いも分かって振ってるよ、というのが表に出ているような演奏だったように感じられる。どっちが良いというわけではないが、今日の方が聴く側には音楽の見通しが良かったように思う。それが寺嶋さんの気持ちなのだろう。サラダ記念日は山田和樹さんの指揮だったけれど、とても緻密。最後の「うた」と「ねがい」は、東混メンバーの自発性をとても意識した指揮で、山田さんの器の大きさを感じる演奏だった。ここからアンコールに持って行くところの位置づけがものすごく読めている,と言う感じ。
最後のアンコール1曲目の「死んだ男ののこしたものは」はきわめて印象の強い演奏で、鼻をすする音が聞こえてくる。ここでは山田さんは出て来て前奏だけ振りメロディーに入ると,すっと袖に引っ込んで,メンバーの歌心を優先にしたのだけれど、この辺の立ち居振る舞いは見事というしかない。演出だけでなくこのたちいの勘所をつかんでいることは特に合唱団の場合、指揮者にとってきわめて重要な能力でもある。このように演奏家と客席に暗黙の了解があり、それが良い演奏に影響し合っていくというのは、東京ならではという気もする。もう一人、昨年まで照明を担当していた古賀満平さんも昨秋亡くなったそうで、今回はその追悼の意味もある企画だった。

地域創造フェスティヴァル2012

2012年08月05日 | 徒然

今年も地域創造フェスティバルは横浜の赤レンガ倉庫。
音響的に使える場所が限られていたりするえれど雰囲気はあるし横浜のみなと地区と言うことで行きたい気分になる場所ではある。
今年は昨年よりも少しこじんまりと行ったが、来てくださった方は昨年並みで事業の定着が覗える。
特におんかつ上級編の講座だった中村透さんの講座は断らないと行けないほどの人気。
ピアニストを3人の演奏を交えながら、中村さん自身が編曲したポップの音楽の音楽性を考えていく構成だったけれど、ポップな音楽がその基礎的な知見や手法をクラシック音楽から受け継いでいる、ということを多面的に伝えようという意図(だと思う)で面白かった。とても音楽的な話でちょっと難しいと思う人も居そうだけれど、こどもたちにも伝えられる内容でツールのひとつとして考えると良いかもしれない。アウトリーチの構成では、つい演奏家という人間の方に引っ張って作ってしまいがちだけれど、他の道もあり得るということかな。

翌日の基礎編は、今年からサブに入ってもらったせんがわ劇場の佐藤さんが聞き役になって、おんかつコーディネーターの山本若子さんと花田和加子さんに現場で起こりそうな様々な疑問を聞いてもらうと言う構成。佐藤さんははじめて人前で話すので緊張していたと思うけれども、良い突っ込みが入ったりして面白かった。ふたりのわかこさんも的確に話してくれて「いいこと言ってるじゃん」でありました。
でも、現場では相手の理解がしっかりしているという状況にあるわけではなく、まだまだ基本的なことで詰まったりすることも多い。すべてに明快な(誰でも納得する)答えがあるわけではなく、「音楽を聴くということはどういうことか」という音楽論の本質まで関わるはずだ。それぞれの人の思いや思い込み等の違いが表面化する可能性がいつでもある。でも、誰かがすべての正解を持っていると思うのは過剰な期待だろう。それぞれ悩みながら考えていくしかないのかもしれない。