児玉真の徒然

峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい
(真壁仁 峠)

長崎のシンポジウムとアーチスト研修会

2015年03月16日 | アウトリーチ

長崎の前のブリックホールの担当者が教育委員会の生涯学習課に移動して公民館活動にアートから一石を投じることを考えている。先日演劇の多田淳之介さんをコーディネーターにしてシンポジウムが行われ、私もパネラーとして参加してきた。
市長の「これからのコミュイティ活動はプレイヤーを増やさないといけない」という発言があり納得。コミュニティの専門家である山崎亮さんも「評論家でなく参加者が増えないと」といっていた。なるほど。
実はこの件で昨年にお会いした一瀬先生という方が、話していてピンと来たので、翌日に行ったアーチストのためのアウトリーチの研修にお話しして頂いた。
この研修会は、10年ほど前に始めたときに、研修というのはおこがましいので「アーチストミーティング」という名前にしたのだけれど、まあアウトリーチの考え方、ミッションからどんなことをしていくのかということまでを2日程度の講座で行うのだが、年々2日では短いような気がしてくるのは、多分欲張りになっているからだろう。

 以前からアウトリーチは3種類のプロが作り上げていくものだというイメージが明確にある。音楽と演奏と楽器のプロである演奏家、地域のプロであり仕組みと聴き手というものに関するプロであるホール職員(コーディネーター)、そして、行き先の事情に関するプロ、この3者が協力して良いものを作り上げるというのが一番良くなる可能性が高いとおもう。行き先の事情のプロというのは、たとえば学校など教育現場に行く時は教育行為に関するプロである先生の見識は大事であるし、福祉施設に行くときは福祉のプロの見識が、コミュニティに関してはコミュニティのプロの見識が入ってくることで始めて行く目的が明確になるし、手法を作ることが出来るのだと思う。
 アウトリーチに様々な場所に出かけると、予測と違うことが良く起こる。それは、お互いが習慣の違いとか知見を知らずに物事を動かそうとすることによることが多いのだ。
アーチストが学校に行くときに、教育の知識を無しに行くことはやはり危険である。もちろん、先生の思いをそのまま実現しようとすることで、アーチストが行く意味が変形してしまうこともある。だからといって教育のことを知らないで良いというわけではないだろう。
 今回の長崎では、たまたま出会った先生(今は教育委員会の生涯学習課にいらっしゃるのだけれど)と話をしていて、この人には託せるかもしれない、とおもって突然お話をお願いした。多分音楽には無縁の先生だったのでびっくりされたかもしれないが、その後2回ほど市内で行われたアウトリーチをのぞきに来て、思うところがあったかもしれない。

彼の話をすこし転載する。
1, 学校がアウトリーチに期待すること
夢を持っている子は85%ほどあるが、そのために努力している人は26%。どんな生き方をしたいか、という質問に「その日その日を楽しく生きる」と答える人が中学で39%、高校で28%いる。ということを踏まえて。また、「子供の貧困率」が16%を超えているということを踏まえて。
① 「感化」。人の性質などを、良い方向に変えるような影響を受けて欲しい
② 教育基本法の豊かな情操(美しいもの、純粋なもの、崇高なものに素直に感動するこころ)を培う
③ 「夢」を「あこがれ」に、「あこがれ」を「志」にするきっかけを作る。

2, 授業の準備(学校では教材研究と言うそうだ)
① 教材研究には、少なくとも1時間のために10時間はかけなければいけない(だんだん慣れていくので準備時間は少なくなるが最初は・・・)
② 模擬授業をする。これは先生が生徒役をして、あとでいろいろと意見交換をするのが大事だということだ。
③ そして、基本的な姿勢。以下の8つを挙げておられた(長くなるので書かないけど)
・師弟同行
・率先垂範
・寄り添う
・自己開示
・熱意と愛情
・想像力⇒子供の気持ち/立場/目線
・ほめる、認める
・どらえもん

3,子供には自己肯定感(自尊感情)が必要
自分は(大切な)存在だ、自分は(かけがえのない)存在だと思える心の状態。

途中で、子供が発する質問を見てきたアウトリーチのことから、「小学生はどんな質問をするのだろう」を考え、それに自分だったらどのように答えるかをみんなで考えた。

先生は、翌日の演奏家から出てきたアウトリーチ進行プランの検討会にも出て貴重な意見を言ってくださいました。演奏家を尊敬する気持ちを持ちつつ、演奏家が先生になりそうになるのを指摘し、演奏家の役割をきちんと言ってくれたのがうれしかった。

一瀬裕之先生。本当にありがとうございました。
先生なら誰でも良いわけではないけれども、このように語る言葉を持ち、場を理解した発言をしてくれるある分野の専門家(プロ)の意見は本当に説得力があります。同じようなことを考えてはいるのですが、ああ上手くは話せない。
 多分、他のジャンルでも、こうした目線で話してくれる人がいると本当に良いことが出来るのではないかとおもう。



アウトリーチからの宿題 三田でのお話その1

2013年05月25日 | アウトリーチ
この間このブログで「アウトリーチからの宿題」というお話をするということを書いたら、その後、何人もの人から「あれって、どんな話をしたんですか?」と聞かれた。なんだか気になったみたいだ。うーん、それほどの意味はないのだけれど。大体タイトルを決めるときは、概ね瞬間の思いつきだし、お題はちょっと思わせぶりなのが良い、と相場は決まっているので、「課題」ではなく「宿題」と言ったのもそんな不遜なところがないわけでもない。でも、それなりの理由もあって、宿題という言葉にふさわしいと思ったからでもある。

気になる人がそれなりにいるらしいので、話の概要を載せることにする。こういうのは滅多にしないけどね。
音楽ホールネットワーク協議会は、20数年前(日下部さんは23年前と言っていた)に結成して、一時は70数館の参加があったそれなりに大きな組織だったのだけれど、市町村合併とか指定管理とか予算の縮小など、さまざまな影響のせいか次第に会員も減ってかなり寂しくなってしまった。それでいよいよ今年度をもって解散にしようと言うことが決まり、その承認の総会でもあったのでお話を引き受けたのである。その最初から関わったもう数少ない人間の一人としてきれいに終わって欲しいということもあるし、その存在が何らかの意義があることも話したいし、という気持ちもあった。
人前で話すときは、脱線が多いとしたものなので、この文章通り話したわけでもないし、話が抜けたところもあるのだけれど、一応そこで話そうと思ったのはこんなこと、と言うことでほぼ原稿通りに2回に分けて転載する。

アウトリーチからの宿題 その1

2013,5,16 三田市 郷の響きホール
音楽ホールネットワーク協議会(年次総会後の研修プログラム)
児玉 真

 皆さんこんにちは。今回、最後になる音楽ホールネットワーク協議会の総会に呼んでいただきましてありがとうございます。私はこの協議会を始めた当時、室内楽ホールとして有名だったカザルスホールのプロデューサーをやっていた関係で企画委員という肩書きをいただいているのですが、ここ何年かの多忙で会議に出られない「不良委員」に成り下がっておりまして申し訳無く思っていましたので、今日ここで話せることは本当に光栄に思います。
 ホールのネットワークという言葉にどのような意味を感じるかは、ジャンルによってずいぶん違うようです。イニシャルコストのあまり多くないアコースティックの音楽公演は、ネットワークの金銭的なメリットというのはそれほど大きくない。したがってネットワークの意義は別にあると当初から考えていまして、職員が違う考え方を持った会館のひとと話をし、公演を作って行くことの能力の向上の刺激が一番だとおもっています。その意味でこの会がはたした役割はあるけれども、その後それがこの20年で公共ホールの環境がずいぶん変わってきたと思っています。ネットワークそのものには意義はあるがやはり今回の決断はやむを得ないのではないか。
 しかし、似たような問題意識を共有する仲間が居るということはとても良いことです。このネットワークは関西の方が多いのですが、関西は昔から新しい思潮が生まれてくる場所でした。音楽専用ホールもそうだし、ホールの音楽監督制もそう。他にもあります。後から東京が持って行ってしまうようなところがあるけれどオリジナリティという意味では関西の方が進んでいるような気がします。最近の音楽界は演劇やダンスよりも勢いという意味でやや低調なのではないかとおもいますが、新しい発想や事業がここにいる若い仲間から立ち上がってくると嬉しいと思います。もう私のようなロートルの出番ではない。
 私の場合、20年近く前でしたけれど新しいコンセプトでやるべきだと確信したことを実験するのにこの協議会の仲間はとてもありがたい存在だった。仲道さんと「音楽学校」という企画をたち上げたときも、ネットワークのホールの人たちが面白いといって3年連続で協力してくれたし、音楽でアウトリーチという方法を日本の公共ホールに持ち込もうとアメリカのカルテットを呼んだときも、それまでの音楽教室(音教)とはちがった新たな手法を考えたときに、やはりこの仲間が助けてくれた。カザルスホールがだめになったときもそうでした。

 というわけで1997年~98年くらいから、アウトリーチを始めて、現場をたくさん経験してきたのですが(多分日本では一番多いかもしれない。まあ数はたいした意味はないけど)、15年くらい経過するとなんか最初にやり始めたときには予感しかなかった「???」がいくつも出てきた。まあアウトリーチという言葉や手法が急速に拡がったのは嬉しいのですが、困ったことにアウトリーチは一見「何でもあり」なので、その「???」はどんどん溜まっていく。そして、あるときにふと考えたのは、この感じは「アウトリーチは確実に社会を変える可能性のある良いことだという認識というか確信のようなものを自分としては持っていながら、このまま外に出かけていくという現象(形式)だけから捉えると何にもならなくなってしまいそうだ」と言う危惧からきているのだろうと言うことです。それで、これはアウトリーチと言う言葉や現象から一見何かが生み出されているように見えて、じつはまだ、何か宿題をもらったままになっているのではないか」という感覚を持つようになりました。それで今日のタイトルを「アウトリーチからの宿題」ということにさせて頂きました。

 アートセンターを中心にした地域の音楽コミュニティの姿のイメージは一応持っていまして、それで、いわきアリオスのプロデュースを引き受けて最初にいわき市にお願いしたのは「コミュニティ活動をやっていくのでそのセクションを作ってください」ということでした。アメリカやイギリスの芸術団体やアートセンターを見ると、たとえばロンドンシンフォニーでは、いわゆるオケの業務をしているのは思ったよりも少なくて、ディスカヴァリーと言ういわゆるコミュニティの仕事をしているセクションがありそこには責任のあるディレクターもいて、スタッフも多く、きちんとした仕事を任されている。本体のオーケストラの活動とほとんど同じ体重をかけた仕事をしている。日本ではまだ本体の付属的な仕事だと思われている。なかなか難しいのです。
 たとえばいわきでは結局そういうセクションを本格的に作る事は出来なかったけれども、企画セクションの6人のうち2人、コミュニティ活動担当をほぼ専任でつけることができました。それがアリオスの特徴になって市民に認められていった、と言う面がある。でも、日本ではまだジャンルによる仕事の区分けという感覚が残っていて、音楽、演劇ダンス、コミュニティという分類は何となくなじまなかった。広報や貸し館の担当もコミュニティとの関係からいろいろ企画を持とうとしていたこともあってなかなか難しい運用をすることになりました。それでも会館としてはこのコミュニティ的な活動があることによって市民からの理解を得ることが出来たし、震災後にはそのことがものすごく活きることになりました。
 とはいえ、このような考えもまだまだ宿題のままです。私が今後会館のオープンを任されることがあれば可能性はあるけれどどうなんでしょうか・・・(続く)

長崎のアウトリーチ

2013年01月24日 | アウトリーチ

長崎地元演奏家のアウトリーチ今年の最終回で、クラリネットの田中南美さんは出産とかあって少し時間が空いてしまったのだけれど、今回2年間の集大成のような感じになった。構成はよく考えられているし、彼女は教えるのがうまいという印象。ただ、まだ一つの話しの順序のようなところが整理できていない感じがあってうまくいくときと少し伝わりにくいときとがあるようだ。子どもにクラリネットの音を綺麗に出させるという意味では安心してみていられる(音がでるでないは体験の重要なポイント)

今日の午前中はOBのメゾソプラノ田中絵里さん。彼女は毎回テーマを明確にしてやってくる。愛とか幸せとかちょっと照れてしまいそうなテーマだが彼女のキャラクターには合っていて違和感はない。テーマがはっきりしていることもあってわかりやすい進行で子どもの心に残す術を心得ていると感じた。今日は切り替えの思い切りの良さが非常に良く感心。

午後の木下恒存さんも登録2年間の最後だが、前回からお弟子さんの大学生を連れてきて、それが非常にうまくいっているように感じる。津軽三味線は一種のアドリブの世界でジャズによく似ているのだが、盲目の人の音楽だったこともあってか口での伝承が中心だったので、先生のをまねてそこから独自の個性を作り出していく、というところを子どもの前で実際にやってみせるなどのわかりやすさと、二人のじゃんガラの乱れ弾きで見せる掛け合いというか競い合いというかががはっきりと認識できて,子どもたちも本当に真剣に聴いていたのが印象的。
今回一つ気になったこと。
この時期小学校ではインフルエンザの感染防止のためか子どもたちにマスクをつけさせていることが多くなってきていて、今日も1カ所全員がマスクというところがあった。アウトリーチはコミュニケーションを重視する手法なので全員がマスクだと演奏家としてはかなりやりにくいであろう。今日の田中絵里さんは「音楽のあるところではばい菌は死んじゃうから・・・と明るく、取っちゃおう、とすすめていたが、このあたりは本当は事前に学校との調整が必要になりそうなところだ。コーディネート的にはなかなか難しい問題。

山県市の北島佳奈さん

2013年01月14日 | アウトリーチ
地域創造のおんかつ連携モデル事業として今年は岐阜の山県市と揖斐川町で行っている。
演奏家は和歌山の北島佳奈さん。兵庫のオーケストラでも活躍中。彼女は少し前からアウトリーチをきちんとやりたいという強い思いがあったそうで、今回は熱意あふれるアウトリーチを行った。まず一番は、子どもと繋がりたいという強い思いがあって(関西の人らしく)それがとても表に出てくるので、インパクトが強いことが最大の強みだろう。それ故にすこし話があっちこっちに行くことがあって、筋が通っているように感じられるのだけれどメモに残そうとすると書き取れない事が何回かあった。まあ話が少し早めであるけれど、子どもとのつながりはがっちりと出来ているたので心配無用であった。今回北島さんは多分一皮むけたと思う。コーディネートを引き受けてくださった中村さんのサポートが彼女の良さを引き出していたのだろう。前日前々日に行った学校の子どもが、親を連れて急遽来るという姿がいくつもあって、北島さんと子ども達家族との終演後の交流を見ていても、学校での交流うまく行った成果を感じて後味の良い会だった。コンサートの最後で一緒に歌うからリードしてね、と子ども達と約束していた「ふるさと」の共演も、スタッフがちょっとじーんとする感覚があって、嬉しかったこともあり危うく新幹線の終電に乗り遅れそうになったりしたけけれど・・・
少し前の記事ですがアップしておきます

NHK交響楽団メンバーのアウトリーチについて

2012年10月08日 | アウトリーチ
ここのところ忙しいのと、ちょっと気持ちに引っかかっていることがあってブログを書くのが滞っている。そのことはまだ続きそうだけれども、NHK交響楽団メンバーによるアウトリーチはいわきにとって比較的重要なことなので書く。

池田さん、菅原さん、松本さんの木管アンサンブルのアウトリーチを先週に終えたところである。楽しめた2日間だった。
いわきはNHK交響楽団の定期をやっている関係で、昨年までもNHK交響楽団のアウトリーチは行っていたのだが、オケの通常な形式なのだろう、学校の講堂で全校生徒向けのものをやっていた。とはいえいわきは基本的に3つの小(広くない空間、少人数、長くない時間)というのを標榜していて(これは地域創造の考え方と共有)、その意味である意味喜ばれている部分もあるが、どうも統一できていない感じがあった。
昨年の夏に一念発起し、NHK交響楽団に話をしに行ったときに、来年からアウトリーチは音楽室で大人数でない形でやりたい旨申し入れをした。だからと行ってコストが下がるわけではないが、それをオケの事務局の人も一応は認めてくれて、今年から下見もして、打合せもきちんと入れて、という方式をやってみる事にした。メンバー個人個人の協力がどの程度得られるかという心配もあったのだけれど、何しろ、その良さは、先生以上に演奏家には理解されるはずだとおもっているので,まずは実践。
とりあえず今回だけで言えば、担当した館岡君の熱心さとオケメンバーとの人脈もあって今回来た3人には分かっていただけたのではないかと思う(Good Job!)。その意味でいわきのおで研で演奏家と色々と内容についてのアイデアトークをしてきたことも役に立っているとも言えるだろう。学校の下見も何でそんなことが必要なのか、とはじめは思ったそうだが、来て先生と演奏家が直接話せたことも大きく、終わってみればなるほどと思うことも多かったようで、演奏家と子どもたちのコミュニケーションもとれ、来てからも次々とアイデアが出てくるのは関係性の面白さを感じてくれたからではないか,と思う。終わったあとにやはり少人数の良さはある、と3人が口をそろえていってくれたのでじつは本当に嬉しかったのだ。
これを何年か続けると何かが変わっていくかもしれないという期待が出来るアウトリーチだった。
 ※写真は田人第1小学校で貝泊の中学生4人も入れてのアウトリーチの模様。
  ピアノでD♭を弾いてもらっての共演。

いわきのアーチスト達

2012年09月08日 | アウトリーチ
いわきのアウトリーチ活動の4人のアーチスト達はアリオスが今年度3回づつの学校アウトリーチを実施する事になっていて、今回は2回目。それぞれの活動だけでなく、4人とか3人とかで頼まれてコンサートをすることもあるようで、そういう拡がりがあるのは嬉しい。震災がきっかけとなったところはあってやや複雑な気持ちもあるけれど、地元の演奏家ががんばれて、地域のために役立てて活性化していくという事が実現できるとするとそれは良いことだと思う。いわきはだい2期目の演奏家のオーディションを済ませていて、これから研修~実施と進むのだけれど、一度にたくさんの人を育てられないので長期的に地元演奏家の良い場を作るようにしたいものだ。被災地でのそのような活動はまだまだ足りないかも・・・。
彼らは今年2年目でそろそろ仕上げにかからないといけない時期である。アリオスが彼らを今後どう活用していくかと言うこともあるけれど、まずは2年間で自分で作っていける考え方の回路とアイデアを活かす能力を持ってもらうことで、自在性を獲得してもらえればとおもう。
とりあえず、今回のアウトリーチ感想。

フルートの紺野さんは予定通り今年はこのプログラムのシェイプアップを図っていくのがよいと思っている。今回の実際前半は良い流れになっていた。後半子どもを動かすところはもう少し工夫が必要かもしれない。彼女のほわっとした語り口は子どもを吸い込むような所があるのだけれど、子どもを動かすときははっきりくっきりとしないとやはり少し集中できなくなる場面があった。とはいえ、そこを修正すればすごく良くなるはずだ。

ソプラノの木田さんは流れをつくるのが上手なので安心してみていられるのだけれど、もっと注意深くすれば子どもをもっと引きつけられるのに・・・と思うところがあって、少し細かい所を気にしてもらうようにお話しした。

ピアノの鈴木さんは新しい構成を初めて行うこともあって、前日の夜のランスルーでは曲を足したり話を整理したりした。翌朝の本番、久しぶりにどきどきしたが話の流れがスムースになっていて随分良かった。今回のテーマは前半もう少しわかりやすくできると良いのだけれど、今回は校長先生の希望の曲目を入れる必要もあって少し苦労したかも。
ヴァイオリンの常光さんはいつもアイデアノートをつけていて、その組み立てのアイデアは良いと思うけれど今回はちょっとメリハリに欠けるような気がしたので、前日に一曲増やしたりしたのでこれも少し心配したのだけれど、良い流れになっていた。うまく行ったと思う。
ここの校長先生はたぶん常にあれこれと様々なことを考えているのだろう。他の先生は振り回されることがあるかもしれないけれど、校長先生の子どもへの気持ちの深さを感じる。最後、朗読をしてくれた子どもが誕生日だったということでひらめいてアンコール代わりにハッピーバースデイをリクエスト。ちょっと慌てたけれど子ども達もとても盛り上がった。

今回の4校を仕切ってくれた足立君は(当然とは言え)前日のランスルーから本番前までのアドヴァイスが適切で、演奏者も安心感があっただろうと思う。

福山のアーチスト研修会と北九州

2012年08月23日 | アウトリーチ
一昨日昨日と、福山リーデンローズでの演奏家のアウトリーチ研修会があった。今回はどちらかというと田村緑さんが中心。私が補助に近いかな。
6月にオーディションで選んだ5組の演奏家にはアウトリーチ向けのレパートリー表と、進行プランを事前に出していただいていた。5組を2+3に分けて、二日間でレクチャーからプランの検討、そしてランスルーまでを行う。今冬の熊本の場合はこれにもう一日加えて学校のアウトリーチ実施となったのだけれど、考えて見れば良くやったなあという感じ。昨日はランスルーまででやっとだったが、翌日の実施って、アーチスト側にその覚悟があれば出来てしまうものなのか、どうなのかが良くわからない。
今回、どの組も直前まで不安だったのだけれど、どの組も、いざランスルーとなるとそれなりに形をつけてくるのは、演奏家という本番にむかう強さのせいなのか・・・。とはいえ、まだまだ課題があり、修正が必要なので、それは11月初めの学校への実施までに音楽も含めてそれぞれが頑張らないといけないだろう。演奏家の持つレパートリーの少なさというのは地域でのこういう事業の難しさだろう
こういう研修の二日間を楽しい時間と考えるかどうかはある程度好みの問題はあるかもしれない。教える側の私の場合、少なくとも今回のようにアーチスティックにやきもきするような時間は決して嫌ではなく、他の仕事に比べてもどちらかというと好きな方かもしれない(もちろんストレスがないとはいわないけれど)。このような時間を経過したあとに演奏家同士の仲間意識(同志感)が出来てくる、その変化が楽しいのであろう。

昨日のランスルーのあと、その足で北九州に来て今日はピアニストの早川恵美さんの病院へのアウトリーチを聞かせてもらった(写真)。終了後反省会というスケジュール表をもらっていたのだけれど、基本的には良くできていて特に反省するべき事もない。九州厚生年金病院は5年くらい前に移転して、新しい建物になったが空間が広く,特にグランドピアノが置いてあるスペースは4階まで吹き抜け。高い天井に響くので音が良さそうなのだけれど、逆に病院のロビー周りというのは静かな空間ではないので、その音も広く空間を漂ってしまうということはあった。ピアノソロに向いた空間かどうかはやや疑問だが、早川さんはさすがに全く動じる様子もなく、きちんとした仕事をした。偉いものだ。

大石将紀さん(サックス)の学校アウトリーチ

2012年03月02日 | アウトリーチ
文化の世界で比較的時代の先端を走っている世田谷区。世田谷パブリックシアターや世田谷美術館など他の文化施設の見本になるような活動を行っているように思う。JAFRAのアワードをこの2施設がとっているのもその現れであろう。音楽では何年か前からジュニアオケの活動を初めた。これはかなり腰が入った活動にしないといけない,会館にとってはいわゆる「覚悟のいる活動」であるが、着実に成果を上げているようにも思える。
音楽のアウトリーチについては今まであんまりやっていなかった(演劇とか美術では早くから取り組んでいたように思うけれど)のではないかと思うけれど、楠瀬さんが財団に入って少しづつ新しい目が生まれてきているように思う。今回はおんかつのアウトリーチで今年の最終の三宿小学校のを見に行った。大石将紀さんのサックスのアウトリーチは、今回の大石さんの絵画を使った組み立ては理詰めの印象を持った。子供とのやりとりがとてもうまく、きちんとした進行。45分ではもったいないと思うけれど、45分ならばそこの割り切りをもう少しした方がよいかもしれない。でもあえて言うと、音楽自体の力を見せると言う意味ではやや不完全燃焼の感じがあるかもしれない。とはいえ、大石さんのやりたいことはとても刺激的で、見学する側から言うとアイデアの宝庫、いろいろと口を出したくなるのは、おもしろい進行の証拠である。興味深い。

和歌山県橋本市、村田千佳さんとゼッパールトリオ

2011年12月17日 | アウトリーチ
写真がないのが申し訳ないのだけれど、何しろカメラを忘れて出かけてしまったので・・
アウトリーチフォーラム、和歌山県橋本市のゼッパールトリオ(村田千佳、山田麻実、山田幹子)のアウトリーチをみてきた(12月15日)。自分が直接担当していないと気楽ではあるが、それまでの経緯なしで見ることになる。それが良いのか悪いのかよくわからないけれど、今回のトリオの構成力はすでにフォーラムの域から一歩出ている感じだろう。スタッフの活用、子供への事前アプローチ、現場での気配りなど、特に村田千佳さんの発想は脱帽ものである。もう少し自分という人間が出てきて、こなれた感じがあるともっと良くなるだろうけれど。

ずいぶん前に、トリトンアーツネットワークがまだアウトリーチを初めてそれほど時間がたつ前だと思うけれど、山本彩子(チェロ)と中央区の小学校で行ったときに、村田さんがきちんと書いてきた進行プラン(台本)が良くできていて、終わった後コピーをさせてもらったのだが、まだ手法があんまり明確にイメージできていなかった僕としては、良い見本であった。実際、これを何回か演奏家向けの研修でモデルにさせていただいた記憶がある。そのときのプログラムは
愛の挨拶
白鳥
黒鍵
バッハ組曲プレリュード
イタリア組曲から 3曲
シシリアーノ(パラディス)
鳥の歌
校歌
パラディスのシシリアーノの話で、「彼女は目が見えなかったけれど、目を閉じても光は感じられるように、とても光を感じるような曲を書いた。音楽は光も表すことができる。パラディスは柔らかい、暖かい光を音楽にしてくれました」
という話をした。ああ、ここで目をつぶれば、子供たちはパラディスの感じた光を感じるだろうな・・・という気がしたのを覚えている。考えて見ればこのときも村田さんが進行をつとめていたな。

たぶん2002年か2003年だったと思う。

村田さんはその後留学してしまったのだけれど、構成を考える力はもちろん、室内楽だけでなくソリストとしても一回り大きくなって帰ってきた。こういう出会いも嬉しいものだ。

津軽三味線のアウトリーチ(長崎)

2011年12月08日 | アウトリーチ
長崎のアウトリーチ今日は2日目。最南端の野母崎にある野母崎中学校だけれど、今建て替え工事中だそうで、そばにあって今週閉校になった高校を借りて授業をしている。
諫早に住む木下恒在さんは今年3回めだけれど、今回いろいろと工夫をしてきた。
まず、生徒代表に楽器に触る機会をつくった。これは一人だけれど、なかなか効果的だった。もう一つは、津軽三味線の場合、気に入ったら(カッコ良いと思ったら)拍手をすることで演奏に協力して欲しいと言って、実際に拍手をしてもらった。賛否あるかもしれないけれど、津軽三味線の演奏を聴くルールとして教えるのは有りだろう。実際に拍手によって木下さんののりが良くなるところがあり、子どもとのやりとりなっていたので良かったかもしれない。少しタイミングのずれがあるように感じたけれど、まあ個々人の感覚によって拍手するので構わないだろう。
話しでは話し始めるときにまず「これから楽器の話しをします」「三味線の歴史を話します」と明確に言っていたのがうまく言っていた。彼の場合、多分色々な形で客の前に出る機会は多く頭の回転がよいのだろう、その場で話を変えていってしまうところがあるけれども、最初にはっきりと言うことで、子どもも本人も明確になってわかりやすいと思った。誰でもと言うわけではないが木下さんにとっては今それは活用すべきだろうと思う。

でも全体に前回と比べてよく考えてあって、全体の進行の流れは比較的スムースに出来ていたと思う。時々話が飛んでいくのは良かれ悪しかれ彼の特質であって、それを修正するのも方法だけれど、その間の良さを活かしていくことも大事だと思う。