ハリックの診断即治療&虹彩と、Kenさんの経済学&スケッチ

虹彩には、体質や、現在、過去、未来、のデータが秘められています。虹彩学による虹彩分析を針灸、巨針、食事療法の指針に!

多賀大社フォーラム‘05の内容紹介

2005-08-04 09:15:09 | 情報や案内及び雑談
通称「多賀フォー」の案内が届きましたので、全文を紹介致します。
プログラムや参加要項等は、こちらをご覧ください。



 
クリックで、多賀大社のHP



        - 和方鍼灸友の会 -
多賀大社フォーラム ’05
           ご あ い さ つ

昨年、「和方鍼灸友の会」初の大イベント、「多賀大社フォーラム’04」
が大成功を収めましたこと、まずは、ご参加いただきました石田秀実・大
宮司朗・新城三六・福光幽石・藤村滋・正木晃各先生(50音順)に深謝い
たします。予告通り、本年も〈タガフォー(愛称)〉を開催する運びとなり
ましたので、主宰とは名ばかりの代表小間使いから、ひと言ごあいさつ申
し上げます。


◎「茶番呆人」と「鍼灸楽会」
昨年の春、私は千葉の幕張メッセで開催された第53回全日本鍼灸学会学術
大会に招待され(もしや招かざる客だったか)、「はりをたて やいとを
すえる いやしとくらし ― ひらがな日本鍼灸史― 」と題する講演を
行いましたが、幸か不幸か学会誌への掲載が棄却されたため、寄金氏と図
って(謀って)、かの教育(狂育)講演をメインに 『新日本鍼灸楽会草紙』 
を創刊(即廃刊)いたしました。

発行母体は、「和方鍼灸友の会」のニックネームである「茶番呆人・新日
本鍼灸楽会」で、こう別称(蔑称)してみると、本会の特性がやや浮き彫
りになった感があり、その点について少しく説明したいと思います。

まず、「和方鍼灸」なるものは幻想に過ぎないということ。

言葉は独り歩きする性格を持ち、単なる覆刻シリーズ用の造語が、「和方
鍼灸」という素晴しき何かが脈々と続いているかのような印象を与えます
が、決してそうではありません。武術家ヨリカネの主張するところでもあ
りますが「現代日本に伝統鍼灸はない」のです。

残像(面影(おもかげ))としての流儀書を頼りに、現代医学的解釈でも中医
学的立場でもない「和方とは何か」を考えよう。

かつて和方を自覚していた多賀法印流をシンボルに、幸せの青い鳥なんて
どこにもいないと知りながら、きっといるに違いない……、夢見心地で楽
しみながら追い求められる人を「茶番呆人」あるいは「鍼灸バカ」、そう
した面々が集う〈タガフォー〉を「鍼灸楽会」と解釈してよかろう、と考
えるにいたりました。

そうすると、「和方鍼灸」という幻影的在来種によるレジスタンス活動の
小間使いにいそしむ私が、「コテコテのカゲキ派」を自称する理由が明確
になろうかと思います。


◎「一人一派」と「ガラパゴス現象」
 日本において、鍼灸は「一人一派」といわれるほど百花繚乱です。これ
は、たまたま入学した学校、たまたま師事した先生、たまたま出合った療
法、たまたま見つけた書籍、たまたま来院した患者……、偶然に偶然が重
なって、その人の臨床の場(閉鎖空間)で一定の歳月が経過していくうち
に、その人なりのスタイルが確立していくからです。

ガラパゴス諸島における孤立した生物進化さながらの現象が、各人の臨床
の場で起こっていくのです。

各種の臨床スタイルは各人の自分史(個人史)に他ならず、学生時代には
よく理解できませんでしたが、故・福本憲太郎師が喝破されていた「臨床
とは生き様なり」とは、このことを意味していたのでしょう。

とはいえ、誰でも彼でも自叙伝を綴れるわけではないように、自分史を形
にできる・・・自書を執筆できる人物はごくごく限られています。

しかも、取るに値するのは「ガラパゴス現象」の強いもの、すなわち「孤
高の人」のものでなければなりません。

その点、公開実技の新城三六先生と鍋島建士先生は、稀有の大家として申
し分ありません。


◎9月3日・実技編
昨年の〈タガフォー〉以来、「巨針の手孰(てだれ)」のイメージが確立している新
城先生ですが、実は毫鍼の腕前もピカイチで、独自に編み出された骨格矯
正鍼の威力には驚嘆の日々で、私が苦手としていた腱鞘炎の治療も、今や
すっかり得意分野となっている次第です。

骨格矯正鍼は単なる経験法ではなく、「人体惑星試論」という独自の天人
相関説に根ざした「経絡七行論」をバックボーンとしていますから、伝統
医学的理論との融和、あわよくば各人の臨床スタイルとの交配が可能なの
です。

今回は特別に、味覚と経絡反応(味覚が臓腑に影響を与える実験)、およ
び 虹彩分析での経絡治療(虹彩でわかる陰陽と虚実)の実演も披露して下
さるとのことです。

なお、「経絡七行論」「骨格矯正鍼」については、『診断革命』に引き続
き、『七星鍼法―北斗の鍼―(仮題)』として六然社から刊行の予定です。

『鍼と剣―サムライ、アメリカをゆく 高年よ大志を抱け!―』の著者で
ハワイ在住の鍋島健士先生は、日本よりむしろ欧米諸国で有名な大家で、
寄金氏との奇縁で来日が実現しました。

鍋島先生の師匠は橋本昌枝先生という昭和期屈指の女性鍼灸師です。

橋本先生はヨーロッパに経絡治療を広めた功績から、鍋島先生と同じく国
外に名を残された大家です。

橋本先生は「真理は簡素なり」と『脉診と不問診断』で述べられておりま
すが、鍋島先生には欧米人をも魅了して止まない直伝の経絡治療を披露し
ていただく予定です。

経絡治療を入り口として古典の世界に足を踏み入れた私自身、海外に温存
された経絡治療の「原型」に触れられるのを鶴首している次第です。

いずれ、鍋島先生監修で『橋本昌枝著作集』が刊行されることを念じて止
みません。


◎9月4日・講演編 
昨年は「伝統医学の底流にあるもの」について、道教の権威・石田秀実先
生、密教の専門家・正木晃先生、古神道の研究家・大宮司朗先生をお招き
し、「身体=神」ということをそれぞれの立場から解説いただきました。

今回のテーマは、「近代日本の隠秘学(オカルティズム)と鍼灸」です。

オカルトと聞くだけで眉を顰める方もいらっしゃると思いますし、私自身
もともと毛嫌いするタイプなのですが、鍼灸の人文学的・社会学的な探求
には避けて通れぬ道には違いないので、あえて正面切って取り組むことに
しました。

とはいえ、呪いのかけ方とか、霊の呼び方とかを実習するわけではなく、
「オカルトとは何か」を冷徹に議論してみようということです。

鑑みれば、現代日本という時空間において、武術・療術・霊術・占術・相
術などの世界観・理論・技術を大なり小なり借りなければ、鍼灸という乗
り物を上手に運転し続けるのは困難のように思われます。

私に限れば、カイロプラクテックの受療や合氣道(氣圧療法)の稽古の体
験がなければ、たとえ経絡治療の講習会に参加しようが、伝統的・古典的
な治療法にピンとこなかった(合点がいかなかった)に違いありません。

巧い鍼灸家というのは、鍼と灸を使わなくても治療ができるもので、逆に
素手で効果の出せない者は、いくら鍼を刺そうが灸を据えようがたいした
臨床はできないものです。

センスというのか、勘どころというのか、「目に見えない何か」を捉えか
つ動かす能力の開発には、必要不可欠なのかも知れません。

私のような、あん摩・指圧・マッサージの資格のない鍼灸だけ師(二療師)
にとっては、特にそう言えそうです。

講演の部はまず、3人の鍼灸師による指定発言から始めます。

その1は、「スピリチュアリズム」を積極的に活用している石原克己先生
の実体験。

その2は霊術に関わった鍼灸家を調査している横山浩之先生の報告。

その3は、戦前に民間療法を集成した平田内蔵吉研究の第一人者である
久米建寿先生による遺徳紹介(『東洋医学の革命児―平田内蔵吉の生涯と
思想・詩―』)。

各先生、僅か30分しか時間が割けないのは残念ですが、その分凝集した内
容になるに違いありません。

3先生に提供していただいた話題に目鼻立ちを与えて頂く役割は、舞鶴工
業高等専門学校の吉永進一先生にご依頼しました。

近年、『日本人の身・心・霊-近世民間精神療法』第Ⅰ・Ⅱ期を編集・解
説された実力派の先生には、「近代日本隠秘学概説」との演題で、霊術と
は何なのか(宗教学上の定義)、日本人の心性と霊術(なぜ近代日本でブ
ームを巻き起こしたのか)、霊術と療術の関係(西洋新渡と東洋古来の隠
秘学の習合)などについて、縦横無尽にお話しいていただく予定です。

その上で、すっかり我々の後見人的存在となった正木晃先生に、個別の事
例として「岡田茂吉の手かざし療法」を紹介していただきます。

つい最近、『はじめての修験道』を著された先生には、明治政府の神仏分
離政策と修験者の環俗、「修験呪術」にとどめを刺した「梓巫市子憑祈祷
狐下ル禁止ノ件」「禁厭祈祷ヲ以テ医薬ヲ妨クル者取締ノ件」などの法的
な問題から説き起こしていただき、岡田茂吉の世界救世教、その分派の世
界真光文明教団・神慈秀明会における手かざし(浄霊)について詳論のの
ち、メスメリスム(メスメル)→太霊道(田中守平)→外気功(現代中国)
という流れ、我々にダイレクトに関係するところまで話題が広がれば、と
欲張りに考えています。

後半のフリー・ディスカッションですが、前回の鼎談は司会の準備不足と
当日の時間不足のため雑談に流れてしまったきらいがあり、今回は発表者
間の議論を中心とし、会場からの質問や意見は最小限に止める所存である
ことを予めお断りしておきます。

来年の予告をすると、同一テーマの第2弾で、すでに『野生の哲学―野口
晴哉の生命宇宙―』を執筆された京都文教大学助教授・永沢哲先生の参加
が内諾しております。


◎最後に
「冷静と情熱の間」にある豊かな感性を磨く機会となればと祈念しつつ、
会員諸氏の奮っての御参加を切望する次第です。また、かくもご案内が遅
れましたこと、つとにお詫び申し上げます。

和方鍼灸友の会主宰 長 野  仁 謹識

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