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映画「母と暮らせば」観賞会風景atうはらホール(スケッチ&コメント)

2016-10-16 08:40:17 | スケッチ
映画「母と暮らせば」観賞会風景atうはらホール


江嵜企画代表・Ken



映画「母と暮らせば」,第22回読売神戸シネマフェスティバル観賞会が10月14日(金)10時半から東灘区民センター「うはらホール」で開かれ、楽しみにして出かけた。定員650名の会場は最前部には空席が見られたがご婦人中心に大盛況だった。

映画は1945年8月9日11時02分,長崎に原爆を投下した爆撃機の中のやり取りから始まる。画面は一転して学校に向かう学生を母親が見送るシーンへ。テンポよく発車直前の満員の路面電車に学生が辛くも飛び乗るシーンと続く。

大学の朝一番の授業風景へ。そして画面は大音響とともに教室まるごと吹き飛ばされるシーンに出くわし、観衆は度肝を抜かれる。長崎に原爆が投下されたのである。

「母と暮らせば」は2016年,第39回アカデミー賞優秀作品であることを恥ずかしながら映画を見てから知った。助産婦を演じた吉永小百さん、息子の浩二、学生役の二宮和也さんもそれぞれ優秀女優賞、男優賞をもらっている。130分の映画だったが母と息子との息詰まる対話に堪能した。

原爆で死んだはずの息子が原爆投下の1945年8月9日から3年目の命日に墓参りして帰宅したその日に突然現れる。浩二は「母さんは諦めが悪いから、なかなか出てこられんかったとさ。」と口を切る。

その日から浩二は時々伸子の前に姿を現すようになった。浩二の父親は若くして結核で亡くなった。伸子は助産婦をしながら浩二を命がけで育てる。長崎医科大に入れた伏線の一つがそこにある。

もう一つの伏線は医科に進めば徴兵をまぬかれることになっていた。当時多くの学生が転籍して文科から医科に移った。東京の大学から長崎医科大へ変わり原爆にあった方の話を聞いたことがある。

その長崎医科大を原爆が直撃した。浩二には長男がいた長男の命日は1945年6月9日である。伸子の夢枕に長男がおらわれたのは戦地で船が沈められた丁度その時間だったことがわかる。

伸子は浩二に「兄さんはその時限りよ。出て来たのは。浩二はこうして時々出てくる。どうして?」と聞く。浩二は「兄さんは、戦地で母さんのことを毎日毎日思っていた。ぼくはあっという間だった。」という二人のやり取りが特に印象に残った。

ある日、助産婦の仕事でくたくに疲れて帰宅した伸子の前に現れた浩二が「母さん、これからは来ないよ。」と伸子に話す。どうして?と伸子。浩二は「いつも母さんと会えるんよ。」と答えて消える。

伸子はそのままくずれるように体を横にする。ほどなくして知人が入口の窓を激しくたたく音。返事がない。伸子は安らかな顔で眠っていた。ラストシーン、浦上天主堂での式典の場面が印象的だった。(了)
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