【公式】死神(ギター弾き歌手)ホームページ

<検索>死神、しにがみ、ソロ、シンガーソングライター、弾き語り、ギター、ミュージシャン、情念、フォーク、歌謡、演歌、日本

おやすみ

2012-12-30 00:00:00 | 声明文
私は今から11年前、
すなわち18歳の頃から
パーソナルコンピュータ、
すなわちパソコン、
すなわちPCを所持している。

所持しているというといかにも
手前の財力を持ってして
購入したかのように
聞こえるかもしれないが、

白状すれば上京祝いに父から
「この先必要になる時代くるぞ。」
と買い与えられたものだ。

当初は専ら
アダルトDVDの閲覧専用機として活躍、
時折思い出したかのように
レポートに使用した。

当時15万はしただろうか?
井乃頭蓄音団よろしく、
これではまさに、
「親が泣く」である。
宝の持ち腐れも甚だしい。

21歳の時、
リクルート社の陰謀に
まんまと引っ掛かり、
また無技能に加え、
無能を自覚していた私は、
職探しのために
パソコンをインターネットに繋いだ。

購入から実に3年後のことであった。

恐る恐るインターネットの門を潜ってみれば、
本当とも嘘ともつかぬ情報が入り乱れ、
ハイテクなのかローテクなのか判然としない、
「"捨てる能力"のない」、
巨大なスポンジ空間に思えた。

調べても知りたい情報を手に入れるまで
時間がかかった。
暫くの間は職探しのみに利用した。

それからしばらくして、
検索のコツみたいなものを
掴んでからは早かった。


知りたい情報をスピーディーに
バンバン知ることができるようになった。

お、便利じゃん!
と思えたのはネットに繋いだ1年後のこと。

この頃あたりからだろうか、
パソコンが私に語りかけるようになった。

パソコン、私は「ウィンドウズ」
というのを使用しているのだが、
このウィンドウズは
起動した後に「起動したよ」
を知らせる短い音楽が流れる。

初めはただの音楽に過ぎなかった。
が、ある日あの音楽が、
「おっかーぇりぃーなっさぃー」
と聞こえてしまったのだ。

お帰りなさいと
パソコンに語り掛けられ、
機会に言われたかねぇわなと
しばらく無視を決め込んでいたら、
ウィンドウズしつこく、
シャットダウン時に、
ミドルテンポので
「おやすぅみぃ」
と語り掛けてくるようになった。

爾来、
私は非情にも彼のお帰りなさい、
おやすみなさいを無視し続けている。

そのせいか、
最近では起動するのに
15分もかかるようになった。

当方の無視に対する、
復讐、ストであろう。

考えるのが面倒になると
動きをジーッと停止したり、
わざと緩慢な動作をしたりと
怠惰極まりない。

買い替えようかと真剣に考え出すと、
仕方ねぇなと
突如パチパチと快調に働き出す。

機械と交信しているような気持ちになるが、
そんなことアルマイト、
布団に潜りながらシャットダウン。
するとやはり、
「ぅおやすぅみぃ」
とくるからやりきれない。

悲しくて悲しくて。
とても。

というわけで尻すぼみ、
今年最後の声明文でした。

ありがとうございました。

また来年も宜しくお願い申し上げます。

諸々に疲労困憊、来年の定期更新危うし。

町田町蔵の名曲「どうにかなる」の精神で、
乗り越えようと思う、思いたい。

合掌。


この記事をはてなブックマークに追加

12/27演目紹介

2012-12-29 12:28:27 | お知らせ
舞台は結果がすべて。
あれが私の"今の"全実力である。

演目:ギター弾き語り

1、病は伝染る
2、夢からさめない夢
3、悲しみの冷蔵庫
4、機械的運動
5、睡葬
6、水を飲んでも眠れやしない

歌い納め。
年間23公演、
一番公演をやった年であった。

有難う御座いました。

この記事をはてなブックマークに追加

泳げ、秋刀魚君。擦れ、おろし君。

2012-12-23 00:00:00 | 声明文
秋、私は頻繁に秋刀魚を焼いて喰った。
最近はズーパーマルクトにて、
ハラワタを取り除いたやつが売っているため、
便利なことこの上ない。

あまりに頻繁に喰うため、
大根おろしに丁度良いという
おろしがねも買った。

よって大根も同じく大量に消費した。

(すりたての大根おろしに醤油を垂らすと、
ピリリと辛くこれが秋刀魚によく合った。
定番の絶大なる威力たるや。)

しかし、秋刀魚を焼くにあたり、
一つ工夫をしなければならなかった。

我が家のグリルはどうも奥行きが狭く、
秋刀魚一人をそのまま網に乗せると、
頭または尻尾がはみ出て乗りきらない。

よって秋刀魚の切断という作業が
必要になるのだが、
これがどうも気が滅入る。

まな板に秋刀魚をペタン。
とやり、
包丁を持つと、
秋刀魚とどうも目があってしまう。

その瞳が潤んでいるように見えてしまう。

「お前が俺を食べるのか?
もっとマシなやつに喰われたかった。」

「まな板の上のコイは
バタバタ身悶えて抵抗できるが、
私は今や一匹の死骸である。
抵抗できない。
たい焼き君みたいに逃げたい。」

と言われているような気がして
正視に耐えない。

が、空腹感から妖怪・餓鬼と化した私は、
かようなセンチメンタリズム、
メランコリーな感じを直ぐ様払拭し、
目をやや背けながら、
失敗に包丁を入れる。

包丁とは、"引いて"初めて切れるものだ。

つまり、包丁を秋刀魚に入れた後は、
引かなければならない。

引く。

ゴリッ。

もう一丁、引く。

ゴリッ。

この感触、包丁越しに伝わる
この不穏な振動がいけない。

太さ、その切断時のゴリゴリ感が、
指の切断を連想させていけない。

ダウナーな気分で切り落とした尻尾を、
生ゴミを入れる三角コーナーに
置くように捨てる。

人の指を捨てているみたいで、
何か申し訳ないからだ。

そして漸く、前もって熱しておいた
コンロの下段のグリルに秋刀魚を投入する。

気持ちはややアッパーになる。

焼き魚のセオリー5、7、5を概ね守って、
時折焼き具合を目視しながら
焼き進めていくのだが、
ここにも一つ難所がある。

焼き魚はどうしたって
目玉の破裂は免れない。

グリル内で、
バチバチっと脂がはぜる音に加え、
ボスン、ブスンと目玉が破裂する音を
耳で追ってしまうのだ。

嫌なら気にしなければいいと思うだろうが、
嫌なものだからこそ、
ますます耳をそばだてて聞いてしまうのだ。

この目玉の破裂を乗り越え、
焼き上がった秋刀魚は、
食べ物としての
「焼き魚」という感じのため、
ここで漸く一切の抵抗感が消滅する。

コタツに秋刀魚、味噌汁、
ご飯を運搬し、
頂きますも言わずに秋刀魚にかぶりつき、
一人、旨い、嗚呼旨い!と呟きながら、
短い、短い秋を堪能したと
年の瀬に語る秋の思い出。

この記事をはてなブックマークに追加

12月16日演目紹介

2012-12-17 17:35:52 | お知らせ
3曲やりました。

ギター弾き語り

1、病は伝染る
2、夢からさめない夢
3、水を飲んでも眠れやしない

病気に纏わる選曲を。
体調が疾病でクズのため、
早々に帰宅。

短い滞在時間にも関わらず、
聞いてくれた方、
音源買ってくれた方、
ありがとうございました。


この記事をはてなブックマークに追加

目、開けて、生きていますか?

2012-12-16 00:00:00 | 声明文
"くくり"は窮屈だ、息苦しい概念だ。
ククレは好きだ、カレーだからだ。
でもクレアおばさんの方がもっと好きだ、
安いからだ、だ、だ。

人間一人一人が個性があり、
人間に関わるあらゆる"くくり"、
外人風に言えば"カテゴラァイズ"は不毛である、、、

とは私は思わない。

好き嫌いをべつにして、
俗世に生きる限り、
決して無視できない概念だと思っている。

アンチ"くくり"派の人々、
人間皆人種の壁を越えた仲間さ、
ラブアンドピースの
"オノヨーコ系ゲイジュツ家"
諸氏に幾つか問い掛けてみたいことがある。

日本人とくくるのはおかしいというが
日本製を信頼するのは何故か?

中国製の製品、
中国産の食物も全てモノによって差がある、
違うと言えるだろうか?

生理的嫌悪、観念的嫌悪は無視できるのか?

国民性などない、
人間は一人一人違うと唱える学者もいるが、
しっかりと、確かに、
あるじゃないかと思うのだ。

目、開けて、生きていますか?
メイ、アイ、ヘウピュー?

例えば。

飲み会や晩餐時。
皆でつついていた唐揚げの皿、
何故、何故、最後の1個、
最後の1個だけ残るのか?

良い悪いは別にして遠慮深く、
他を思いやる
(←争いをなるべくしたくない、
自分がでしゃばりと思われたくない、
傍若無人な馬鹿、
餓鬼と思われたくないという
非常に自己防衛的要素の強い思いやり故、
本当は思いやりでもなんでもなく、
ただのエゴでもあるのだが。)
これを国民性と言わずしてなんと言おうか。

アウトローであろう舞台人や
バンドマン逹と飲み食いしていたって、
最後1個の唐揚げが残るのだ。

何度もその光景を目撃、観察し、
遠慮深い日本人的気質、、
と確認を繰り返してきた
経験に基づく事実でもあるのだ。

極めて暴力的で怖そうな音楽、
即ちハードコアやメタルの人達だって、
ライブ中は
「ファック、デストロイ、マクドナルド」
または、
「アナーキー、フランチャイズ、ミニストップ」
または人差し指と
薬指を折り曲げ顔をひしゃげて
獣のような声色で、
「ブォ゛ー冷や麦サイコゥー!」
と咆哮しているが、
打ち上げになればその暴力性はなく、
極めて遠慮がちに唐揚げなどを小皿に取り、
どの皿もあと一口分だけが残っている。

これも本当の本当に個人差と言えるだろうか?
どちらかといったら、どうだろうか?

"くくり"は不自由かもしれない。

だが、不自由の中にこそ
自由がある気がしてならない。

完全な自由もまた
不自由なのかもしれない。

この記事をはてなブックマークに追加