【公式】死神紫郎ホームページ

2018年より死神改め、死神紫郎(読み:しにがみ しろう)に改名。ギター弾き歌手。

精神が死んだら肉体も滅ぶのだろう。

2012-02-26 00:00:00 | 声明文
死の瞬間というものを考えたとき、
人間を構成する肉体と精神
どちらが先に死ぬのだろうか?
若しくは同時に死ぬのだろうか?
という疑問にぶち当たる。

(漠然と人間を肉体と精神と
定義してしまうのは
やや乱暴な話だが私はそう思っている。)

病気、老衰、事故、
自殺、他殺、死に方は様々だ。

私が興味があるのはとりわけ死の瞬間、
生と死の本当の間だ。

いったい肉体と精神どちらが先に死ぬのか?
はたまた同時なのか?

考えれば考えるほど頭はこんがらがり、
思考は右往左往を続けた挙げ句、
毎回どちらともつかず停止する。

だが先日、
インターネットのニュースを見ていた際、
その糸口らしきものを思いがけず
ひっ捕まえることができた。

自殺で意識不明の重体だった人が
搬送先の病院で
数日後に亡くなったという内容だった。

あーーーーなるほど!

最後の最後まで肉体は生きたがるのか。

本人が死にたくて自殺したのに
肉体はその意に反して
意識不明の重体という状態で
生きようとしていたのか。

死の最後の瞬間まで
肉体は生きるために血を送り出す。

心肺が停止し血が送り出せなくなっても
細胞はその届いた分の血液を使い、
ギリギリまで、
数秒、数十秒を生きようとする。

精神の死のタイミングは
死に方によって違うだろう。

自殺ならそれを決行した瞬間かもしれないし、
事故や病気ならもっと後だろう。

様々な要因が絡んで
限りなく同時に近くても
やはり僅差で肉体の死が
後になるような気がしてならない。

これは直感だ。
(直感は時に論理をも凌駕するのだ!)

肉体は最後に死ぬというのが現在の仮説だ。

しかし、
そんなの死んでみなくちゃ分からないじゃん、
という御仁もおられよう。

じゃあ試しに1回死んでみよう!
と言ってお試しで死ぬことができないのが
人生というもの。

たしか15年位前、
いじめ自殺がブームになった頃、
とある中学生が自宅で首を吊って死んだ。

関係者はいじめか?と疑ったが、
遺書には
「死後の世界があるのか知りたかった。」
ということが書かれており、

突然死ぬことへの家族に対する謝罪と、
これは決して今流行りの
いじめによる自殺ではないこと、

あくまで死後の世界への強い憧れと
好奇心ゆえの自殺だということが
書き記されていたという。

彼は一回死んでみたくて死んだ。

果たしてその後などあったのだろうか?

いくら思いを馳せても返答はない。

死人に口なし。



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プレッシャー飯店

2012-02-19 00:00:00 | 声明文
世の中にはプレッシャー飯店(はんてん)
というのがある。

私はプレッシャー飯店が凄く苦手だ。
なにより生きた心地がしない、
食った気がしない。

一応だが説明しておくと、
プレッシャー飯店というのは
私が作ったいわゆる造語で、
事典などにはまだ載っていない。

プレッシャー飯店とは、


店に入った瞬間に注文を聞いてくる、
または注文しなければならない店。


都度、注文を細かくしなければならない店、
具やタレ、オプションなどを、
店員氏の流れ作業に合わせて
テンポよく言わなければならない店。
(例/サブウェイのサンドイッチなど。)


専門用語や店独自のルールを
知らなければならない店。
(例/ラーメン店の二郎など。)


その他、店員からの圧力や、
後ろの客待ちのプレッシャーが
無駄にかかる店。

のことを指し、
①~④一つでも該当した店は
プレッシャー飯店という扱いになる。

私はなるべくゆっくり
悩みながら決めたいタチなので、
あまり急かされると
結果最悪の選択をしてしまうのだ。

その良い例が、
新宿のうどん屋での出来事だ。

昨年1月だったと思う。
友人と新宿で落ち合い、
じゃあ先ずは昼飯だと入ったうどん屋が
プレッシャー飯店であった。

しかも運が悪いことに
①、②、④が該当するという
極めてハイプレッシャーな
うどん屋であった。

入店してすぐ、
まずはうどんの量の指定しなければならなず、
ここはまありあえずは中盛りで、、、
となんなく切り抜けたが、

お盆を流れ作業台に置くとすかさず、
かき揚げや茄子、
春菊、油揚げなど、
様々な具の一覧から
どれを乗せたいのかを
選択するよう迫られ、

本当はしばらく眺めてから
決めたいところなのだが、
気持ちをグッと押さえて、
素うどんじゃ格好がつかない
という理由だけで油揚げを選択、
安堵したのも束の間、

次いでご飯ものの選択を迫られ、
慌てて焼豚の乗った
小さい丼を頼んでしまった。

これに関しては100%失敗であった。

別にそんなに食べたくなかったのだ。

食べたくなかったのに
どうして頼んでしまったといえば、
店員のプレッシャーと
後ろに並んでいる人のプレッシャー、
つまりダブルプレッシャーが
私にかかったからだ。

店員のプレッシャーだけなら
無難にいなり寿司
という選択ができたと思う。

だが、後ろのお客が
私を追い越さんとばかりに
強烈なプレッシャーを掛けてきた。

それによって私の思考は停止、
壊れたメカが
予測不能な誤作動を起こすかの如く、
焼豚の乗った小さい丼を
頼んでしまったのだ。

お盆に乗った
キツネうどんと焼豚の丼を見て、
私が食べたかったのはこれではない。

そう確信したが時すでに遅し、
次に待っていたのは会計であった。

そして私はこのうどん屋を
三つ星のプレッシャー飯店認定し、
今後二度と寄り付かないことを心に誓った。

ラーメン。

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授業参観のナカイハシはどこだ?

2012-02-12 00:00:00 | 声明文
12月11日深夜1時。

10日の死神企画の終演後、
残った人々と簡単なアゲウチを(珍しく)し、
高円寺からよらよら自転車を運転し、
上機嫌で(←お茶しか飲んでないのに)
アパート前に到着した。

自転車置き場でがしゃがしゃ収納していると、
左脇からヌッとご婦人が現れた。

左横からヌッご婦人が現れた。
とフツーに書いたが、
深夜1時、人気のない住宅街で
外灯に薄暗く照らされたご婦人が
ヌッと現れたらどうだろうか?

出くわした人はまず
驚くのではないだろうか?

そう、つまり私は驚いたのだ。

ビクッとしたのと同時に
ご婦人は私にこう声を掛けてきた。

「ナカイハシはどちらかしら?」

??

??というのはこの
「ナカイハシはどちらかしら?」
という問いに対してではなく、
女の雰囲気のオゾマシさであった。

白粉を叩いたような顔面に
大仰な口紅と、
クレヨンで書いたようなシャドー、
まるで授業参観で気合い入れすぎた
どっかのお母さんみたいだ。

例えるなら、
犬神サーカス団のボーカルを
15歳位年をとらせて、
半年浮浪させたのち
授業参観に出席させたようなご婦人いや、
女いやバケモノだったのだ。

私はビビりにビビりまくった。
殺されるかもしれない…!
歯がカチカチ鳴りそうになるのを
グッと堪えて、

「ナカイハシ?知りませんね。
私はここら辺の住民ではないですから。」
とたった今自転車を収納していたくせに
大嘘をついてみた。

するとご婦人いや女いや以下、
参観ババアとする。

参観ババアは、
「ねぇ、あたしいくつに見える?
実は39歳で旦那いるんだけど。
今日初めて浮気してきちゃった。
ミクシーで知り合った人と
会う予定だったんだけど、
ドタキャンされちゃったの。」
などとのたまう。

ドタキャンされちゃったんじゃあ
浮気になってないじゃんと
突っ込みたい気持ちを抑えつつ、

「たしか向こうにコンビニがあったから
そこで聞いてみるといいですよ。はい。」

と受け流すことにした。

すると参観ババアは、

「あたしね、焼酎17杯も飲んじゃったの。
ねぇお兄さんいくつ?」

と奇妙なことを問うてくる。

私はまたもや受け流すことにし、

「私はここの住民ではないから
分からないですね。
あの、この自転車は借り物で
ただ返しにきただけですから。
全く分からないです、ここら辺。
コンビニが良いですよ。
聞くならきっと。
向こうにコンビニがあったはずなんで
聞いてみてください、はい。」

とコンビニに全てを押し付け
逃げる方針を固めた。

すると参観は、

「ところでねぇ
お兄さんいくつなの?ねぇ。」

となおもしつこく
真っ白い犬神顔を近づけてくるので、

「向こうのコンビニで聞いてみてください。
多分、分かるはずなんで。
それでは急いでいるので失礼。」

と話を断ち切るように
楽器と荷物を背負い、
参観をコンビニ方面に歩き出すよう促してから、
私はその逆方向に歩き出した。

ついてこないよう
細心の注意を払いながら、
辿り着いた数十メートル先の
曲がり角からコッソリ、
参観の動向を観察、
完全に姿が見えなくなったのを確認したのだが、
まだ近くに居るかもしれないと思うと怖くなり、
町内を適当に歩いてから帰宅した。

そしてその夜、
参観が出演する夢を何度も見てしまう。

ナカイハシはどこ?
ナカイハシはどこ?
と高速道路で追い掛けまわされ、
車はビュンビュンで危ないわ、
参観は狂ってるわで、
恐怖で助けを呼ぼうにも、
ハァアア、アアア、
アアアと声にならない声しか出ず、
高速道路だから助けてくれる人も
逃げる場所もないといった絶望的な内容。

最低最悪の目覚めであった。

で、ナカイハシってどこだ?

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お釣りで流し素麺。あまりにも華麗に。

2012-02-05 00:00:00 | 声明文
コンビニエンスストアーなどで、
お釣りをレシートの上に乗っけて渡され、
そいつを財布に上手く仕舞えず
ボロボロと落っことした経験はないだろうか?

私はある。
何回も。

周りの人からも
あ~あやっちゃったという目で見られ、
恥ずかしいから早く立ち去りたいのに、
毎度やりすぎと自覚している深爪が災いし、
素早く取れない。

焦れば焦るほどカツンッ、
カツンッと空振りし、
後ろのレジ待ち客の視線が痛い。

大丈夫ですかぁ?
と迷惑顔でレジ越しから見下ろす店員。
すいません、申し訳ない。
とコジキのように腰をこごめ
小銭を拾う私。

その度に私は、
「手先が不器用な私が悪い」
と考えていた。

きっと店員氏も、
「手先が不器用なあの悪人面の男が悪い」
と考えていたに違いない。

私の手先が不器用なことは認めよう。

小学生時代、
一度もミニ四駆を組み立てられず、
家族から
「動かなくたってカッコイイもんね。」
と慰められ続けた、
動かないミニ四駆職人という自負がある。

しかし私は最近ある一つの疑問にぶつかった。

果たして悪いのは、
私だけではないのではないか?
という疑問だ。

レシートの意味を再考すると、
レシートとは、
あーたとあーたの間で
これこれこういう売買が成立しましたよ。
という証拠が書かれた紙切れだというのは
小学生でも知っている。

しかしだ、
もう一度慎重に考えてみよう。

私が着目したのは
「成立しました」の
「した」の部分だ。

レシートは売買が成立した
「あと」の証拠、証文なのだ。

つまり、お釣りは絶対に
「先」に貰わなければならないのだ。

(学生時代、飯屋でアルバイトしていたのだが、
その店では幸いにもお釣りを渡した後に
レシートを渡す習慣があった。)

結果が同じならいいじゃないかという
行為無価値論者の立場からすれば
馬鹿馬鹿しい話、
神経質な男の話に過ぎないだろうが、
でもだってしかし、
レシートの上に乗っけて
釣り銭をジャララァッ!
と流し渡すのはおかしい。

なんてったって
財布に仕舞いづらくて堪らない。

お釣りとレシートを
別々に渡してくれさえすれば、
いくら手先が不器用な私でも、
きちんとお釣りを
財布に仕舞える自信があるのだ。

これからはもし、
お釣りを落っことし
アカラサマに迷惑顔をされた場合には、
「これは私の不器用さによるものだが、
別々に渡してくれぬ
貴方の怠慢も多い関係している。」
と主張しようと思う。


生き辛い世の中ですから。

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