気ままな太太日記3@上海

2016年4月、夫の転勤で深センから上海へ。
日々の暮らしを元気に幸せにするお役立ち情報を綴っていきたいと思います♪

【コラム】その6 赤ちゃんは一番の先輩

2017年04月12日 | 覚書 ‐哲学
 『輪廻転生(りんねてんしょう)』って考え方がありますね。

死んであの世に還った魂が、この世に何度も生まれ変わってくることです。

以前ブータンを訪ねた際、ドライバーのお兄ちゃんが目の前をぶんぶん飛んでいた虫をそっと手で包んで窓の外に逃がしてやっている姿が印象的で今でもよく覚えています。虫を包む手が優しさに溢れていました。それを見ていた私は「チベット仏教では不殺生という教えがあるよね」と言うと、彼は「あの虫ももしかしたら自分の父の生まれ変わりかもしれないからね」と答えました。私は衝撃を受けました。

そんな風に世界を見ることができたら、争い事なんて何ひとつなくなるのではないかと思うほどでした。
私もそんな風に心穏やかに日々過ごせるようになりたいと心底思ったのを覚えています。



自分が生きているこの世のこともわかららないことだらけ。
自分自身の体や心さえコントロールできないことだらけ。
人間なんて宇宙の中のちっぽけな存在。

輪廻転生が本当に繰り返されているかどうかかなんてそんなちっぽけな私が知る由もないのですが、そういう前提で生きている人とそうでなかった私とでは目に映る世界が全然違うんだということは確かでした。そこに気づけただけでも有難かった。


さて、では輪廻転生が繰り返されるという前提で物事を考えてみると、生まれたばかりの赤ちゃんは魂の上では最も先輩にあたります。



現代社会においても一般的に、あらゆる学問や電子機器など、最も新しいものや最も新しい情報が一番優れていると考えられていますね。
それと一緒で、命も一番新しい生まれたての赤ちゃんが一番優れていると考えられるのではないでしょうか。

親はどうしても子供を育ててあげなきゃ教えてあげなきゃと考えがちですが、赤ちゃんは進化していると思ったら、古い自分が教えてあげられることって実はあまり多くないのかもしれません。
良く「子供から教わることばっかりで」とおっしゃる親御さんがいらっしゃいますが、それは当然のことでありそれを認めることができているあなたはとっても立派だと思います。

無防備な赤ちゃんはもちろん守ってあげることやサポートしてあげることは必要だけれども、きっと私より知っていることってたくさんあるんだろうなと最近思うのでした。


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【コラム】その5 バランスをとること=生きること

2017年02月17日 | 覚書 ‐哲学
突然ですが、バランスをとるって大事ですよね。

体のバランス、心のバランス、陰陽のバランス、仕事とプライベートのバランス、飴と鞭のバランス…などなど。

でも最近思うのですが、バランスがとれて真ん中でピタッと止まり続けることってなかなかもって不可能ですね。
どちらかに偏ってしまったり、両方を行ったり来たりしたり。それは当然のことだと思います。

でもどちらかに大きく振れすぎてしまうと病気になったり、トラブルが起きたり、人間関係が悪化してしまったりしますね。だからやっぱりちょうどよくバランスが取れる方へもどすことが大事。

気を抜くとどちらかに偏る、でもまたそれを修正しようとする。
その繰り返しが人生で、バランスを取ろうとしつづけることそのものこそが”生きる”ことなんだな~って最近つくづく思います。

しかし、バランスを取ろうにも、そもそも自分が偏っていることに気づけないと元に戻そうとすることはできないですね。そのことに気付ける人がきっと”バランスのいい人”なんだと思います。




そして、ここからが最も大事なことですが、人間は誰しもが真ん中に戻ってくる力をそもそも持っています。
自分が偏ったことに気づいたら、逆らわず、焦らず、自然に身を任せ心地よいほうに向かっていけば自然と真ん中に戻れます。

だから偏ってしまっている現実を嘆く必要はないと思うんです。
嘆いているのは偏ったところにとどまっていたいという自分の意志の表れで、それが結果として現象にあらわれてしまいます。つまり自然に元に戻ろうとする流れを邪魔していることになるのです。

そのことに気付くことが大事。



そういえば、先日家族でヨガに参加して下った皆様にヨガが初めてだというので「ヨガは自然な状態に戻ること」だと私は思っています、という説明をしたら、素直な皆さんはすんなりと理解してくれて、それを体で実感してくれたようでとっても嬉しかったのです。

考えることの反対語は感じること。

頭で理解するより体感することのほうがよっぽど腑に落ちることって往々にしてあります。

体や心の偏りを敏感に感じ取って、自然の流れに身をゆだね真ん中に戻ってくる習慣を身につけることができたらきっと生きるのが楽になると思います。

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ヨガ・瞑想、そして茶藝

2017年01月18日 | 覚書 ‐哲学
今日はちょっとヨガのお話しがしたい気分ですのでお付き合いください。

ヨガを初めて早9年。



私にとってヨガは「生活そのもの」であり「生き方の指針」なので、何か新しい情報が入ってきてもベースをヨガの哲学に置き換えて考えてしまう癖があります。

〇〇って言われると、あぁそれはヨガでいうあれだね!ってな感じに。

そこまでヨガが自分の中の一部になっていることに気づいて自分でもびっくりしていますが、9年前からそれだけのめりこんできたということなんだろうな。

といっても、アーサナの練習をストイックに行っている方ではないのですし、ベジタリアンに徹しているわけでもないので、自らをヨーギーと名乗るのは恐れ多い。。(ダメじゃん!笑)

それでも精神的な落ち着きや、集中力、リラックス法など心をコントロールする力はかなりついたので、実際、性格はだいぶ変わったと思います。

昔からヨガは生活の中に生きてこそというのが持論。
(もっと学校教育でも取り入れるべきだとずっと思っています。)
そういう意味では日々意識して実践しているという自覚はあります。



最近ではヨガを知らない人はほとんどいないといっていいくらい、その言葉は世に浸透していますが、では果たして本当の意味でヨガを知っている人がどれだけいるかと言ったらそれもまた少ないかもしれません。


ちなみに、ヨーガスートラ(ヨガの経典)によるとヨガとは則ち「心の作用を止滅すること」とあります。


近年、瞑想が集中力を高めたり、脳を休めるのに良い方法として注目を浴びていますが、瞑想はヨガが目指す境地(三昧)の一つ手前の段階(訓練)です。その前に調気法(呼吸の練習)があります。さらにいうと、皆さんがヨガと言って思い浮かべるポーズ(アーサナ)の練習はそのもう一つ前の段階です。そして一番手前にヨガを行う心構え(人として正しく生きるためのベース)としてヤマ・ニヤマというものが存在します。

これぜ~んぶひっくるめてヨガの実践で、最終目的は「心の作用を止滅すること」です。笑


さて、そんな難しい話はさておき、私自身も瞑想熱がまたあがってきております。
昔インドで毎朝1時間マントラを唱えながら瞑想したのが懐かしい。
その時覚えたマントラは気に入っていて、今でもことあるごとに唱えています。
昨年日本に帰った時もここぞとばかりに瞑想講座に足を運び夢中になって実践していました。

そしてここにきて何故か最近旦那も興味を持ち始めたようで(^m^)瞑想の本を買ってました。
いい傾向ですね。でも結局放置されているので、私が代わりに読んでやりました(笑)
精神科医が提唱する脳科学と瞑想を掛け合わせたマインドフルネスに関する本でした。

その本を読んでて思ったのですが、瞑想の実践方法として、中国茶藝がすごくいいんじゃないかなと。



中国来てから茶藝を習っているので、こちらもかれこれ5年くらいになります。
中国茶は香りが広がるのが一番好きなところですが、体への反応もテキメンで美味しいので家でも毎日淹れています。

飲んでくれる相手がいれば、相手を思い、準備して、美しい所作で美味しく淹れるのが中国茶。
中国茶を淹れるときはとても心穏やかになりますし、集中します。また、品茶をする際も五感をフルに使って味わいます。
その一つ一つの動作に集中することや感覚を研ぎ澄ませて味わうことが”瞑想”に通ずると思っています。
自分の感覚を「いまここ」に置き、心を鎮めることができます。
実際に雑念だらけの心でお茶を淹れても美味しく淹れられないし不注意でやけどをするかもしれません。

毎日のお茶を淹れる時間が私にとってはおのずと瞑想の時間になっていたような気がします。



中国茶に限らず、「道」の世界はみな極めると同じような境地に至るのでしょう。

他にもあらゆるスポーツやモノづくりなど、無心で没頭できる何かってすごく大事。
そういった趣味を持つことでまた、瞑想に近いリフレッシュ感を味わえるのではないかと思います。


とりとめのない内容になってしまいましたが、長くなったのでこの辺にしておきます(^^)/
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【コラム】その4 迷ったら近づく

2016年08月16日 | 覚書 ‐哲学
オリンピック盛り上がっていますね!
みなさん素晴らしいパフォーマンスで感動します。

インタビューされている日本選手の皆さんはほとんど例外なく「応援してくれる皆さんのお蔭」「○○コーチのお蔭」「仲間のお蔭」と人への感謝の気持ちを口にしますね。世界の舞台にたつ人はやはり人間としても素晴らしい方々ばかりだなあと感心させられます。

オリンピックも残り5日間!?
私も最後まで応援したいと思います!!


ところで、久々コラムを書いてみたいと思います。

最近オリンピックを見るためにいつもよりテレビを良く見ています。
そうすると、やはり日本のニュースっておんなじことばっかり繰り返すなあと改めて思いました(^^;

そして日本人は「○○はこうあるべき」といった固定観念が強い人が多いなあと感じます。
人に何か聞かれたときにたとえ本心とは違ったとしてもその場に相応しい受け答えをしたり、相手の期待に応えるような表現をすることが往々にしてあるように思います。

模範解答のように皆似たような応答をしたり、評価されそうな綺麗な答えを探したり、本当に言いたいことを飲み込んだり。。。

本音と建前の国ですからね。仕方がないのですが。

相手に合わせすぎたり、相手の気持ちを勝手に予測したりして。
自分たちで人間関係を複雑にするのが本当に得意な民族だななんて思っちゃうこともあります(苦笑)

そういう私も昔は周りがどう思うかがとっても気になって仕方がありませんでした。
一人で勝手にあの人からこう思われているんじゃないかと思い悩んだり、相手はこうしてほしいに違いないと決めつけたり(汗)

無意味に一人でもやもやすることがとても多かった気がします。

それを解決する方法を教えてくれた言葉がありました。

それは、「迷ったら近づけ」です。


人から嫌われていると思ったらその人をなんとなく避けてしまう自分っていますよね。
そうしているうちに相手もなんだか自分に不信感を抱くようになり関係はさらに悪化したりして。

相手の気持ちは相手にしかわからないものなので、迷ったら遠ざかるのではなく自分から近づいてみることにしました。
何かをきっかけにぎくしゃくしてしまったらできるだけ早く自分から次のアクションを起こすようになりました。

もちろんケンカごしでではなく(^^;)
"相手を思いやる気持ちで"というのは大前提なんですが。

これだけで勘違いや思い込みによる人間関係の問題はぐっと少なくなると思います。

これは家族や友人関係だけでなく、仕事仲間や取引先の人との関係においても同じです。

時間をおけば時間をおくほど、距離をおけば距離をおくほど、小さな傷はどんどん深く大きくなります。
迷ったらすぐに自分から近づいていくこと!
「あれ?」と思ったその気づきが何かのサインかもしれません。

人の心も自分の心も常に変化していますからね。
昔の記憶だけで相手を判断するのは結構怖いことですね。

人間関係も主体的にどんどんアップデートすることが必要だと最近思います。



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【コラム】その3 幸せ貯金

2016年06月17日 | 覚書 ‐哲学
昨日から、なぜか「天に貯金する」という言葉が頭から離れなくて。

せっかくなので、そのことについて書いておきたいと思います。


「天に貯金する」という言葉を最初に使ったのは恐らく小林正観さんかな。(違ったらすみません。。)

天に貯金をするというのは、本物のお金を天に捧げるわけではなく、昔からいわれる「徳を積む」と同じような意味だと私は解釈しています。
徳を積むって簡単に言うと善い行いを実践することで、その具体的な方法はみんななんとなくはわかっているはず。
関連の本は本屋さんに行けばたっくさんあるし、ネットで検索しても色々出てきます。

ヨガでは八支則の中のヤマ・ニヤマにそれらが集約されています。(この話はまた今度)

貧困地域への寄付や被災地への義援、ボランティアなどの慈善活動はもちろんですが、普段の掃除や笑顔や挨拶、身近な人助けや贈り物など、それらすべてが含まれると私は思っています。

すべての”愛と感謝の実践”が徳を積むことになるのですが、それを「天に貯金する」って表現したのがすごく分かりやすくていい。



貯金っていうと、しっかりたまっている感じがしますもんね。
そして利息が付いてちゃんと返ってくる。

天への貯金ももちろん、しっかりたまるし、何倍にもなって思いがけない形で自分に返ってきます。
私は最近すごくそれを実感するのです。

目先の見返りや利息は相手にしない。期待しない。
だっていつの行為がどんなご加護となって返ってくるかはわからないから。

ただひたすら天への貯金を積み立てておけば、必要な時に必ず返ってくる。ピンチな時に必ず守ってくれる。
運がいい人っていうのは、それまでしっかり貯金してきた人だと思うんです。

一見、損したな~とか、これ意味あったのかな?とか時間の無駄だったかも~なんて思うことでも、天に貯金したと思って、グチグチ引きずらないこと。
そして差し出すときは惜しまず、ためらわず、気持ちよく捧げること!

そうすると常に気分がいいのです♪

ちなみに、天の貯金は繰り越せます。繰り越した分は、子や孫やそのまた下の世代に恩恵をもたらしてくれるそうです。
なので、何か見えない力のご加護を受けたと思ったら、私はこれまで徳を積んでくれたご先祖様に感謝するようになりました。

日々の祈り、感謝、愛の表現が天に届いて、幸せ貯金として貯まっていくのだと思います。



注意)私は何か怪しい宗教団体に入っているわけではないので悪しからず(笑)



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