摂理人独り言

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言い訳 〜本当の神様の姿を隠す幻影〜

2007-11-07 22:29:41 | Weblog
前回更新が遅くなったのだが、ちょっとした葛藤があった。
その中で悟らせてもらったこと。

神様を必要以上に恐ろしい方だと捉えてしまうのは
恐ろしい人間のイメージを神様に重ねてしまうから…


神様は愛しかない方だ。
しかし、そう思えないことがある。
厳しい内容の説教が出たときなぞ特にそうだ。

神様は裁きをなさる。
私が間違いを犯したら、必ず。

ここで私は「裁き=死刑or追放or呪い」のようなイメージを持ちがちだった。
恐怖支配の神様?無慈悲な神様?間違いを徹底追及?
そこの捉え方に問題があるのだ。

間違いの内容にもよるだろうが、私の体験では
「裁き=ペナルティ(それはあかんぞ) → 次は頑張れよ」
だと思う。

何で、神様をそんな、恐怖支配だとか、無慈悲だとか思ってしまうのだろうか?
それは、今まで私が出会った中で、そういう人間が多かったからだ。
私が間違いを犯すと「出て行け!」と怒鳴り散らした家族。
努力しないと悲惨なことになると教え込む方法でのみ、努力させた教師。
間違いをすると、あるいは大勢の前で、あるいは長時間、私を罵倒した先輩。

そんな連中が多かったため、神様もそうなんだと(経験を頼りに?)勝手に決め付けてしまうのだ。
私の中のひどい人たちの幻影が神様の本当の姿を隠してしまうのだ。

神様の裁きは、「ペナルティ→次は頑張れよ」だと思う。
だから、やはり神様は愛しかない方だ。
聖書で、先生の説教で厳しい内容があっても、自分勝手なイメージで神様の本当の姿を上書きしては駄目だ。


<追記>
ちょっと待て…
神様がいるなら、ひどい連中に遭わせるか?
そんなことは起こらないんじゃないか?

いいや、神様を信じるからこそ、(最初、意味を悟る前は)ひどいと思うことが起こる。
それは、自分にとって大きな利益になる。
次回、愛のムチに続く。
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