摂理人独り言

摂理を信じ、摂理を愛する人のブログ

末端の声がトップに届く 風通しのよい摂理

2008-10-20 12:11:31 | Weblog
 宗教だけでなく、国家や会社でも、末端の声がトップに届かない場合がある。
 腐った組織とはこんなものではないだろうか。
 末端が何かを訴えても、幹部がそれをトップに報告せず握りつぶす。もし報告したら、自分が責任を問われるから、保身のためにするのだろう。そして、よい報告ばかりする。
 すると、トップは、その素晴らしい報告の数々は、自分の素晴らしい手腕の結果だと勘違いし、舞い上がる。裸の王様になってしまう。
 ワンマン経営、独裁国家にありがちだ。日本においても、そういう体験をした方は少なくなかろう。
 どうしても、腐った組織をいくつか体験してきた私は、摂理とそれらを比べずにはいられない。


 昨日の先生の説教を聴きながら痛感したことがタイトルの通りのことだ。
 「摂理は私のような末端信者の声が、トップである先生に届いているのだ」と。
 末端信者の心情を、悩みを、先生が代弁されていたのだ。
 末端信者の声に関する具体的な内容に関してはここでは控えさせていただくが、昨日(2008/10/19)の説教を聴いた人ならば見当がつくかもしれない。 

 摂理には、先生直通の手紙システム(私が勝手にそう読んでいるだけ)がある。先生宛に電子メールを送る。それが翻訳され先生に届くようだ。私もそのシステムができてから、数十通の手紙(メール)を送っている。
 「そんなの知らねー」という新しめのメンバーは牧師様にでも聞いてみてほしい。私のように人に悩みを話すのが苦手な方にもお勧めだ。先生がどういう方かよく分からんという人もやってみてはどうだろうか。
 以前、先生はが説教でおっしゃっていた。「皆さんからの手紙に返事は書けないが、全て読んでいる」と。
 だからこそ、説教の中で信者の声を代弁できるのだろう。
 そして、対処できる。
 私はそれで安心できるのだ。

 
 取るに足りないような末端の一信徒(それは人間の見方であり、天から見たら違うのだが)の声が直接トップに届く。これは健全なことではないかと声を大にして言いたい。
 先生がいい報告ばかり聞いて舞い上がり、裸の王様になるような人物でないことも嬉しく思った。

追記
 先生は、手紙を全て読んでいるとおっしゃった。
 それを確認することはできないが、信じている。
 今は、手紙を読めるような状況ではなさそうだが、おそらく、声は届いていると信じている。
 そして、返事が来たことはないが、手紙を送ることで不思議と状況が動くことは毎回のことだ。だから信じている。問題の内容にもよるのだろうが、私が昔所属していた某宗教団体のように、奇跡が起こらないのは信心の不足だとか、そんなけち臭いことは言う必要がない。大きな問題は時間をかけて、小さな問題はすぐに、手紙を送ることによって解決に向かう。
 だから、先生がよく分からないけれど、知りたいという人は試してみればいい。
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摂理×独り言

2008-07-11 01:58:18 | Weblog
俺、神様に感謝してる
俺、先生に感謝してる

でも、俺、まだまだ矛盾の多い人間
泣けるぜ
もっと、まじめで勤勉な人間だったらいいなとなう。
真剣な話。

しかし、しかし
なぜかしらんが、商売繁盛。
もちろん天の助けを受けての話だが、なんで?と思うこともある。
いいのかしら?

んでもって、もうじきパパだぜ。
俺に似たら、子どもは問題児かなw
笑えるなw

俺、問題アリなんだが、そんな自分が好きだったりする。
自分を好きになるって難しい人にとってはすんげー難しいことだと思う。
神様、俺を創って育ててくれて、超感謝。
先生、教えてくれて超感謝。
摂理にいると自分の矛盾や欠点と対面しつつも、自分を愛せるようになります。
俺の場合、時間がかかったけどね。

うはww俺、神様の作品!?w
しゃれてるね。
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摂理で知った愛

2008-06-27 08:24:14 | Weblog
先生の説教で学んだこと

神様は愛して祝福を与えたいのだが、
立場上そうできないことがある

私の行いがよく、心が純真であれば神様は安心して祝福を与えられる
でもそうでないから神様は安心して十分な祝福を与えられない

私の心と行いが悪いのに祝福したら、
「神様はあいつばっかりえこひいきする」
と文句を言う連中がいるから。

自分がましになればなるほど、不思議にいいことが増える。
最近なぜだか親切な人によく会うのだ。
摂理に来たての頃はそうでもなかったのだが…

神様、ありがとうございます。
もっと、自分の矛盾を解決して善良な人間にならせてください。
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先生の言葉から 同じ環境立場に立たされたら…

2008-06-25 01:43:57 | Weblog
先生の言葉 箴言
「あなたも同じ環境、立場に立たされたら同じことになる。あなた自身を許すようにその人も許してあげなさい」

 最近、通り魔事件が多いが…もし、私が例えば、通り魔をやってしまった人の代わりに、その家に生まれていたら、私が殺人をやっていたのではないかと思う。そういう環境で育てば、私だって殺人者になり得るだろう。もちろん思いとどまる可能性もあるだろうが。

 悲しいものだ、悪いことをしてしまう本人も辛いものだ。違うだろうか?
 放っておいてもおいても辛いのだから、わざわざ追い討ちを掛けることもないのかもしれない。

 摂理を悪く言う人はいる。もちろん、それに対して腹が立つ。(私はまだまだキリストの境地には程遠い)
 しかし、心が平安であり、幸せに満ち足りて生活している人が、果たして悪口を好き好んで言うだろうか?
 もし毎日幸せで、喜んでいるとして、それなのにわざわざ誰かにけんかを仕掛ける人がいるのだろうか?
 心に怒りや、憤懣、嫌な感情が溜まっていないのに、わざわざ悪口を言う人がいるだろうか?
 悪口を言う人に幸せな人なんていないよ…な?
 摂理と接点をもったことのない人も悪く言う。

 もし、私が彼らの立場で生まれたのなら、同じようにしていたと思うのだ。
 表示してはいないが、コメントに「死ね」などと書かれる。
 そんなコメントをする方には…
 もし、俺があなたの立場なら同じように「死ね」とか書くのだろう。
 
 だから、冒頭の先生の言葉のように、許さないと…怒ってはよくない気がするのだ。
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言い訳 〜本当の神様の姿を隠す幻影〜

2007-11-07 22:29:41 | Weblog
前回更新が遅くなったのだが、ちょっとした葛藤があった。
その中で悟らせてもらったこと。

神様を必要以上に恐ろしい方だと捉えてしまうのは
恐ろしい人間のイメージを神様に重ねてしまうから…


神様は愛しかない方だ。
しかし、そう思えないことがある。
厳しい内容の説教が出たときなぞ特にそうだ。

神様は裁きをなさる。
私が間違いを犯したら、必ず。

ここで私は「裁き=死刑or追放or呪い」のようなイメージを持ちがちだった。
恐怖支配の神様?無慈悲な神様?間違いを徹底追及?
そこの捉え方に問題があるのだ。

間違いの内容にもよるだろうが、私の体験では
「裁き=ペナルティ(それはあかんぞ) → 次は頑張れよ」
だと思う。

何で、神様をそんな、恐怖支配だとか、無慈悲だとか思ってしまうのだろうか?
それは、今まで私が出会った中で、そういう人間が多かったからだ。
私が間違いを犯すと「出て行け!」と怒鳴り散らした家族。
努力しないと悲惨なことになると教え込む方法でのみ、努力させた教師。
間違いをすると、あるいは大勢の前で、あるいは長時間、私を罵倒した先輩。

そんな連中が多かったため、神様もそうなんだと(経験を頼りに?)勝手に決め付けてしまうのだ。
私の中のひどい人たちの幻影が神様の本当の姿を隠してしまうのだ。

神様の裁きは、「ペナルティ→次は頑張れよ」だと思う。
だから、やはり神様は愛しかない方だ。
聖書で、先生の説教で厳しい内容があっても、自分勝手なイメージで神様の本当の姿を上書きしては駄目だ。


<追記>
ちょっと待て…
神様がいるなら、ひどい連中に遭わせるか?
そんなことは起こらないんじゃないか?

いいや、神様を信じるからこそ、(最初、意味を悟る前は)ひどいと思うことが起こる。
それは、自分にとって大きな利益になる。
次回、愛のムチに続く。
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責任感の罠 愛しかない神様3

2007-10-14 22:07:38 | Weblog
続き物を書くのに、更新が遅くなってしまった。
この言い訳はまたするとして、
更新を気にされていた方がいらっしゃればお詫び申し上げたい。


神様は愛の神様だ。
人を愛してくださる神様だ。
私を愛してくださる神様だ。

責任感があるから働ける。
バリバリ働ける。
身を粉にして働くことはあろう、でも、それが義務的すぎて、疲れ果てて倒れてしまうことを神様は悲しく思われるようだ。
働いて、甲斐を感じて、もっと栄える、それが御心であろう。
仕事、使命も大事だが、何よりもその人が大事なのだ。


何かしら疲れ果ててしまって、立ち上がる気になれな人に憤りをぶつけるような神様ではない。
その人がある仕事をできなかった、それならば他の人にさせる。そういうことはあろう。
では、できなかったその人は、お払い箱か?
そうではない。
また、違うところで活躍できるようにしてくださる。
摂理には、神様にとっては、使い捨て人間などいないのだ。


といえるのは、私が与太だからだ。
うまくできないことが多い。
しかし、様々な面で祝福されることも事実なのだ。

次回、「言い訳」に続く
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責任感の罠 愛しかない神様2

2007-10-06 13:48:03 | Weblog
自分を鞭打って頑張る人。
いい人だ。そして有益な人だ。

ただ、まじめすぎるのが、しばしば自分の首を絞めるときが…
責任感が強いばかりに、休むこともせず、あくせくあくせく。
休むことは怠けることだといわんばかりに、あくせくあくせく。
で、疲れてしまう。

疲れていても頑張る。
自分に鞭打ちながら。

身体の疲れもそうだが、精神疲労もある。
モチベーションが上がらない、嫌になる。
モチベーションが上がらない自分を「怠けている」と評価する。

そんなことはないだろうか…
そして、疲れてしまったとき、神様に対して申し訳なく思ったり、神様が自分に対して怒っていると思い込んだりしていないだろうか…

私にはそういう経験があるのだが、私だけだろうか…

つづく
次に完結
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責任感の罠 愛しかない神様

2007-10-01 10:16:45 | Weblog
責任感というか、使命感というか、義務感というか
「何々しないといけない」
「こうなければならない」

ということを頻繁に口にしてしまうことがある…
摂理以外はそんな言葉だらけだが…特に会社。
窮屈でたまらなかった。

日本の体質だろうか。
努力しなければならない、さもなければ身を滅ぼす
という言い回し、大好きらしい。

勉強しなければならない、でないといい学校に行けず、就職も危ういよ。
努力しなければならない、でないと競合他社に負けて、会社が潰れる、社員は路頭に迷う。
自分が失敗することで会社の仲間にも迷惑がかかる、しっかりやれ。

私が、全ての学校や家庭や会社を見てきたわけではないが、日本人は、脅す方法でしか頑張らせることができないのかと思うことがあった。


ムチを打って頑張るのも必要ではあることだ。
私も、締め切りや、うまくできないときの損害にびびるからこそ、仕事をやり遂げられる部分が多い。ああ、怠けモンだな。
でも、それには落とし穴もあることは知らねばなるまい。
特に若い人、まじめな人。

つづく…
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小さいことでも喜ぶのは…

2007-09-21 18:57:50 | Weblog
私は小さいことでも喜ぶ。
神様が味方してくださる証拠だから。

傘を買いに行ったら、ちょうど在庫処分で半額に!250円得した。
やったぁ!
え、今誰か「たかが250円」っていいました?
いやいや、金額は核心ではない。
得したのは神様が味方してくださっていることの表れ、そこが核心だ。
神様が味方してくださっている=絶対に栄える そこが一番嬉しいのだ。

お目当ての木材が買えなかった、しかし、そのおかげでもっと良いものが安く買えた。
2万円得した!しかもいい品!
2万円が大きいか小さいかの議論もあるが、そこは核心ではない。
神様が味方してくださってそうなった、そこが核心だ。
神様が味方してくださっている=絶対に栄える そこが一番嬉しいのだ。

色々な備品をそろえるのにお金がない!
聞いてもいないのにおっちゃんが教えてくれる。
近所の大学でゴミの一斉処分だと!
行ってみれば使えるものがわんさか捨ててある。
もらっていいですか?
ごみだからいいよ。

概算で8万円得した!
8万円はでかい!でかいんだが…核心ではない。
神様が味方してくださっている、そこだ。
神様が味方してくださっている=絶対に栄える。

そりゃあ、裕福な人からしたら、たかだか8万円かもしれない。
でも、神様が味方というのがどれだけ心強いか…
神様がそのつどそのつど助けてくださっている、そしてこれからも…
どれだけ心強いか!

二度あることは三度ある、何度もあったことだからこれからも何度もある。
些細な幸せでもでも大喜びするくらいがちょうどいい。
些細な幸せを起こされた方、あまりにも大きな方が味方だということだから。
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あんな中でもともにされていた神様

2007-09-19 10:18:59 | Weblog
 信仰生活で力を失っている方へ ちょっとでも参考になるかな?

 一時期、自分は神様に見捨てられているのだと思った。

 メンバーともなんだか仲良くできないし、牧師さんとも仲良くできない。牧師さんと仲良くできない私は、それが神様と仲良くできないことだと思いこんでしまった。大学の教授はやたらと私を叱責する。完全孤立状態だった。やる気もおきない。神様に見捨てられたのか、神様に守られても自分がへたれだからこんな調子なのかと思った。自分の生まれが悪いから、性格が曲がり、人とうまく付き合えずこうなるのは当然なのか。色々と失望した。起きている間中悩みが頭を駆け巡り、しかし、誰も相談相手がいない。苦しくて仕方がないが、人に対して心を閉ざしていたのだから始末が悪い。

 で、何かにのめりこんでいないと悩みのせいで頭が痛くて仕方がなく、TVゲームをやっていた。やっている間は悩まなくて済むから。しばらくの間、野放図な生活をしていた。程なくして就職した。仕事をしている間は気がまぎれていいが、帰ってくると悩みがふつふつと湧き出てくる。神様に祈る気にもならない。相談する相手もいない。頭が痛くなってくる。だからゲームにでものめりこんでいるしかない。そうでないと気が変になる。夜通しやってましたよ。自己嫌悪に陥りながら。

 礼拝はたまに行っていた。4ヶ月〜6ヶ月に1回位だろうか。
 神様はこんななまくらな生活をしている私をきっと嫌うだろうと思った。あるいは、いずれ見捨てられるだろうと思った。

 しかし、そうではなかった。TVゲームの中でも神様はご自身の存在を伝えてくださり、教えるべきことを教えてくださった。また、苦難も期間が定まっている。それがすぎれば神様は苦難の中から導き出してくださり、栄えさせてくださるのだ。何がきっかけだったかはとりあえず伏せておく。人それぞれ違うだろう。

今、私は淋しい思いをしながら、何かにのめりこんでいる人たちのために祈ることができる。同じ体験をしたから。とくに、子供達の中にそういう状態の人をしばしば見かける。祈らなければならない。自分だけ助かるのでなく、一緒に助からないといけない。

 野放図な生活をすることは決してお勧めできない。悩みを解決できるのならしてほしい。あのときの私のように不器用でなければ。
 ただ、ひとつ言える事がある。自分が神様を捨てなければ、神様は自分を捨てることはされないということ。これは間違いない。今の生活が嬉しいことでいっぱいだから、間違いない。一度信仰生活をしながら、今、神様の前に出て行けないと思っている方。それでも神様がともにされていて、色々なところで信号を発していらっしゃるのでは?

 以下、ゲームをする中で得た悟り。ゲームを知らない方は読んでもあんまり面白くないでしょう。読まないで下さい。
 例えば…

 FINAL FANTASY9 「神様のことを考えよ」
 ゲーム中、このゲームに関する○×クイズを出してくるモンスターと遭遇する。ストーリーの核心部分以外からの出題が多く、しっかりメモとるなりを攻略本を見るなりしないと、自身を持って正解できない。私はあてずっぽうで回答していたのだが13問ほど連続で正解が出た。○×クイズ、運がよければ2分の1の確率で正解するのだが、13問連続正解は2の13乗分の1の確率。すなわち8192分の1。気持ち悪いくらい正解する中で、神様のことを考えざるを得なかった。そうでもなければ、そのときの私は神様に対して心を閉ざしていた。

 三国無双 「孤立している奴を狙え」
 呂布を倒そうとした。(多分)呂布はゲーム中最も強敵であり、倒そうとすると、「呂布は相手にするな!」との指令が来る。大ボス董卓を倒せば、子分の呂布は倒さなくてもクリアーとなるのだ。董卓を倒すのはそれほど苦労しない。そこを敢えて呂布討伐に行くのだ。
 呂布の周りには、10人(?)ほどの親衛隊が群れている。彼らはそれほど強くないのだが、彼らのちょっとした攻撃を受けるのが怖い。親衛隊の攻撃を受け、ひるんだ隙に、呂布の猛攻を喰らい、あっという間にゲームオーバーになることがあるからだ。よって、親衛隊から始末する作戦を取る。
 10人ほどの親衛隊を始末するときに優先的に狙う奴がいる。それは、群れからはぐれかけの奴だ。味方軍たちも彼らを襲っているのだが、その戦いの中で群れからすこし外れる親衛隊がいるのだ。そいつに狙いを定め、さらに群れから遠ざける方向にぶっ飛ばす。もし、呂布がこちらに向かってこないか注意を払いつつ止めを刺す。そんな調子で、一人、また一人と親衛隊を始末していく。
 そんなことをしながら、自分の立場を思った。一人は非常に弱い。簡単にやられると…

 三国志7 「生き方の指針」
 このゲームで得た悟りは内緒。私の人生に関わる大きな悟りだ。今の仕事をしているのは、この悟りが大きなきっかけになっている。
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