Rainy or Shiny 横濱ラジオ亭日乗

モダンジャズ、ボーカルを流しています。営業日水木金土祝の13時〜19時
横浜市中区麦田町1-5

間一髪の梅もぎ

2012-05-31 19:12:30 | 
スーパーなどの青果コーナーでは梅やラッキョウが積まれて6月の気配が流れている。
毎年、梅干し、らっきょう漬け、梅ジャムなどを自作することがここ20年来の個人的エコ生活の指標になっているので、この時期が近づくとどうしても気分が落ち着かない。勤務先の緑溢れる遊歩道の垣根あたりからクスノキやジャスミンの芳しい匂いが微風にのってくる。小川沿いに自生する桑の大木に繁茂している桑の実も赤く熟し始めてきた。
日向薬師某所の梅もそろそろもいでよい時分だと直感して、三日続く休日の中日にあたる曇天の今日を梅もぎデイとしてバイクで現場へ行ってみることにした。
珍しく直感は的中して今年の青梅は小粒ながら豊作だ。木に攀じ登って梅の実をもぐことにしばらく専念したせいか、およそ4キロの梅が収穫できた。梅干し用にはやはり紀州みなべの南高梅が果肉の洗練度で一番だが、梅酒、梅ジャム素材としては付近の平凡な無印梅で十分に用が足りてしまう。
生誕日の翌日を野生的知覚を鈍化させないで生きられる幸せを梅林の中で味わっていたら、好事魔多し!の喩えのような出来事が起きた。
厄介な山蛭の静かなる襲来だ。梅林の斜面に堆積する枯葉の湿気は山蛭の格好の棲み処だ。ここ数年で丹沢山系の裾野から人里近くにまで増えてしまった山蛭がズボンの裾から靴下の縫い目の隙間にまさに身をよじらせて入り込む寸前に発見!計二匹がいつのまにか足付近に付着しているではないか!
この蛭は皮膚を齧って吸血するが、齧られるときに痛覚を起こさせない忍者もどきの生態がいつもながら始末に終えない。軍手でむしり取って地面に投げつけて難を逃れる。難を逃れても身体のどこかでもぞっとした違和感があれば、山蛭がまだ潜伏しているような錯覚に囚われること屡である。欲にとられてもっと梅をもいでいたらきっと山蛭の
吸血活動は成功してしまっただろう。毎年、梅をもぐことが年中行事化したが、今年のようにいとも簡単に山蛭に出くわすようでは、来年以降の先が思いやられてしまうともいできた梅を水洗いしながらふと思った。

臨時美的生活

2012-05-25 14:16:24 | その他
横浜の根岸に暮らすIさんから休みを見計らってドクター桜井さんと一緒に遊びにこないか?と誘いを受けた。Iさんはオーディオや音楽を趣味とする我々の仲間のなかでは特に異色な方だ。昔はJBLのパラゴンなどを置いて様々な往時のハイエンド装置を散々遍歴した人だ。

今はオーディオ道楽も見限って英国の大型家具の香りを放つバイタボックスのコーナー型CN-191ホーンスピーカーや自分が四谷三丁目で開いていた「音の隠れ家」で売っていたマグナボックスのラジオボックスめいた小型スピーカー等を小さく音を絞って趣味よくジャズボーカルや1950年代のシャンソン等をBGMとして楽しんでいる。桜井さんと横浜関内で合流してI邸に向かう。Iさんにはちょうど一昔前の銅製ヤカンの蓋につく烏帽子をつけてもらう為の修理を頼んであった。これができあがったとの知らせも兼ねての臨時茶話会ということで陽春な横浜の天候も申し分ない。
ちょうどこの日も我が日向薬師の陋屋で自分が先日推奨したオランダのリタ・ライスがとっても塩梅のいい4ビートでスイングするピム・ヤコブトリオをバックにこころの保湿成分に富んでいる歌を聞かせている「ザッツ・オールド・フィーリン」などというお洒落な79年発売のCDが流れていた。バックでザックリとしたテナー・ソロを吹く円熟期のジョニー・グリフィンの音調で気がついたことがある。自分のデッカスピーカーで流れるグリフィンの音は倍音の粒子が棚引いた暈し味がよくも悪くも濃厚にでている。これに比してIさんの流すグリフィンは輪郭も毅然としてすこし固めである。これを聞いていてふと思った。音は体形の反映でもあると。痩せてせわしく清潔なIさん。こちらは太りすぎというほどでもない下層労働者的筋肉質体形。この違いはやはり音に反映するのだということを。

前日味わった厚木の煌びやかな金襴手のオールドノリタケの世界から、本日は一転してモノトーンな染付伊万里磁器の各種食器、ダイヤガラスをあしらった木製のレトロ衝立等々Iさんを取り巻く世界は対極的で、二日間のお休みは我ながらAB型血液にふさわしい分裂を起こしてしまったようだ。

肝心の蓋につく烏帽子は美的生活人らしい目が行き届いていて、とてもよい金具を嵌めこんでくれた。以前からランプの配線コードや留め具など、Iさんが手を加えて失敗したものはどれ一つとしてない。今回も金具を蓋裏にマイナスネジでしっかりと固定する細工が施されていて、この銅製ヤカンはようやく三年近いブランクを経て用の美的生活へと復帰することができた。

家に戻ってさっそくこの蓋をはめてお湯を沸かす。昔、益子の骨董屋で買った南蛮手の急須に麦藁手模様の茶碗が登場!気にいった器や湯沸しで飲む幸せをしみじみと味わう。疎外された労働からの一時帰還めいた一時である。

初夏を嗅ぐ

2012-05-22 17:32:01 | 自然


寒い時期に続けた肉体の試練から解放されたせいか、本来の散歩人気質を取り戻そうと郊外へ出かける。
五月の陽気に噎せるには格好のお天気だ。ちょうど誕生日が近いからめでたいわけでもないが、青梅の黒沢集落にある石釜パンのメッカ「木の葉パン」を再訪する。細い渓流が覗けるオープン型テラスはつい最近、ガラス窓で仕切ってしまってこの店の持ち味はどうやら半減してしまった。ランチは食べ放題の焼きたてパンと季節を彩ったディッシュが美味い。塩豚のチャーシューめいたコーンビーフも燻した肉の香りが仄かに口腔へ拡がって薄っぺらなわりにコクがある。
パン工房の隣家の屋根に聳える昔風の換気塔、落ち始めた青梅、元気なハルジオンのような雑草、奥武蔵に拡がる雑木林、五月めいたよい景物を堪能して締めくくりの和菓子は都下の無名店「ほうらいや」の「花菖蒲」。よい一日だった。


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ダイアナ・パントンを聴きながら。

2012-05-13 15:53:11 | JAZZ
GW中には一日おきに24時間拘束の勤務を繰り返しながらも、ささやかなオフタイムをもつことができた。

ちょうど晴れ間がのぞいた5月5日は荻窪のジャズ友、ドクター桜井氏、横浜在のジャズや和洋にまたがる骨董趣味で気の合う畏友2名がそれぞれ連れ立って日向の山里までやってきた。
ちょうど雨が続いてニョキニョキ育っている朝獲りの竹の子をアレンジ料理しようと思っていた矢先に急遽日向における雑談会がまとまった。

二日前に雨景色を満喫した宮が瀬ダムの帰りに山道で摘んできた野アザミを机上に活けてみる。北大路魯山人が昭和8年という大昔、「星が岡茶寮」の定期雑誌「星が岡」で披瀝している「花は足で活けよ」精神の実践にほかならない。季節というものは花屋さんの店先ではなく野辺を歩いて体感すべしという魯山人らしい利休スピリッツに得心がいって以来、我が家の立夏時分は瑞々しい野アザミのモーブ色が定番の彩りを添えることになっている。

机上の野アザミ、それぞれが持ち寄ってきたとっておきのボーカ系のCD、竹の子の煮付け、竹の子と豚肉煮のあんかけ饂飩、薩摩の友人が送ってきた知覧の新茶、横浜・高島屋内の「ご座候」の今川焼き、それぞれに分裂した肴で放談する会になったが、やはりこの日の収穫はカナダ・オンタリオ生まれのジャズボーカリスト、ダイアナ・パントンの稀なる才質を再認識したことだ。
ステーシー・ケントもいい。ヘリー・ロレインやロバータ・ガンバリーニもむろん好きだが、この歌手はやはりあの幸薄いビバリー・ケニーがもたらした「ボーン・ツー・ビー・ブルー」の儚い人生観を若くして体得しているようだ。前記の才媛達も昔のセンスというものを完全に自分のものにしているが、ダイアナ・パントンの場合は情緒の質が違う。こころの底からビバリー・ケニーの世界を畏敬していることは、「PINK」に収められている「アイ・ウオーク・ア・リトル・ファスター」などというビバリー・ケニーも好んだ曲に耳を傾ければ歴然である。
見るボーカルや体操ボーカルはごまんといてもハートの微細な振動を感じるジャズボーカルはなかなかいない。ドクター桜井氏がいまぞっこんなボーカリストはジェーン・モンハイトとダイアナ・パントンということで、居合わせた横浜の趣味人も多分ユニオンなどのレコード店へ数日内に急行することに間違いないね、とそれぞれが笑いあった。