原発とめろ!新橋アクションのブログ

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9.18さようなら原発さようなら戦争 報告

2017年10月04日 | 集会

 

避難者の訴え

福島原発事故の避難者の人たちを受け入れ、手を広げて、支え、そして各地でおこる原子力発電所の、存在、そして再稼働についても、声をあげてくださりました。みなさん。いまこの国は、平和ですか? 平和であると、世界に胸を張って言えますか? 二人のこどもを連れて、福島から大阪に、6年半避難をし続けている私は、この6年半の間、平和のうちに生きていると実感したことは、一度もありません。平和のうちに生きる権利も、この国が、世界に誇る日本国憲法。平和憲法の一番最初の、前文に書いてあります。全世界の国民は、恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有すると。前文で高らかにうたい、13条で個人の尊厳を尊重することを最高の法規にしながら、生存権、生きる権利を憲法上保障していますが、ふくしま事故を経験して、この国は6年半の間、本当に平和のうちに生存する権利を最優先に、人の命や健康を最も大切にする社会という方向に、舵を切って進めていけているでしょうか。私はそうは思いません(たくさんのそうだ!の声)。
 私は二人の子どもを、福島から大阪に避難をさせて、放射性被曝の恐怖からは一時的に避難をさせることができています。でも私は、たまたま6年前に、福島で被災をして、私の子どもだけが、はるか遠くはなれた大阪で、被曝をまぬがれたらそれでいいとは思えないのです。福島の子どもも、避難できた子どもも、それからいまここの東京にいる、日本全国に、いえもっとひろく、地球規模で考えれば、世界で、次の世代を担うのは、次の世代、子どもたちなんです。子どもたちの命と健康を一番に考えるような、そういう方向に、原子力発電所の事故を経験しているのに、舵を切れていないことを証明しつづけている6年半であったともいえるのではないでしょうか(大きな拍手)。
 平和のうちに生存する権利は、何度も申し上げますが、憲法で保障された基本的人権なのです。人の命よりも、命と健康よりも、最優先で大切にされなくてはならない価値は他にないのです(そうだ!)。基本的人権を尊重して生きてこそ、健康で生きてこそ、次の子どもに、次の世代にバトンを渡してこそ、そういうふうな方向に社会を進めていくことが、私たち3・11後を生きる大人の責任だと、私は思います(大きな拍手)。
 みなさん! 平和のうちに生存する権利、平和のうちに生きる権利ということを、いま、この場で、こんなにたくさんの人たちが、原子力災害をつうじても思いを寄せることで、一致共鳴できるのです。今日は福島の中からも、そして全国に散らばっている避難者たちも、被災者たちも、おおくこの会場にもいてくださって、でも何に一番励まされるかというと、この会場で佐藤さん、そして福島から避難している私に、福島原発事故の支配の実相を少しでも、一緒に共有してくださろうという熱いみなさんのこのまなざしと想いが一番被災地のひとたちに励ましとなり、そして前を向いて歩ける、本当の意味での復興の希望になるのです。「復興のために」とか、「原発止めたら経済が」とか、そういうまやかしにだまされたらいけないと思うのです(拍手)。原子力発電所がひとたび事故を起こしたら、ばらまかれるものは、放射能なんです。まぎれもなく放射性物質が、空気中、土壌を汚染し、そして海洋を汚します。全世界の皆さんに対して、日本は汚染物質をまき散らしていることを、まずは謝罪するべきです。そのうえで多くの心を寄せてくださる、世界の知見を集めて、子どもたちの未来や健康を守る、そういうふうに舵を切る、そしてなによりも私はみなさんに、「平和ですか?」と尋ねました。みなさん平和とは何ですか? 私はこの6年半、平和って何かと思った時に、平和とは日常の平穏な暮らしそのもの、日々の日常そのものだということを、福島原子力発電所の原発事故をとおして身をもって、体感しました。それは72年前、先の戦争で、戦争を経験された方もこの会場にはたくさんいらっしゃると思います。逃げることが、許されない。逃げずに火を消せ。お国のために、全体主義的な思想に覆われて、そして思想停止を全国民に強いて、そして判断能力を一切封じて、言論も封じて、そして突き進んだのが、さきの太平洋戦争でした。そのことを私たちはまなぶべきだし、私たちは学んでいます。もうひとつ言うならば、原子力発電所が事故を起こして、爆発をしてばらまくものは放射能。72年前、終戦を迎えるにあたって、最後に広島と長崎で落とされた原子力爆弾。爆弾で落とされてばらまかれたものも、放射能なんです。この国は広島、長崎、そして福島を経験しているのに、この国民は黙って、それでもなお原子力発電所にしがみつくのか。それともそこから手を切って、違う方向に進みだすのかは、私たち自身に問われている問題だと、避難をしている私自身も思っています(拍手)。
 そういう観点から、福島原発事故の被災者は、つまりは核被害者と同じなんです。世界に対して、恥ずかしくない行動を私は一人の大人として、とりたい、そのように思います。みなさんもこの国に生きる人は、おそらく本当の意味で平和を愛する人たちだと私は信じています。ですから、どうかご一緒に、そして放射線被曝から免れ、健康を享受する権利、というのは人の命と健康に直接かかわる権利です。その権利を侵害し続けているのが、いまのいまなお一つも終息していない、東京電力福島第一原子力発電所の原子力惨事です。原子力過酷事故です。そのことをみなさん胸に思いながら、原子力発電所を再稼働していくのか、本当にやめていくのか、そしてこの判決も下ります。今週の金曜日です。千葉の判決がおり、10月にはなりわい訴訟という、福島での民事訴訟の判決もおります。そのような形で、全国にはみなさんの応援を受けながら、原子力発電所による事故が本当にどういう被害を与えるのかということを一緒に共有しながら、それは平和につながる道なのです。そのことを今日私はみなさんとご一緒に確認をしたくて、これまで6年半、長い間、福島のことを、そして避難者のこともささえていただいていました。ではそれではいま私たちにできる、事は、福島原発事故の被災者にできることは、被害の実相を、つまり原子力発電所の、平穏な生活、普通のひとびとの暮らしを奪う、原子力発電所の事故がどういうものであるか、それは明らかに平和を脅かすことをふくしま事故が、平和と共存できない原子力発電所ということを証明し続けているということを確認させていただきたいと思います。
 そのうえで、ご一緒にこれからもみなさんとともに、私も世界に向けて平和をそして、放射線被曝からまぬがれ、健康を享受するという憲法の前文にも書いてある、平和に生きる権利というものを一緒にかちとっていきたいと思っています。ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。福島のことにずっと想いを寄せて、放射能に対して、きちんと向き合ってください。よろしくお願いします。