本当は本日、夕焼けの情景撮影の練習の状況を載せるはずだったのですが・・・・・・
ちょっと路線変更です。
懐かしい車両の日々ということで「パンドラの箱」の中をご紹介していますが
高校の同窓会の関係で昔の写真をあさっていたらとんでもない写真を見つけました。
実家にあった大きなレイアウトの写真です。
夏風が中学生の頃から父がコツコツと作っていました。
完成の日を見ることなく実家の建替えのときに解体消滅しております。
当時、夏風は祖母から頂いたオリンパスPEN-FTという名前のハーフカメラをもっていました。
そのベタのなかに写っていました。
懐かしい高校の同級生達の写真の間にかなりの枚数が写っています。
ネガをスキャニングしてみます。
まずは、先日ご紹介したトミーのDD13
牽引しているのはGMのキットを組んだ61系客車のようです。
こちらもパンドラの箱に入っています。
わざわざ、写真を撮っているということは当時は自信作だったのかな?
こちらもGMのキットを組んだ10系寝台車と郵便車のようです。
最後尾はKATOのスニですね。
こちらは主要駅の全景ですね。
先ほどの10系寝台急行が写っています。
「能登」のような編成をめざしたのですかね。
一番奥はこちらもすでに紹介した103系のようです。
左手、手前の客車は冒頭の61系です。
貨物ヤードの「チ」たしかPECOの貨車の下回りキットから作った記憶が・・・・
ヤードの手前にはトミーナインスケールの2軸貨車の箱も写っています。
列車の先頭を写しています。
10系客車の牽引は関水のEF65、
同じ場所です。
左側の蒸気機関車は当鉄道創業時の1号機関車
関水のC11です。
パンドラの箱から出てまいりません。
ジャンク箱(こんなパンドラの箱もあります。)にはいっているかもしれません。
見つけた暁には、しなの高原に静態保存してあげないといけませんね。
上の写真のようにレールはPECOの物を使用しています。
当時まだ、ファイン仕様のものは無く、レールは普通の太さ
道床はスポンジ道床を使用しています。
ポイントマシンの部分ベースの板をくりぬいているのは変わりません。
この、スポンジ道床、時間が経つとボロボロに分解してしまうのが難点でした。
今も製品としてあるのか判りませんが、
今回「しなの高原鉄道」の制作ではこの苦い経験から道床はコルクとしています。
先ほどの主要駅部分の奥はこんな感じです。
ゆったりとした曲線(たしか600mm位の半径だったと思います。)の
本線が複線で周っています。
元々、父は16番のレイアウトを作るつもりだったようです。
夏風がNで遊んでいるのを横目で眺めながら
どっちにしようか迷っていたのかもしれません。
そのスペースを使ってのレイアウト、
今考えても非常に雄大なものであったと思います。
左側の部分で一段低いところを単線で通っているのは
内周り線から外回り線へ移行するリバースの線路です。
現在のしなの高原鉄道の配線はこれのパクリですね。
ベニヤ板だけが空中に浮いているところは山岳線
単線のエンドレスになって行きます。
もうちょっと写真がありますので
懐かしい思い出とともに次回も送りしたいと思います。