新老人の会「熊本県支部」サークル 城下町を歩く会

2月、5月、11月の年3回城下町の史跡をたどりながら4Km程度を歩きます。目的は脚力の維持増進と城下町の歴史探訪です。

歩こう会に寄せて    芹川佳付子(85) 支部会報より転載

2017-07-14 17:45:34 | 日記

 初夏のいゝ日に友に誘われて、私の初めての体験、「歩くこう会」に参加しました。熊本駅新幹線口前の広場に着き、一番遅い3組でスタートしました。

 しばらく歩くと春日寺岫雲院に着きました。熊本在住なのに私は知らなかった。寛永9年(1632)、気の遠くなるような以前の出来事で、肥後の国主となった細川忠利は、春日寺を再興して岫雲院の名を与えたので以後は岫雲院が正式名称となり、忠利の死後、遺言により遺骸をこの寺で荼毘に付されたが、その時解き放された愛鳥の2羽の鷹のうち「有明」は火葬の炎の中に飛び込み、゜「明石」は井戸の中に飛び込んで殉死したという哀れな物語を知ることができました。森鴎外の「阿部一族」の中に記されていることを知り、思いを更に深くしました。忠利の殉死者17名もこの寺に安置されているとのことでした。

 北岡自然公園に向かっても歩き出し、緑のシャワーの余り美しさ思わず吐息、気持ちよく風がサーとながれてゆく、そこでつたない私も1句

 汗びっしょり 青葉くぐりて幸いっぱい

本当に歩ける喜びを感じました。気持ちのいい歩きの中で、横手の寺院本覚寺へ。私はずっと「六角堂」と言い安産開運の寺であることを教えられていました。小さい頃お参りに連れてこられ、お赤飯に黄色い漬け物のお接待がとても美味しかったことを思い出しました。
 

 妙永寺はすぐ近くにあり、少し奥まったところに禅定寺があり、班長の今村様はとても優しくしっかりした説明があったのですが、私は歴史、郷土史を学ばねばと心から思いました。妙永寺は清正公の母の墓があり、本妙寺と一体の関係であることを知りました。
 

 禅定寺は、加藤、細川の家臣の墓が建立当時のまま現存しており、立て札の由緒に「貴重」と書かれていました。
 そして歩くごとを楽しみ、あっという間に高麗門に着きました。高麗門は1598年(だいぶ昔のことですね)熊本城の西方花岡山、横手方面を守るため築いた冠木門に控え門を加えた関所であったと記されていました。時代の趨勢で町並みもすっかり  変動してしまい、この場所であったのが只々びっくり致しました。有名であった高麗門の市、出店がいっぱい並び、まだ若かった母が私の手を引いて連れて行ってくれたことが大変懐かしい思いでした。   
 

 青桐通りはとても美しく、一新校通りまで楽しく歩いてきました。私の出身校である一新小学校。とても楽しかったこと、色々なことが走馬燈のように思い出され、古寺巡礼もあっという間に終わり、最後の城彩苑に皆元気に着きました。主目的の歩くということがどんなにいいことか3.7Kmの旅でした。皆様も歴史を学びつつ健康のために歩きましょう。
 とても楽しい一日でした。

 

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