これも花・あれも花

草月流生花教室でのあれこれと
お花を通してのボランティアに参加する人
を募集中

困っちゃうな~

2007-02-18 | 日々の出来事
最近すごく困ることがある。

外出先で携帯用の化粧品を使おうと思っても、
書かれている文字が全く読めない。
特に1回分がパックに入っているシャンプーやリンスの
判別が出来ない。しかも切り口が見えない。
老眼鏡は出せないし

ほかにもあるある。
パスネットの矢印。これ小さくて見にくい。
反対に入れるとピンポ~ンとひっかかり、後続の人に舌打ちされちゃう。

お寿司についてくる小さな袋入り醤油、マヨネーズ、うなぎのたれ等、
これらが切れない。いちいちはさみを出さないと。

よく見ると切れ込みがついているのもある。
黒い印が端っこについているのもある。でも、この黒いのが曲者。
くろの場所を切っても手では切れないのだ。

シニア世代が多くなった今、困るのは私だけじゃないと思う。
メーカーさん、シニアに優しい物作りお願いします。
         

河津桜

2007-02-15 | 日々の出来事
河津の桜が観たくて出かけたが、あまりの人ごみに逃げ出した。

「土肥温泉にも河津桜は咲いてるよ」と教えられて
行ってみると、未だ若い河津桜が7~8本並んで咲いていた。

河津桜は、「寒緋桜と早咲き大島桜の自然交配種と言われており、
樹形は広卵状で樹皮は紫褐色で光沢がある。花形は平開形で一重の
やや下向きであり、花弁は5枚の円形で無毛である。
色は蕾の時は濃紅色だが、満開時は淡紅色になる」河津役場ホームページより


土肥海岸 恋人岬

2007-02-13 | 日々の出来事
遠くに富士山が 携帯電話のカメラなのでよく観えない残念!


2月11・12の連休で土肥温泉に出かけた。
何年ぶりだろう。高校の時の臨海学校で2年間海水浴を楽しんだ。
思い出の海岸をふらふら歩いたが、私の記憶に残る砂浜は無い。
ずっと続いた松林、それがほんの少し残っていた。
       
ホテルの女将に勧められて土肥の先端にある「恋人岬」に出かけた。
展望台にはいかにも恋人達が喜びそうな鐘がある。この鐘を二人で鳴らすと
二人は結ばれるとか

誰が考えたのか、絵馬のような紙が売店にあり、それに二人の愛の誓いを
書くようになっている。商魂たくましい。

愛する二人も最後は神頼みか、絵馬をつるして拝んでいる。
その数の多い事。その絵馬を読んでいた夫が「フッ」と吹出した。
「もとのさやに納まりました。今度は離れません。末永く愛し合えますように」
これを書いた人ごめんなさい。

花展の準備

2007-02-07 | お花・お教室
3月7日から12日迄、銀座松坂屋で生け花協会展が行われる。
色々な流派が出展する。

私は8日(金)9日(土)に出展する。たった2日間だが、
今から準備しないと。さて、どうしよう。
花展の会場は、各流派が競って腕を振るう。
当然奇抜な花や、ビックリするような花もある。

場に生けることが一番楽しい。花にとっても一番美しく
見栄えがする訳だが、花展はそうはいかない。
どんな花が隣の席に来るのか、色が溢れた百花繚乱の中で
どんな花が私らしい花として存在感をもてるのか。

いつも悩む事だが、今回も悩みは尽きない。

ボランティアの動機 NO5

2007-02-06 | 日々の出来事
今回のボランティアに関する記事はこれで最後。

義母は亡くなる2~3日前に
「貴女は働きすぎよ、自分の身体にも気をつけるのよ」と
労いの言葉をかけてくれた。

もっともっとしてあげられることが有ったんじゃないかと
反省しきりだが、嬉しい言葉だった。

幸い義姉が病院に付き添ってくれた。
最後の時間を親娘で一緒に過ごせた事は二人にとっても
本当に大事な時間だったと思う。

自分ひとりが我武者羅に頑張り、疲労して不幸な顔をするよりも
周囲の人たちの協力を得ることで、乗り切ること。

これからは、介護施設、ディケアーや老人ホーム等の社会的資源を上手に
利用し、後ろめたさなど感じないで、ゆとりある楽しい介護を目指す
ことが大切だと思う。

「介護者が幸せでなくては、介護される人が幸せになれるはずがない」

これは私の娘に言われた言葉です。
確かにそうだな~と、今になって納得しています。

(写真は京都嵐山にある愛宕念仏寺で撮影)

ボランティアの動機 NO4

2007-02-05 | お花・ボランティア
介護は暗いと言うイメージになってしまうと
私の本意ではない。

確かに言葉に出せないほど辛い日々であったことも
確かだが、でも、今になってみると私はずいぶん良い経験を
したと思える。これは介護した人にのみ与えられるご褒美だと思う。

① まずは早い時期に自分の行く末を考えられるようになった。
② いろいろな病院や、介護施設等を垣間見られ、良い施設、良い病院の
  見分けが付くようになった。
③ 嫁小姑の立場の違いも経験できたこと。
④ 老いたら子に従えは極力避け、出来るだけ自立した生活をすること。
⑤ 子供たちにどんなことが有っても、「世話にはならない」など
  絶対言わない。 最後は何らかの世話になる。
⑥ 経済的な負担は子供たちにさせないように、計画的な生活をする。

介護をしなかったら、私の性格では自分がその立場にならなければ
考えなかったとおもう。(その場になった時には考えられないかな?)

   (写真 京都嵐山愛宕念仏寺 西村公朝画を撮影)






ボランティアの動機 NO3

2007-02-04 | 日々の出来事
親達が亡くなってから10数年になるが、
庭には2人が愛した花が季節ごとに咲いてくれる。
咲くたびに不思議な気がする。そして咲くたびに
嬉しさがこみ上げてくる。

姑は真紅の薔薇、山から2人で採集したえびね蘭
そして親類から頂いた美女柳を植えてくれた。

実母はクンシュ蘭、金柑、そして牡丹を(残念ながら
牡丹は絶滅)

2人にゆとりを持って、接しらられなかった無念さ。
お年寄り達を訪問し、少しでも喜んでいただけるよう
活動したい。
きっと母たちも、天国で一緒にお花を愛でてくれるだろう。


ボランティアを始めた動機 NO2

2007-02-03 | お花・ボランティア
姑も実母もお花が大好きだった。

姑は生け花よりも、ガーデェニングや、自然の
お花を好んだ。
裏山に花や山菜を採りに行ったり、狭い庭一杯に咲かせ、
野菊の花や、花木にいつも囲まれて楽しそうだった。


実母は池坊教授の資格を持っていた。
脳梗塞で倒れた後も、家には何時も花が生けてあった。
本人は地味な性格だったが、生ける花は大胆且つ華やかで、
私は生前の母の花を超える事は、出来なかったと思っている。

そんな2人の終末期に、花を愛でさせてあげられる
だけのゆとりが全くなかったように思う。



ボランティアを始めた動機 NO1

2007-02-02 | お花・ボランティア
ボランティアをするようになる動機は人それぞれだと思う。
私の場合は舅姑、実母に、介護時代に出来なかったことへの
償いのような気持が多い。

結婚当初から主人の両親と同居していたが
義母は癌で80歳の生涯を閉じた。
私の仕事にも理解があり、子育ての協力も
最大限してくれた。その義母が癌で入院したのは、
家を新築し、転居してきてから半年だった。

子ども達は高校生と中学生。転校、進学のことも
あり、ナーバスな思春期真っ只中にいた。

多感な子供たちへの気遣い、そして義父の食事の世話。
それに加えて実家の母の病状が思わしくなく、
土日の度に実家に出かける生活が続いた。

                      続きはまた後日

ボンセジュール中野島

2007-02-01 | お花・ボランティア
友人3人でお花を通してのボランティア活動。
初体験の友人はすごく感動していた。

ボンセジュール中野島のコンセプトはハード面での
充実だけではなく、ソフト面である人材育成にも
力を注いで、ハートのあるホーム作りを目指している。

「自分の親を入れたいようなホーム作り」をと言う
施設長さんがたの言葉に心打たれた。

閉ざされたホームではなく、地域に根ざした活動をすることで
地域の人々の理解と協力がある素敵なホームになっている。

その結果、絵画指導、ストッキングアート、絵手紙、絵画、
音楽療法等ボランティア活動も盛んだ。