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慰安婦「強制連行」説の否定、20年前にしておけば… 変わらぬ朝日新聞は韓国への配慮にじます

2016-02-18 21:04:31 | 歴史
慰安婦「強制連行」説の否定、20年前にしておけば… 変わらぬ朝日新聞は韓国への配慮にじます


http://www.sankei.com/politics/news/160218/plt1602180011-n1.html


やっと政府が、国際社会に向けて慰安婦の強制連行説を否定した。歴史問題に関しては事実関係は一切争わず、「問題は解決済み」「既に謝罪している」でやり過ごそうとする「事なかれ外交」に終始してきたこれまでのあり方に比べると明確な前進ではある。とはいえ、もっと早くこうしていればと惜しまれる。




◇やっと当然の主張


 外務省の杉山晋輔外務審議官は16日、ジュネーブの国連欧州本部で、次のように説明した。

 「日本政府が発見した資料には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を確認できるものはなかった」


 「慰安婦が強制連行されたという見方が広く流布された原因は吉田清治氏が虚偽の事実を捏造して発表したためだ。(吉田証言を事実であるかのように大きく報道した)朝日新聞も事実関係の誤りを認め、正式に読者に謝罪した」

 「(慰安婦)20万人という数字も具体的な裏付けはない。朝日新聞は、通常の戦時動員された女子挺身隊と慰安婦を誤って混同したと自ら認めている。『性奴隷』といった表現は事実に反する」


 
 まさにその通りであり、当たり前の主張である。第1次安倍晋三内閣の平成19年春、慰安婦問題について意見交換した外務省内では保守派とされる外務官僚が、こう突き放していたのとは対照的だと感じる。


 「この問題は既に日本の負けは確定している。できるだけ静かにして通り過ぎるのを待つしかない」


 だが、こうした外務省の姿勢は間違いだった。日本がろくに反論も主張もしなかった結果、誤解は世界に拡散され、韓国などがいよいよかさにかかって、あることないこと日本非難のボルテージを上げてきたのは周知の事実である。

 


◇反論文書なぜ封印


 日本は過去、国際社会の誤解と偏見に反論する機会をみすみす逃してきた。例えば8年には、慰安婦を強制連行された性奴隷と認定した「クマラスワミ報告書」に対し、明快な反論文書を作成しておきながら、なぜかすぐに引っ込めて封印してしまった。政府が現在も非公開としているこの反論文書は、クマラスワミ氏が引用した吉田証言についてこう記している。


 「歴史研究者の間でもその信憑性については疑問が呈されている。何ら慎重な吟味を行うことなく吉田氏の『証言』を引用しているのは、軽率のそしりを免れない」


 また、反論文書は慰安婦の性奴隷説もこうはっきりと退けている。

 
「いわゆる『従軍慰安婦』の制度を『奴隷制度』と定義することは法的観点から極めて不適当」

 つまり、今回、杉山氏が国連で訴えた内容は、20年も前から政府も認識していたことなのである。最初からきちんと事実関係を指摘しておけば、現在に至るまで問題を引きずるようなことはなかったかもしれない。




 
◇反省生かさぬ朝日


 ちなみに、杉山氏は国連での説明で、繰り返し朝日新聞に言及したが、杉山氏の発言を報じた同紙の17日付朝刊の記事には、朝日の「あ」の字も出てこない。


 一方で、わざわざ「韓国側の認識と違う日本政府の見解を国連の場で説明すれば、韓国で(日韓)合意を批判する一部の市民団体やメディアを刺激しかねない」と書き、韓国への配慮をにじませていた。慰安婦報道での誤報を認めた後も、朝日新聞の報道姿勢は基本的に変わっておらず、反省も生かされていない。

(論説委員兼政治部編集委員)

2016.2.18 14:41















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「脅威」の北朝鮮 「裏金」の韓国 茶番劇にだまされるな

2016-02-10 09:58:50 | 正論より
2月10日付     産経新聞【正論】より




「脅威」の北朝鮮 「裏金」の韓国 茶番劇にだまされるな   筑波大学大学院教授・古田博司氏


http://www.sankei.com/column/news/160210/clm1602100004-n1.html



 ここ最近の韓国と北朝鮮のドタバタ劇を見ていて、日本の国民はうんざりしているのではないだろうか。その庶民の常識は正しい。庶民から遊離した一部のマスコミですら、「北朝鮮のネライは」とは、あまり言わなくなった。以上は朝鮮半島問題が、もはや分析段階ではなく、周りの諸国がどうすべきかという、政略段階に入ったことを意味している。




◇北朝鮮経済を支え続けた韓国


 1月6日の北朝鮮の核実験は水爆ではなく、強化型の原爆だった可能性が高い。今回のミサイル発射実験は、2012年12月の弾道とほぼ同じで、飛距離が少し伸びただけだ。ということは、北朝鮮はアメリカに脅威のメッセージを送っているわけではないのである。脅威になるほどの進捗を見せれば、1月10日の米軍機の示威飛行は、韓国領内にとどまることはなかったであろう。


 これまでの経過を見れば明らかなように、韓国は北朝鮮の経済を支えてきた。

 金大中政権時では、引退後の処遇を恐怖する金大中氏が、当時5億ドルの秘密支援を北に行い、南北首脳会談を実現してノーベル賞の権威付けによってこの恐怖を逃れた。秘密支援は3年後に暴露された。この時北は10億ドルを要求したという。


 続く盧武鉉政権時では、北に国家支援を行うとともに、秘密支援も行ったものとみられ、06年10月に北が初の核実験を実施した翌年に、盧氏は南北会談を実現する。この時、南北間に直通電話があったことを、昨年10月に元国家情報院長・金万福氏が暴露している。


 08年からの李明博政権時には、北とのパイプは一時途絶したため、当時連続して事件が起こった。09年5月に2回目の核実験が行われ、翌10年3月には哨戒艇「天安」沈没事件、同11月には延坪島砲撃事件が起こる。翌11年6月には、事件の際に、北朝鮮が謝罪したような折衷案を作ってくれと、韓国が非公開会議において金銭で懇請したことが、北朝鮮の国防委員会により暴露された。裏金の支払い方で問題が生じたものと思われる。





◇繰り返される「脅威」の演出


 これまでの弾道ミサイル実験は核実験の数カ月前に予告のように行われた。06年7月と09年4月であった。3回目は、失敗した4月を除けば、12年12月に行われ、3回目の核実験は2カ月後の13年2月12日に行われた。反北の朴槿恵政権が発足する約2週間前である。

 ここまでたどれば、北朝鮮のネライは明らかだろう。金大中・盧武鉉政権時代の国家支援と秘密支援の蜜食いが体質化し、その後もオドシとタカリを繰り返すようになったのである。


 昨年の8月4日、朴槿恵政権下で起きた軍事境界線の地雷爆発事件では北朝鮮が「準戦時状態」を宣言し、南北高官による会談が開かれたが、会場は韓国領内、韓国側の代表者2人は北朝鮮シンパで、加えて協議の映像が青瓦台に中継された。国家安保戦略研究院の劉性玉院長は朝鮮日報8月24日付で、事件のたびにケーブルテレビによる「トップ交渉」が行われていたことを暴露した。


 このような南北間の事件と裏取引のたびに、周りの諸国は「脅威」の演出に振り回され、中国は北朝鮮の核抑止に努力しなければ高高度防衛ミサイル(THAAD)を設置するぞと、朴槿恵大統領に言われ、日本は安保理決議の音頭を取らされ、“裏金の値踏み”に一役買わされているのである。真に迷惑千万な話だ。





◇韓国の巻き込みを警戒せよ


 では、この状況を打開するにはどうすればよいか。彼らに知恵がない限り、周りの諸国は政略的にならざるを得ない。ここまで両者が歩み寄る交渉の積み重ねがあるのだから、南北統一ができないはずはないのである。

 1980年10月に故金日成主席による「高麗民主連邦共和国」構想の提唱があった。周りの諸国は、この構想を生かすべく促すのが最善の策だと思われる。ただし、統一と引き換えに、核放棄をさせることが前提でなければならない。さもなければ、日本の対岸の東アジア地域は、すべて核保有国となり、深刻な脅威が日本国家に及ぶことであろう。


 庶民である日本国民は、あくまでも「助けず、教えず、関わらず」の非韓3原則で対応し、彼らの騒ぎに巻き込まれないように、対岸の火事を見るがごとくにし、「『自衛的核武装』を強調し、米中を引っ張らねば、北朝鮮の核問題は打開できない」などという、日本からの援護を求める韓国内の声に耳を貸してはならない。



 なにしろコリアは、豊臣秀吉軍の災禍いまだ覚めやらぬ頃、満州軍の侵攻を受けるや、「日本に助けてもらおう」という声が平然かつ澎湃(ほうはい)として起こる国である。

 「士大夫間に亦た行言あり、倭に請うて来るを欲するに至る」(『仁祖実録』仁祖17年7月22日丁丑条)。歴史に学ぶとは、このような民族の行動パターンに学ぶことを言うのであろうか。(ふるた ひろし)


















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わかりやすい北方領土と我が国主権のお話

2016-02-01 20:41:44 | 歴史
わかりやすい北方領土と我が国主権のお話


http://ironna.jp/article/2746?p=1


北方領土は、日本の領土です。

歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島のことを言っているのではありません。

樺太の南半分と、千島列島はカムチャッカ半島の手前にある占守島までの千島列島の全部が、日本の領土です。

ということは南樺太から千島列島にかけてのオホーツク海と、千島列島から南東に張り出した太平洋の広大な海域が、日本の領海です。



 そういうと「ああ、戦前の話か」と思う方もおいでになるかもしれません。



 いいえ違います。


 すくなくとも「ほんの6年前まで」、樺太の南半分と千島列島全部は、日本の課税台帳に記述があったのです。

 課税台帳に記述があったということは、日本政府が「ほんの数年前まで」そこを「領土」として認識していた、ということです。



 ところが数年前、そこが領土から「消えて」しまいました。


 すこし詳しく述べます。



平成22(2010)年3月31日まで、日本は札幌国税局根室税務署の課税台帳には、樺太の南半分と千島列島全部について、日本の領土としての記述がありました。


つまり日本は、そこを日本の領土として認識していたということです。

(ロシアは一方的に占領支配していただけです。)




 ところが、2009年夏、民主党が政権与党となり、鳩山由紀夫内閣が誕生しました。


 鳩山内閣は国民に何も知らせないまま、「北海道総合振興局及び振興局の設置に関する条例」「財務省組織規則の一部を改正する省令」を改正し、南千島から先の中部千島、北千島の島々を帳簿から削除してしまったのです。


 ですから平成22(2010)年4月1日からは、この広大なエリアは、日本国民が知らない間に、ロシアが占領し軍事的に実効支配する無主地となってしまいました。


ひどい話です。



領土に関する話です。


本来なら国会審議が必要なことでしょう。


 けれど当時の民主党鳩山総理は、国会審議を要しない「省令」レベルで、北方領土を勝手に日本の領土から外してしまったのです。



 こんなことが許されるのなら、たとえば竹島にしても韓国が実効支配し、日本が課税台帳から削除すれば、国民が誰もしらないまま、竹島とその周辺海域は日本の領土から消えてなくなります。



 そこで今日は、領土についてすこし詳しく見て行きたいと思います。このことを考えると、実はいろいろなことがはっきりと見えてきます。


まず千島列島は、北海道の東側にある知床半島、根室半島の先から、ユーラシア大陸のカムチャッカ半島まで伸びている列島です。


 一番北側の島々が北千島、まんなかあたりが中部千島、北海道寄りの歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島が、南千島です。


 「北方領土」というと、多くの方がイメージしているのは、このうちの南千島(歯舞群島、色丹、国後、択捉)です。



 けれど本当は、千島列島の「全部」が日本の領土です。


 それだけではありません。樺太も南半分は日本の領土です。

 そして、そこに日本の領土があるということは、その周辺の広大な海域が日本の領海である、ということです。



 近年、その領海の海底には、豊富な海底資源(メタンハイドレード、レアアース)が眠っていることが明らかになりました。

 従ってその広大な海域は、豊富な漁場としての値打ちを持つだけでなく、これからの日本や世界の資源エネルギーを語る上でもとても大切なエリアとなっています。




さて、南千島だけでなく樺太や北千島までと書くと、

 「そんなことはない。昭和27年のサンフランシスコ講和条約で、日本は千島列島と樺太の南半分を放棄したではないのか」とおっしゃる方もおいでになるかもしれません。



 なるほどサンフランシスコ講和条約で、日本はこのエリアに関する「すべての権利、権原及び請求権を放棄」しました。講和条約の第二条Cには、次のように記載されています。



◇日本は、千島列島並びに日本国が1905年9月5日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。



 「権利、権原及び請求権を放棄する」というのは、日本が当該エリアの領主としての権利、日本がその権利を得ることになった原因となった権利、および、そのエリアに関する租税等の請求権を放棄する、ということです。


 このことは、ものすごく簡単に詰めていうと、領土としての「処分権」を放棄した、ということです。ちなみに「処分権を放棄」することは、「主権を放棄」することと、まったく意味が異なります。



 わかりやすくたとえていうと、Aさんが自分が所有している(主権を持っている)携帯電話の処分を、Bさんに委ねたとします。

 そのとき携帯電話は、

 Aさん=所有者

 Bさん=処分権者です。

 Bさんが処分先をCさんと決めれば、Aさんは約束通りCさんに携帯電話の所有権移転の契約を締結し、携帯電話はCさんのものとなります。



 領土の場合は、これを「割譲」といい、「割譲」には割譲するための「条約の締結」が必要です。

 条約によって、晴れてその領土はCさんのものとなるわけです。

 たとえば日清戦争のあとの下関条約で日本が台湾の割譲を受けたといったように、です。



 ところが携帯電話の処分をBさんに委ねたものの、Bさんがその後、何もしなかったら、その携帯は誰のものでしょうか。

 当然に携帯電話は、もとの所有者であるAさんのままです。



 北方領土についてみると、日本は連合国に北方領土の処分権を委ねましたが、いまだ連合国は北方領土の処分先を決めていません。

 決めたという条約もありません。



 一方ロシアは、北方領土を実効支配していますが、サンフランシスコ講和条約にロシアははいっていません。

 ということは北方領土は、単にロシアが軍事占領しているだけであって、条約に基づく本来の所有者(=主権者)は、日本のままということになります。



 なにも欲張って言っているのではありません。

 国際条約や法を大事にするという考え方でいけば、そういう結論にしかならないということなのです。




 日本は、千島、樺太の処分権を、サンフランシスコ講和条約の相手国である連合国に提供しました。

 けれど日本が処分権を放棄した後、千島、樺太が、どこの国のものになるのかは、サンフランシスコ講和条約には明記されていません。

 加えて、いま千島・樺太を占拠しているロシアは、サンフランシスコ講和条約に参加していません。

 つまり講和条約に基いて領土を受け取る当事者としての資格がありません。




 ソ連は、千島、樺太を「軍事占領」していますが、日本とソ連(あるいは現ロシア)との間で、千島樺太に関する領土割譲の条約の締結はありません。

 連合国側が、ソ連に対して千島樺太を売却もしくは譲渡したという記録もありません。(ヤルタ協定で密約があったと一時ソ連は主張していましたが、最終的にその主張をひっこめています。)




 つまり千島も樺太もいまだに日本の領土であり、当該領域の主権者は、実は「日本が保有したまま」ということになります。



 もうひとつ申し上げると、ロシアが千島・樺太を軍事占領しても、領有権はそれだけでは移転しません。

このことは、「イラクを米軍が軍事占領しても、イラクの領土が米国領になるわけではない」ことを見れば、簡単にご理解いただけようかと思います。


 イラクのフセイン政権は、米国と戦争しました。イラクは破れ、フセイン政権も倒れ、米国はイラクを軍事占領しました。

 しかし「米軍がイラクを占領した」という事実は、イラクが米国の領地になった、つまりイラクの主権者が米国になったということを意味しません。

 世界中の誰も、そんなふうに思ってもいません。

 「軍事占領」するということと、「領土の主権を得る」こととは、まったく異なることだからです。


 ついでに申し上げると、同じことは大東亜戦争の終期においてもいえます。日本は連合国(代表は米国)が軍事占領しました。

 けれど米軍は、日本を領有したわけではありません。あくまでも連合国軍の総司令部(GHQ)として、一時的な軍事占領をしただけです。



 つまり日本の主権は日本にあります。ですから日本の軍事占領にあたって、GHQは、日本の主権は日本人にある、と宣言しています。


 これが日本国憲法における「主権在民」の意味です。


 つまり日本国憲法における「主権在民」は、連合国が日本を軍事占領するに際して、それが日本の領有を意図したものでなく、あくまでも一時的な軍事占領にすぎないことを宣言した文言、ということになります。



 軍事占領は、主権の剥奪を意味しませんから(イラクの例に明らかです)、日本の主権は日本にあります。

 そして日本に新たな独立政権が誕生する、もしくは元の大日本帝国に戻るとき、日本の主権は当該政権が担うことになる、そういう意味です。

 従って「主権在民」は、「軍事占領」とセットの概念です。



 主権在民(もしくは国民主権)を、軍事占領と切り離して考えると、非常におかしなことになります。

 主権というのは、領土に関する排他的な絶対権だからです。

 当然に交戦権をも含みます。

 ということは、日本人のひとりひとりが日本の最高主権者ということになります。

 日本人のひとりひとりが日本国の領土領海全部のオーナーです。

 ということは、いまこれを読んでいるあなたのお隣のお宅は、あなたのものということです。

 お隣さんがそれを認めないなら、あなたには交戦権があります(笑)。



 要するに主権在民というのは、イラクを連合国が軍事占領して一時的に統治するけれど、あくまでイラクの主権者はイラクの民衆にありますよ、ということと同じ意味でしかないということです。



 同様に日本国憲法というのは、日本が占領統治された期間における、「連合国占領統治領日本」のための一時的な軍事占領下における統治憲法であり、主権はあなたがた日本人にあるのですから、いずれ占領が解けた時点では、あなたがたの主権者となる政府もしくは君主とともに、その後の主権者や憲法を確定しなさいという意味のものでしかない、ということになります。




 イラクの主権は、イラク国民が持っています。主権在民です。

 占領統治下にあっても、日本の主権は日本国民がもっています。主権在民です。

 なぜなら軍事占領と領土主権は意味が違うからです。




 日本は戦後、GHQによる占領統治を受けましたが、日本は占領統治を受けただけで、日本が連合国の領土になったわけではありません。

 そのことは昭和27年のサンフランシスコ講和条約の第一条に明確に書かれています。



 そのサンフランシスコ講和条約には、「日本と連合国との戦争状態の終了」がうたわれています。

 つまり、サンフランシスコ講和条約の発効の日まで、日本と連合国は「戦争状態」にあったのです。

 そして「戦争状態が継続」していたから、講和条約で、日本と連合国は「戦争を終わらせた」と、これはそういう意味の言葉です。




 すこし余計なことを書くと、では戦争をしていた当事者は誰なのか、という問題があります。

 一方の当事者は米国に代表される連合国(United Nations)です。

 そして戦争は、交戦相手があって、はじめて行われるものです。




 連合国の相手国である戦争当事者は、間違いなく日本です。

 そして戦争をしていたのは、江戸幕府の徳川政権でもなければ、豊臣秀吉政権でもありません。

 さらにいえば、軍事占領下にあって占領憲法である日本国憲法を持つ「連合国軍統治領日本」の政権でもありません。

 戦争をしていたのは、大日本帝国政権です。


 ということは、戦争をしたのも講和をしたのも、その戦争当事者は大日本帝国です。ですからサンフランシスコ講和条約に「全権」として調印文書に署名した吉田茂全権は、占領統治下の日本国憲法が規定する内閣総理大臣としてではなく、大日本帝国の君主である天皇の名代として署名しています。

だから「全権」です。


 そして日本がこの条約によって、あらためて独立国として主権を回復したということは、その時点で占領統治憲法は効力を失い、日本は大日本帝国憲法下の日本に戻ったということができます。なぜなら戦争は、占領統治日本としてではなく、大日本帝国として戦争していたからです。



 講和条約を、占領統治下日本が締結したというのは、理屈が成り立ちません。占領統治下日本は、連合国の下部組織であり、そうなると双方代理にしかならないからです。日本国憲法が「占領統治憲法」としては有効でも、サンフランシスコ講和条約施行後は無効であるとする議論の根拠もここにあります。




 ちなみに、朝鮮半島の場合は、サンフランシスコ講和条約の第二条Aで、



◇日本は、朝鮮の独立を承認して、斉州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。



とあります。日本は、朝鮮の独立を承認し朝鮮半島を領有する権原を放棄したのです。すなわち朝鮮半島は、独立した朝鮮のものです。


 連合国が朝鮮半島の独立政権として認めたのは、大韓民国、つまり韓国です。従って国際法的には、北朝鮮は国家でなく「金一族という軍閥が実効支配するエリア」であるということになります。



一方、台湾については、千島樺太と同じで、サンフランシスコ条約で、



◇日本は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。




 とあります。つまり、台湾は日本の九州、四国、沖縄同様、日本一部でしたが、その処分権を連合国に委ねたわけです。


 けれど台湾も、北方領土と同様、処分先が明記されていません。そしていまだに連合国も日本も、台湾の日本領土からの割譲条約を、どこの国とも締結していません。


 台湾は、終戦直後に、蒋介石率いる支那国民党が軍事占領しましたが、いまなお軍事占領のままです。台湾の割譲条約は、日本と、いま台湾にいる蒋介石政権との間に結ばれていませんし、連合国が蒋介石政権を台湾政府として領土を割譲するという条約を締結した事実もありません。


 台湾の場合は、戦後、蒋介石率いる国民党が、いわば進駐軍として台湾に入り込みました。そしていまなお、国民党は台湾に居座っています。これが何を意味するかというと、亡命政権である、ということです。



 亡命政権としては、いまインドに亡命しているチベットのダライ・ラマ14世の政権があります。ダライ・ラマ14世は、中共政府の人民解放軍がチベットを軍事制圧後、インド北部のダラムサラに亡命して、チベット亡命政府を作っています。しかし、だからとって、インドのダラムサラが、ダライ・ラマ14世を主権者とするチベットの領土になったわけではありません。



 同様に台湾には、いまもともと蒋介石が作った中華民国政権が居ますが、それは亡命政権であって、台湾が中華民国になったわけではありません。では、台湾の国際法上の領土主権者は、今現在どこにあるかといえば、答えは日本です。


だいぶ話が脱線しました。北方領土に話を戻します。



 そもそも日本が千島列島を領土としたのは、たいへん古い話です。江戸時代の元禄13(1700)年(赤穂浪士討入りの1年前)、この年松前藩が「全千島列島」を藩の知行地として幕府に届け出ました。



 その後、ロシアの囚人たちが北千島に乱入してきたり、日本とロシアとの間で様々なトラブルがあり、安政元(1855)年、日本とロシアとの間で「日露和親条約」が締結されました。この条約によって、南千島を日本領、それ以北(中部千島、北千島)をロシア領とすることが定められました。要するに日本が南千島四島を領有する権原が確定したのです。



 ところが日露和親条約で「樺太は日露混在の島」と、曖昧な取り決めをしたため、安政3(1856)年のクリミア戦争後、大量のロシア人が樺太に入り込み、日本人との間でトラブルが頻発するようになりました。この問題は、日本国内の政権が明治新政府に移ってからも尾をひきました。




 そこで明治7(1874)年に榎本武揚が特命全権大使としてロシアに赴き、



 (1) 日本は樺太を放棄する。

 (2) 代わりに千島列島の全部を日本領とする。



 という2点を要点とする「樺太千島交換条約」をロシアとの間で締結しています。明治8(1875)年5月7日のことです。


 この条約は、両国が署名した地名をとって、サンクトペテルブルグ条約とも呼んでいます。



 その後日本とロシアとの間には、明治37(1904)年に日露戦争が勃発しました。この戦後処理を行う条約が、明治38(1905)年9月5日に締結されました。


これが、サンフランシスコ講和条約に記載されたポーツマス条約です。この条約によって、日本は樺太について、北緯50度以南を日本の領土としてロシアから割譲を受けています。(千島列島の全島は明治7年の時点ですでに日本領です)。




前出のサンフランシスコ講和条約をもう一度掲載すると、



◇日本は、千島列島並びに日本国が1905年9月5日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。



 となっています。日本は、千島列島と、樺太の南半分の「処分権」を、ここで放棄したわけです。



このサンフランシスコ講和の時点で、すでに千島と樺太は、ソ連が軍事的に実効支配していました。


 これは軍事占領しているだけで、いまだ日本との間で領土の割譲条約が締結されていません。


 また、サンフランシスコ講和条約にソ連は名を連ねていません。では「公式な千島、樺太の領有権者は誰なのですか?」といえば、答えは「日本だ」という答えにしかならないのです。



 ですから平成17(2005)年には、欧州(EU)連盟の議会でさえも、日本の北方領土を日本へ返還するようロシアに求める決議を採択しています。


 そうでなければ理屈がなりたたないからです。


 サンフランシスコ講和条約締結後、60年も経ち、いまやソ連さえもなくなったにも関わらず、ロシアが樺太、千島を占領し続ける法的根拠はどこにもないからです。



 加えて日本国政府は、この問題を軟着陸されるために、もともとの日本領である南千島のみだけでも、日本に返還するようにと、ソ連、そして現代ロシアに対して求め続けています。


 そして麻生内閣の時代、麻生総理はロシアのプーチンとの対談し、この北方領土返還については、「我々の目の黒いうちに最終決着をしましょう」とまで、話を煮詰めてきていたのです。




 ところが日本の国政が、民主党政権になるやいなや、鳩山民主党政権は、国民からまったくみえないところで、日本の税金台帳から、北方領土の記述を消してしまったわけです。



 これこそ実にとんでもない、売国行為です。



 とくに千島列島沖合は、北方漁業の大産地であり、我が国の食に書かせない領域です。




 魚貝類は日本人にとっての貴重なタンパク源です。


 最近では、韓国産の魚貝類が大量に日本にはいってきていますが、韓国産の海産物は大便によって汚染され、大腸菌等が基準値を大幅に上回ることから、いまや世界中、中国でさえも、いまや輸入規制品です。




 要するに、本来なら海産物は日本産がいちばん安全なのです。

 しかも千島列島産の海産物は、非常においしくて、量も豊富です。

 だから終戦まで、千島列島最北端の占守島に、ニチロの海産物缶詰工場があったのです。

 そこで作られた魚介類の缶詰が、遠く南方戦線にまで送られていたのです。




 そういう我が国にとって大切な領土問題について、私達はもっと大切に考えて行かなければならないのではないか思います。

(「小名木善行 ねずさんの ひとりごと」2016年1月30日分を転載)








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