箱根おもしろ百科

観光ガイドブックとはチョット違う箱根情報をお届けしております。このエッセイが皆さまの新しい発見につながればと思いつつ。

乙女峠が太いパイプ―御殿場市

2016年10月01日 | 一般の話題


乙女峠が太いパイプ―御殿場市
―箱根のお隣さんとのつながり話シリーズ(8)―

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     「―箱根のお隣さんとのつながり話シリーズ(7)―」



■箱根と接する自治体のお話。箱根とつながる話題を求めて探索してきましたが、今回は最後の御殿場市です。




【1】乙女峠が交流門


■御殿場市(注1)は箱根外輪山の西側の山陵で箱根町と共有関係にある自治体です。
■山陵は北から乙女峠、丸岳、長尾峠と続き、いずれも富士山の景観の素晴らしいところです。




■稜線は北は人気の金時山に、そして南は箱根スカイライン拠点の湖尻峠に通じていることで、広域にわたる富士山景観ラインの中心的なスポットにもなるため、ハイカーに親しまれています。


仙石原から箱根西部外輪山を望む


仙石原から丸岳を望む


仙石原から長尾峠・乙女峠・金時山を望む

■歴史的な史実も多く、乙女峠には現在国道138号線(注2)となっている箱根裏街道が知られています。


乙女峠から富士山を望む

■さらに乙女峠(注3)では、その名の通り「乙女伝説(後述)」が有名です。
■御殿場市の範囲は極めて広く、西は富士山の山頂付近を山梨県の富士吉田市や同じ静岡県の富士宮市さらに小山町と共有しています。
■江戸時代の爆発でできた宝永火山(注4)は御殿場市が擁しています。
■富士山の山頂付近は別格として、標高が市街地でも250〜700メートルと、高地にあるため、冷涼な気候で知られています。
■今でこそ、東海道は箱根を南東側に回避するルートになっていますが、昔は御殿場が街道の中でも重要な位置付けにあったようです。



ふじみ茶屋


乙女の鐘


乙女鐘から富士山を望む


国道138号線乙女峠バス停から富士山を望む

■箱根街道が整備された江戸時代でも、仙石原から裏街道を抜けて御殿場に通じる道はよく活用されていました。

■御殿場と箱根のつながり話は、この「裏街道」「乙女峠」「国道138号線」のいずれかのキーワードが展開の軸となります。


(注1)御殿場市プロフィール:西の富士山、東の箱根山、北の丹沢山地、南西の愛鷹山に囲まれた地に位置する。標高が最低でも250メートルあり、冷涼な気候で真夏日がない。2016年(平成28年)6月1日現在人口8万8千人。隣接の裾野市、小山町、さらに長泉町と合併し特例市に移行することを模索中。

(注2)国道138号線:宮ノ下から仙石原へ抜ける細道を整備し、1912年(明治45年)に富士すそ野の練兵場に通じる軍用道路として建設されたものを国道として再整備。当初、仙石原〜富士吉田間は長尾峠経由だったが、乙女道路の開通でかなり距離短縮された。乙女道路では乙女峠の真下を貫く乙女トンネルを通過する。

(注3)乙女峠:標高1,105メートルの箱根外輪山。直下を国道138号線の乙女トンネルが貫く。北の金時山(標高1,213メートル)、南の丸岳(標高1,156メートル)、長尾峠標高911メートル)を結ぶ稜線は富士と箱根を前・後に見渡せる人気のトレッキング・コースとなっている。

(注4)宝永火山:富士山の側火山。標高2,693メートル。1707年(宝永年間)の富士山大爆発で出現。3つの火口が連なる構造。御殿場や裾野、三島からの富士山の景色には、中央部にコブを抱える独特の風情をもたらしている。



【2】順風と逆風が交互する交通インフラ風

■御殿場市は1889年(明治22年)の御殿場回りの 東海道線開通で、大いに賑わいましたが、その後の1934年(昭和9年)の丹那トンネル開通で、東海道本線のルートが熱海駅回りに変更されたことは、大きな逆風となりました。


御殿場駅箱根乙女口


御殿場駅富士山口

■人口流出現象が止まらない中、1969年(昭和44年)の東名高速道路の開通で、今度は大きな順風が吹き込みました。
■マイカーによる訪問客が増え、「御殿場アウトレット・モール」は連日賑わっています。工業進出も盛んになってきています。



東名高速から箱根方面を望む


御殿場から丸岳を望む

■東名高速ができたことで、箱根から御殿場方面に通じる国道138号線は、既にかつての箱根の裏街道(注1)というイメージはなくなっています。


御殿場と箱根を結ぶ施設巡りバス


仙石原にある箱根裏関所跡

■わかりやすい山並みに向けて御殿場からスッと仙石原をめざすこのルートは、箱根への入り口として、小田原よりも表玄関口にふさわしいといった風情が漂います。

(注1)箱根裏街道:箱根街道と区別する箱根越えの道の意味で江戸時代から使われたことば。箱根関所に対しても仙石原ほか4箇所に裏関所が設けられた。
「裏」という冠詞には「もうひとつの」とか「反対側の」という意味のほか「抜け道」「逃げ道」「蔭の」といった悪いイメージの意味もある。取り締まりが厳しいと言われた箱根関所にも裏関所が多数あった。「都合のよい抜け道」ともとらえられていたが、実際には江戸幕府はいずれの裏関所も厳しく取り締まりをさせていた模様。



【3】歴史・地名由来


■ところで、この‘御殿場’というチョッと珍しい地名は気になるところです。
■‘御殿’のある場所という単純な意味のようですが、江戸時代に鷹狩り好きの徳川家康がこの地に御殿を建てさせたことが、最初の由来だとか。
■そして家康の死後、遺体を久能山東照宮から日光東照宮に移送する途中、しばらくこの地に安置させていたことが、その由来話に追い討ちをかけたようです。
■いずれにしても家康と極めて縁が深い地名のようで、江戸時代の初期にはついていたと考えられます。

■さらに、昔は御殿場・小山・裾野地方を合わせた地域は御厨(みくりや)と呼ばれていたようです。
■厨は台所のことで、ここ御厨は伊勢神宮の台所をまかなうための神殿領に指定され、物産を貢納させる地域になっていたようです。
■となると、こちらの方の地名由来は平安・鎌倉時代あたりにさかのぼることになります。
■そういえば、源頼朝が富士山麓のこの地で鷹狩りのイベントを開催し、それに乗じて曽我兄弟が父親の仇討ちをした話もあるほどですから、この時代は神社に貢ぐだけの捕獲物が豊富だったのでしょう。
■曽我兄弟といえば元箱根の国道1号線沿いに供養墓があることで知られるので、ここで箱根とのつながり話がひとつ見え隠れすることになります。
■ともかく、鎌倉時代から江戸時代中期にかけての御殿場あたりは、旅人や狩猟道楽者には‘御殿’のような場所だったのでしょう。




【4】生活文化交流-湯立獅子舞


■箱根では仙石原と宮城野に伝わるお祭りである湯立獅子舞(注1)の行事が有名になっていますが、実はこの湯立獅子舞の行事は御殿場にもあります。

■全国的にも珍しいとよく言われる湯立獅子舞は、現在、仙石原と宮城野、それに御殿場の一部地域でしか行われない行事になっています。



仙石原諏訪神社の湯立獅子舞



仙石原諏訪神社

■そうなるとこのお祭りのルーツが気になるところです。仙石原が先なのか、宮城野が先なのか、御殿場が先なのか、それとも別の場所で発祥したものなのかなど…。

■箱根の歴史などをを紹介する書物(注2)によると、箱根の2つの湯立獅子舞は、いずれも江戸時代に甲斐の国の萱沼儀兵衛という人が伝えたとあります。つまり山梨県からの伝来神事らしいのです。
■そうなると、この湯立獅子舞は山梨から御殿場を経由して箱根に伝来したと考えるのが自然のようです。
■仙石原には1776年(安永年間)に、宮城野には1816年(文化年間)に、それぞれ教えに参じたということのようです。



仙石原諏訪神社
湯立神楽には雌獅子が使われる

■その間、40年も空いてることを考えると、随分長生きをした人のようです。
■同時に仙石原、宮城野には「山梨には師匠がいるから呼びして教えを乞おう」という地域の意向が沸き上がったと考えられるところです。
■儀兵衛の指導かどうかはともかく、仙石原には雌獅子、宮城野には雄獅子が登場するという違いがあるのがおもしろいところです。



宮城野諏訪神社
湯立神楽には雄獅子が使われる

■「‘雌獅’子は‘乙女峠’を経由して仙石原に渡り、‘雄獅子’は足柄峠、‘大雄山’、明神ケ岳を経由して宮城野に渡ったのだろう」と、文化交流の「言葉のお遊び推測」をしたくなるところでもありす。


■…で、御殿場の一部地域にあると言われる湯立獅子舞があるのは?
■一つは今の国道138号線に近い東山地区に伝わる神事を受け継ぐ北久原浅間神社で、もう一つは御殿場市沼田の子之神社(ねのじんじゃ)。多少趣に違いがあるようですが、いずれも箱根と同様に獅子舞が登場する形式の湯立神楽になっています。



御殿場沼田子之神社

■前者の場合、山梨県の富士吉田方面に通じる街道に近いところでもあり、箱根仙石原にも通じる街道であることから、箱根の2つの湯立獅子舞と同様、山梨からの伝来神事であることが推測されるところです。
■一応、それぞれの地域に古くから伝わる神事ということになっているようですから、あるいは逆に山梨にここから伝わったものかも知れません。いずれにしても箱根にもおおいにつながりがあるようにも思われます。

■ところで、箱根の2つの湯立獅子舞に関しては、別の書物(注3)には後述の勝俣一族が持ち込んだものらしいと紹介しています。
■「勝俣」という名前なら、箱根をよく訪問する人なら、「ああ、なるほど」とうなずくほど箱根ではよく見かける名前です。
■こうしたお祭りや風潮というのは、特定の個人が技術指導することも重要である一方で、その地での普及・定着にはその地域の集団の気持ちが大きく左右すると考えられるため、大変に興味深い説明と言えます。
■次の‘かつまた姓’の話を通して、その実感を深めることができます。



(注1)湯立獅子舞:湯立神楽と呼ばれる神事は全国にあるが、獅子舞との組み合わせの行事は珍しい。箱根では仙石原の諏訪神社、宮城野の諏訪神社でそれぞれ日を設定して開催される。大きな釜に湯を沸かし、周囲を獅子が舞い、ササを湯に浸して参詣客に振りかけ、豊作や健康を祈願する。2つ併せて国選択地形民族文化財になっている。御殿場市内では東山地区の北久原浅間神社と沼田の子之神社(ねのじんじゃ)で湯立獅子舞が行われる。後者は国選択無形民族文化財になっている。

(注2)『箱根ガイドブック』:岩崎宗純ほか監修。かなしん出版発行。

(注3)『箱根人の箱根案内』:山口由美著。千早書房発行。



【5】勝間田姓と勝俣姓


■御殿場から箱根に入ったもののひとつに勝俣一族のことがあげられます。
■人口の少ない箱根の町を訪ね歩いて感じることは勝俣さんという名前の家や商店が多いこと。
■箱根をよく訪れる人なら、箱根に「勝俣」姓の人やその名前の商号がついた店が多いことにすぐ気づくはずです。
■そもそも勝俣という名前は、珍しくはありませんが決して多くもないというのが普通の人の認識です。
■全国に1万人いるかいないかというレベルのこの名前。箱根には2000人はいると言われています(注1)。
■箱根の人口が2万人足らずですから、箱根では10人に1人以上は勝俣さんということになります。
■地域的には仙石原と宮城野に集中しているようです。
■この勝俣姓が箱根に増え始めたのは16世紀から17世紀にかけてのこと。かつて仙石原は勝俣さん以外の姓の人が珍しい時もとあったとか…。
■この勝俣姓は箱根町のほかには御殿場市や同じ静岡県の小山町にも多く、山梨県から御殿場などをを経由して箱根に流れたようです。
■あの戦国武将武田信玄の息子勝頼が長篠の戦い(注1)で負け、その家臣であった勝俣一族が山梨から箱根に逃れてきたものだという説明になります。
■そうなると先に述べた「勝俣一族は山梨から仙石原、宮城野に湯立獅子舞の文化を持ち込んだらしい」という書物のくだりが、たとえ推論だとしても、おおいにうなずけるものになってきます。

■こうしてたどっていくにつれ、御殿場は箱根に流れる勝俣一族の‘通り道’のひとつであったようにも感じられ、同時に獅子舞の文化も御殿場経由で箱根に流れたと考えるのが自然のように感じられます。
■あの細路だった乙女峠は実に太い文化交流のパイプ役を果たしていたことになります。


■一方、御殿場をよく訪れる人なら、同じ「かつまた」でも「勝間田」姓の人やその名前の商号がついた店が多いことにすぐ気づきます。
■実は御殿場市内では、この勝間田さんという名前の方が勝俣さんよりも圧倒的に多いのです。
■同じ「かつまた」で、いずれもそう頻繁に見かける名前ではないので、御殿場と箱根の近接地域でのこの特異な現象には、きっと何かおもしろいつながり話があるに違いありません。
■勝間田姓になると全国的には勝俣姓の半数規模のようですが、静岡県には集中しているようなのです。

■そして、実は静岡県には何と勝間田という地名まで存在しているのです。
■地名からくる人名というのは、よく耳にすること。



勝間田城跡

■勝間田という地名がある場所は、御殿場から100キロメートル南西寄りに離れた駿河湾に近いところ。
■牧之原市内にあるこの地には「勝間田城址」があり、当時ここを勝間田一族が支配していたことが確認できます。


■同市のHPによると、『勝間田城は、かつてこの地を領有していた豪族勝間田氏が築いた山城です。牧之原台地の枝尾根に築かれ、急峻な地形を巧みに利用し、外部からの敵の侵入を防ぐための堀切や土塁などの縄張りが特徴で、典型的な中世の山城でした。築城の時期は定かではありませんが、14世紀末頃と推測されています。1476年(文明年間)、今川氏との戦いで落城し、その後廃城となりました。現在でも、勝間田城跡には、城郭の原形が殆どのこされています。』とあります。
■どうやら、もともと静岡県に存在した勝間田一族が、今川勢によって山梨県に追われ、その多くが武田の家臣となったようです。
■さらにその後、武田勢が長篠の戦いで敗れたことで、家臣たちは勝間田一族と勝俣一族に分かれて御殿場や箱根に移り住んだということになるようです。

■こうして推理を進めていくと、御殿場に「古くから伝わる」とされる2つの湯立獅子舞は、勝間田一族が山梨から採り入れたという推論と、逆に勝間田一族が山梨に持ち込んだという推論が生じてきます。

■■御殿場市と箱根町を結びつける最大の役割を演じているスポットが‘乙女峠’であり、御殿場市と箱根町の最大の共通項になっている‘かつまた姓’を持つ先祖もまた、御殿場市と箱根町をおおいに結びつける役割を演じてくれたのであろうというお話でした。




(注1)勝俣姓統計:全国8,600 ②山梨県1,700(内富士吉田市1,400 甲府市30 山梨市は不明) ③静岡県1,000(御殿場市210 沼津市110 静岡市50 浜松市は不明) ①神奈川県3,800(小田原市510 箱根町2,000 南足柄市110 平塚市110 横浜市340 川崎市130) 東京都790
数字は2016年(平成28年)9月28日現在の「苗字由来net」検索による概算。単位:人。

(注2)長篠の戦い:織田信長・徳川家康の連合軍が武田勝頼の軍を三河設楽原で破った戦い。1575年(天正年間)。これにより武田氏は衰退し、1581年に滅亡した。

(注3)勝間田姓統計:全国4,400 ①静岡県2,800(御殿場市2,200 沼津市110 静岡市100) 山梨県不明  ②神奈川県420(横浜市160 小田原80 箱根町は不明) 東京都310
数字は2016年(平成28年)9月28日現在の「苗字由来net」検索による概算。単位:人。



【余談1】ポルシェ博物館

■箱根から御殿場に移った文化のひとつに、ある博物館があげられます。
■かつて箱根仙石原には「ポルシェ博物館」というのがありました。
■マイカーブーム、ガイシャブーム、そして子供の乗り物人気にあやかって、松田芳穂氏のコレクションを展示する博物館として1981年(昭和56)年に開館し、マニアに人気がありましたが、いつしか御殿場に移設され、今はなくなっています。


乙女峠バス停からの富士山

■ポルシェといえばレーシングカー。自然の中でのんびりスロー、エコ、ジオのイメージがふさわしい箱根から、高速道路やサーキットのイメージがある御殿場にシフトするのは、今から思うとごく当然の成り行きであったような気もします。



【余談2】お「トメ」さんの往復回数

■御殿場と箱根の間を何度も行き来した例として、乙女伝説のトメさんを取りあげともよいところです。
■かの有名な乙女伝説とは以下のようなものです。
《乙女伝説》
『仙石原で病気の父親と2人暮らしをする「とめ」の親孝行悲話。毎夜、峠を越えて御殿場にある地蔵堂に父親の快復祈願に通うも、満願の日の帰りに雪道で力尽きる。快復に向かっていた父親は娘を「男と密通しているもの」と誤解し、その日、娘の後を追い、地蔵堂の住職から事情を聞いて初めて娘の親孝行を知る。「乙女峠」の名前はこの伝説に因むもの。』


乙女峠

■乙女峠の標高は1,105メートル。仙石原の標高は約650メートル。御殿場地蔵堂あたりの標高は約450メートル。お「トメ」さんはこの標高差を100日間通い通したことになります。
■冬場に娘1人の1,000メートル級の山越えの連夜の往復は、いささか非現実的ですが、理屈の上では十分可能なストーリーです。


乙女峠登山口付近


乙女峠分岐

■親を慕う娘の心の強さを感じざるを得ない、悲話です。
■御殿場と箱根とを結びつけるこれ以上の話はないという感じもします。





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