新・隠居カウンセラー日記です。

「さるさる日記」から乗り換えました!

カウンセリングの反面教師・・・(1)序-③。

2016-10-19 08:28:58 | 日記

 私が「納得術」と称したカール・ロジャースの「共感的傾聴技法」。

30代後半頃の私が、その「技法」にたっぷりと染まったことは事実である。確かにそれなりの「手応え」を十二分に感じていた。

しかし、「そんなことで悩みが解消してしまうのだろうか?」という疑問が、その後の私にずっとつきまとっていた。

 60歳を過ぎて開業カウンセラーになった私は、さまざまな人たちのカウンセリングを行ってきた。

その中には、既に他施設でカウンセリングを受けてこられたご相談者が決して少なくはない。

そうした方々には必ず「どんなカウンセリングを受けてこられましたか?」とお訊きすることにしている。

その体験だけで言えば、圧倒的にロジャースの「共感的傾聴技法」に接してきた方々だった。

そして彼らは一様に以下のようなことを私に語るのである。

「そこで何回かカウンセリングを受けてきたのですが、いつまで経っても『聴いてばかり』なのですね。

確かに『受け止めてもらった!』という感激はありましたよ。でも、私の抱える問題が解決したとはとても思えなかったですね」。

 これって何故なのだろう?

臨床心理士は「カウンセリング技法」の中核として、必ずこの「共感的傾聴技法」なるものを履修してきている。

多分それは公認心理師教育においても変わらないだろう。

この「共感的傾聴技法」の習得には、難解な理論を学ぶ必要はない。ただ、その「技法のコツ」を学ぶだけでいいのだ。

大学の教授陣にとっても、この「技法」の指導は等しく得意とするところだ。彼らもその「技法」の洗礼を受けてきているのだから。

ゆえに「心理職」を目指す若い人たちには、もっとも魅力的な「技法」の一つとして映る。

だから容易にそれに染まってしまい、あたかもひとつの「魔法の杖」を得たとばかりに満足してしまう陥穽(かんせい)にハマる。

 「共感的傾聴技法」を開発したロジャースの「人間理解」という視点は、前回に述べた通り「人間の成長力」を中心仮説としている。

わかりやすく言えば、他人(カウンセラー)が余計な介入をせず、相手の「世界」に共感的理解をもって接していけば、自ずと「主体性」

を取り戻し、「成長」していくという現象学的仮説だ。

これについて私は異議を唱えない。それどころか、まったく同意さえしている。

この私自身が、妻にも息子にも「余計な介入」をすることを極力控えて接してきて、その結果かどうかはわからないとしても、妻も息子も

確かに「主体性」をもって生きていることに成功しているからだ。

 しかし・・・である。

ロジャースが言う「成長」とは、いったいいかなる「意味」を指してのことなのだろうか?

卑近な例をあげれば、植物の「成長」には水を与えすぎない方がいいと言われる。

たとえばトマトの栽培は、水を控えた方が糖度を増すとも言われる。

でも、人間の成長と植物の成長とを一緒に見做していいものだろうか。

人間は動物・植物と違って、唯一「言語」を有する存在だ。これが私にとっては、もっとも厄介な「問題」として残っている。

 それがゆえにこの私は「人間の成長」の「概念定義」ができないまま、今日に至っている次第だ。情けなくも、ね。

 

 

 

 

 

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