新・隠居カウンセラー日記です。

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カウンセリングの反面教師・・・(6)一筋縄にはいかないこと-⑩。

2017-03-13 09:15:05 | 日記

 アメリカのトップ・セラピストの一人とされるジョン・C・ノークロスが面接した、「M氏のケース」。

このケースはノークロスが想起する「最悪事例」だった。なにしろ初回面接で「喧嘩」状態になり、中断に至ったケースなのだから。

ノークロスはきっと、「ああ、もうこのM氏とは完全に縁が切れた!!」と思ったに違いない。

 しかし後日、その予想を覆すかのようにM氏から一本の電話が入ってきた。

それも、「あんただけは俺に対して正直だった!」と敬意さえ払ってきたのだ。

この電話を受けたノークロスは、次のような述懐をしている。

「セラピーの成果やクライアントの満足度などに対するセラピスト自身の印象は、必ずしもあてにならない」・・・と。

 こうした言葉対して、カウンセラーは一様に頷くことだろう。

こちらが「うまくいった!」と思っていても、ご相談者の側がまったく満足していなかったケースも多々あろう。

いっぽうで、「ああ、失敗した!」と思っているのに、相手は満足していたというケースも多々あるに違いない。

だからカウンセリングは「一筋縄にはいかない」ものなのだ。

そして、「一筋縄にはいかない」どころか、もしかしたらカウンセリング自体が「幻想」のうえで成立しているものではないのか?

私はそんな懐疑すら抱き続けている。

 どんな「幻想」かと言えば、いわゆる「心理主義」という「幻想」である。

以前にも引用した「『心の専門家』はいらない」(洋泉社)の著者、小沢牧子先生は同書で次のような鋭い指摘をしている。

「カウンセリングは怒りや不安を鎮める。それを可能にする技法の存在が、カウンセリング人気を支える一つの側面である。

手に負えない厄介な感情をなだめ、穏やかに適応に導く(中略)また不安や怒りに悩まされることから逃れてすっきりしていたいとい

う、人々の願望にも応えている。

 しかしこの事態は、状況温存、ことなかれ思想、脱政治性を意味している。ドイツのジャーナリストU・ヌーバーは、この脱政治性につ

いて、次のように答えている。

『セラピー業界は、責任の重荷を軽くするための新手をたえず提供してくれる。われわれの思考と行動はセラピーの対象とされ、そうなる

ことによって脱政治化された。われわれの不満や不幸はどこから来たのか。その問いがわれわれを駆りたてる。(略)そのときセラピーに

よってわれわれの片目はふさがれてしまっている。つまり個人の運命しか見ないのだ』(〈傷つきやすい子ども〉という神話 岩波書

店)

 相手の「個」という「こころ」なる「世界」に立ち入り、手に負えない厄介な感情をなだめていく。

そうした営みが「心理主義」と呼ばれるユエンである。

しかし、そこでは「ことなかれ思想」と「状況温存」が強く潜んでいる。

「われわれの不満や不幸はどこから来たのか?」という根本的な「問い」が、一切排除されているからだ。

 私は「まずい面接」(金剛出版)という一冊の本を通じて、数人のトップ・セラピストたちがおかした「最悪事例」を拾いあげながら、

私自身の「カウンセリングの在り方」を学び直してきている。

その途中で思うのだが、やはり彼らも所詮は「心理主義」で、「片目をふさがれてしまっている」ように思えてならない。

 ああ、カウンセリングとは、かくも「一筋縄にはいかない」ものなのだ!

 

 

 

 

 

 

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