新・隠居カウンセラー日記です。

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カウンセリングの反面教師・・・(10)結びに代えて-⑩。

2017-08-09 09:22:52 | 日記

 カウンセラーの「あるべき態度・姿勢」について7項目述べてきたが、最後の項目は以下となる。

(8)相手のニーズを最優先し、可能性を拓くこと。

 この内容はフランシーン・シャピロ女史から学んだこと。

シャピロの名前は知らなくても、彼女が開発した「EMDR」という技法名を知らない臨床心理士は、きっといないだろう。

それほど日本の臨床心理士は「新しい技法」に並々ならぬ関心を示す。飛びつきたがる。

だけど、技法もいいがカウンセラーの「あるべき態度・姿勢」の方が、もっと役に立つ。私はそう確信して、このブログを書いている。

 それはさておき、シャピロだけは「まずい面接」(金剛出版)のなかで、珍しくも自分の「失敗事例」を語っていない。

だから彼女は私の「反面教師」にはなっていない。しかし、彼女が語る次の言葉に、私はいたく触発されたのだ。

「私の仕事上の責任は、クライアントの人生の方向性には、どのような可能性があるのかを自覚してもらうことです。

その過程ではバランスが大切です。つまり、臨床家がクライアントに可能性を提案していく一方、その可能性を実現していく力があるの

は、クライアント自身なのであるということを、しっかり話し合う中で認識してもらうのです。

つまり、クライアントが自分自身により多くの可能性を見出す過程を通して、クライアントのエンパワメントをしていくのです」。

 とくに、シャピロが「クライアントの人生の方向性には、どのような可能性があるのかを自覚してもらうこと」を、「自分の仕事上の

責任」として捉えているところが、私には実に「新鮮な視点」として映るのだ。

日本の、とくに若い臨床心理士たちは「技法」ばかりにとらわれて、目の前のクライエントに「人生の可能性」までも射程に入れて、考

えるまでには至っていない。そう思えてならないからだ。

 クライエントに「人生の方向性」として「どのような可能性があるのかを自覚してもらう」には、まずカウンセラー自身が「人生とは

何か?」に対して揺るぎない概念定義をもつことが迫られてくるだろう。

当然ながら、とくに若い臨床心理士たちにはこの点が覚束ない。

「人生とは何か?」の概念定義は、臨床心理学の範疇を越えてしまっているからである。

老いても、飽きることなくカウンセリングに興味を抱き続けている私とて、「人生とは何か?」の概念定義は出来ないままでいる。

ただ、それぞれのご相談者のうちに潜む「可能性」を引き出し、そこから「自分にとっての『いい人生とは何か?』」を考えてもらえる

お手伝いだけは出来そうだと自負している。

 私の言葉を使わせてもらえば、人は「過去」と「未来」との「間(あいだ)」を「生きている」。

短絡的に言ってしまえば、これが「人生」というものなのかもしれない。

そして「過去」は、歪曲された自分の「記憶世界」だけにしか宿らないものであり、「未来」は「まったくもっての無の世界」。

「人生」において「在る」のは、「過去」と「未来」との「唯一の接着点」としての、「いま・ここで」においてにしか「無い」。

 たびたび引用させてもらっている「脳はなぜ都合よく記憶するのか」(講談社)の著者・ジュリア・ショウ女史は、その「いま・ここ

で」をこのように語ってみせている。

「記憶システムのあらゆる弱点を理解すれば、まったく新しい道徳的規範に従うことができる。私たちの過去は作り話であり、私たちが

なんとか確信を持てるのは、現在起きていることだけだ。これを知っていれば、この瞬間を生き、過去を重視しないですむ。そして、人

生最高の時は今、記憶が意味するのも今であることを受け入れられるようになる」。

 確かに「その通り」だと思う。ただし、ジュリア・ショウ女史のこの指摘は、「過去」=「記憶」の視点だけに偏り過ぎている。

「人生最高の時は今」とするためには、「まったくもっての無の世界」たる「未来」に向かっての「ニーズ」と、それをなし得る「自分

だけの可能性」をも「いま・ここで」において装備しておかなければならない。

つまり「自分だけの可能性」を、「いま・ここで」、「未来」に向かって「拓いていこう」とする「意志」を絶えず備えておくことだ。

こうした「未来を拓く強い意志」こそが、「辛い過去記憶物語」に拮抗し得る、奇妙な言い方になるが「こうすれば生きていける!」と

いう「未来物語記憶」を、「いま・ここで」創造していくと私は捉え続けているのである。

 この耳新しい「未来記憶物語」という私の造語に、「それ、なに?」と訝(いぶか)る人も多いだろう。

わかりやすく言えば、たとえば「神」や「天国」。それらは人類が創造した偉大な「未来記憶物語」の代表的産物なのだ。

それらを信じることさえ出来れば、人は「死んでも生きていける!」のだからね。

 私はそうした「未来物語記憶」を創造するサポーターにもなりたいのだが、しかし、実際にはなかなかうまくいくものではない。

それが偽らざる実感だ。

 従って、この項目の自己評価は2点としておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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