新・隠居カウンセラー日記です。

「さるさる日記」から乗り換えました!

カウンセリングの反面教師・・・(1)序-⑩。

2016-11-07 08:24:34 | 日記

 昨日の日曜日は、久しぶりに大阪府臨床心理士会が主催する研修会に参加してきた。

午前と午後とのそれぞれに、珍しく私の興味を惹くテーマがあったからである。

研修会参加メンバーは、すべて臨床心理士だ。

そして、それぞれの研修会講師は複数の自著を有しておられる、いわばその分野で「講師」たるにふさわしい人物と言える。

講義後の質疑応答時間では高齢者の参加者から講師の講義内容を讃える言葉があり、一方で若い参加者からは素朴な疑問が発せられる。

そして講師からの回答には、「有難うございました!よくわかりました」の言葉で終えるのが、いつもの見慣れた光景となっている。

だけど老齢期に入っている私には、そのどちらのコメントも出てこない。

講義である以上、一貫した論理性をもって語らざるを得ないが、そのために「隙(すき)」を作ろうとしないことが「隙」になっている。

浅学のゆえもあろうが、私はそうした「隙のなさ」の語りに、ついつい「反面教師像」を見出してしまうようになっている。

講義を終えたあとの帰路では、「空しさ」がどんどん募るようになってしまった。

 さて前回で私は「症状」について、エラソウに自分なりの定義を示してみた。

「症状(=問題)とは、なんらかの関係性が絡みあって創り出された不幸感物語である」というヤツである。

ここで言う「不幸感物語」もそうだが、それ以上に「なんらかの関係性」という言葉が、もっとわかりづらいだろうなあと思っている。

そもそも「関係性」とはいったい何なのだ!・・・そう思われる方が圧倒的に多いだろうねえ。

 そんなとき、またまた朝日新聞(朝刊)の連載コラム「福岡伸一の動的平衡」(2016年11月3日)が目にとまった。

今回のタイトルは「『何もない』若冲の魅力」となっている。

若冲とは「江戸時代が安定期に入った1700年代、上方は京都の町中に特異な才能が出現した」とする伊藤若沖のことである。

「鳥や魚、虫や植物を博学的な精密さで写しとりつつ、現代のグラフィックデザインを先取りするような目の覚める色彩と奇抜な配置で鮮

やかに描き出した絵師」・・・それが伊藤若沖とのこと。

私も私の妻も「若沖ファン」であることから、福岡氏の上記解説は「さもありなん!」と同意してしまう。

しかし、生物学者・福岡伸一氏の「慧眼」はその域を超える。

彼は「若冲」という名前の由来を押さえたうえで、このように記しているのである。

「あらためて若冲の絵を見るとどうだろう。小鳥の群れは中空を軽やかに泳ぎ、アサガオのつるは周縁を取り巻くが中央には大きな余白が

ある。そう、彼の絵には空疎な抜けがある。しかし、その『あいだ』には、世界を支える働きがある。つまり、若冲の絵とその名が暗示す

ることは、何もないところにこそ意味があるという真実なのだ」。

 ここで語られる「空疎な抜け」という「あいだ」。これこそが世界を支える働きであり、ここにこそ意味が宿ると洞察するのである。

この福岡氏の洞察を得たうえで、私が受けた研修会講師の「隙(すき)のない語り」の「危うさ」に思いを馳せてもらいたい。

そして・・・「関係性」は、「空疎な抜け穴」という「あいだ」から成立するものであることにも意を払ってもらいたい。

その「なにもない抜け穴」という「あいだ」に、われわれは「意味」を見いだし、「幸福感」だけではなく「不幸感」をも創作してしまう

というわけである。 

 もしカウンセリングという営みにおいて「真の問題」があるとすれば、「あいだ」にこそ存在するのではなかろうか?

 

 

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