新・隠居カウンセラー日記です。

「さるさる日記」から乗り換えました!

カウンセリングの反面教師・・・(7)心地良くないことも覚悟すること-⑥。

2017-03-30 08:27:39 | 日記

 一人の青年と、彼に甲斐甲斐しい世話を焼く家族。

この状況を察したピットマンは、あえて「心地良くない」アプローチをとることを辞さなかった。

この青年に「自己効力感」を与え、「他者(家族)依存」という悪循環のループを断ち切り、彼を強引に自立させようとしたのである。

しかしピットマンのこの意図は、青年が会場を去ることによってまったくの成果を上げることはできなかった。

やはりピットマン自身が認めた通り、「最悪事例」のひとつと言っていいだろう。

 この「心地良くない事例」を踏まえて、ピットマンはこのように反省の弁(?)を語っている。

「うまくいっているセラピーとは、実際に派手なものではありません。心がじわじわと暖かくなるような感じで、非常に居心地が良い。

それでいてかなりストレートに直面するものなのです。セラピストはクライアントであるシステムに、新しい情報を提供する役割をしま

す。その過程というものは、聴衆をあっと驚かせるようなパフォーマンスとはかけ離れた、地味なものです。

ですから、無理矢理、華々しいパフォーマンスに仕立てようとすると、本来、援助を求めている人たちのニーズに応えられないかもしれな

いというリスクを犯すことになるのです」。

 だったら多くの聴衆を前にして、セラピーのデモンストレーションなんかをするなよ、と言いたくなってくるが、それでもピットマンは

臆することなくこのように続ける。

「私の治療過程においては、まさに適切と思われるタイミングで、あえて苦痛を生み出すのです。クライアントが自分の間違ったやり方に

気づき、別の方法で対処できることを自覚できるように支援するのが、私たちの役目なのです」。

 ところで、ここでピットマンが言う「クライアント」という言葉に留意してもらいたい。

ピットマンの指す「クライアント」とは、いっこうに自立する努力をしない青年を指しているのか、それともその青年をずっと許容し続け

ている家族の方を指しているのか?

ここが明確でないと、ピットマンが依拠する「家族療法」とは何かがわからなくなるからである。

私なりの結論を言えば、青年も家族も共にクライアントではあるが、「真のクライアント」とは青年とその家族を含んだ「家族間のコミュ

ニケーション・システム」自体だと考える。そう考えた方が、「家族療法」はわかりやすいと思っている。

 さらにピットマンはこのようにも語る。ここに彼のアプローチの「独自性」がある。

傲慢な言い方かもしれませんが、セラピストの中にはマッサージのような治療をする人がいますが、私は自分の治療は手術のようなもの

だと考えています。マッサージ・タイプのセラピストは人の気持ちがよくなることを目指しています。私の目指すものは、何とかして何が

しかの変化を起こすことです。これを実現するには、苦痛を生み出すことは避けて通れないのです」。

 青年が有する「ひとつの症状」は、彼が属する「硬直した家族システム」が産み出している。

ならば、その「硬直した家族システム」に「変化」という「手術」をしない限り、青年の「症状」は保持されたままになってしまう。

ピットマンはそうしたロジックに基づいて、「家族システム」と戦っているというワケだ。

 そして、「必ず変化は起こるという希望を示す態度を貫くこと」をもって。

 

ジャンル:
ウェブログ
この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« カウンセリングの反面教師・... | トップ | カウンセリングの反面教師・... »

あわせて読む