新・隠居カウンセラー日記です。

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カウンセリングの反面教師・・・(7)心地良くないことも覚悟すること-⑫。

2017-04-18 08:51:37 | 日記

 「家族システム」の「病理」が体現化され、ある「症状」を呈する人物(=IP)のカウンセリングを行うとき、

(1)「症状とは、重要な他者を策動しようとするメッセージである」。

私はこの定義をきわめて重視して、心理カウンセリングを行っている一人である。

 そして、もう一つ。私が常に念頭においているカウンセリング方略がある。それが、以下である。

(2)当該「家族システム」を、「ドラマ・トライアングル(三角形)」として捉え直してみること。

この「ドラマ・トライアングル」仮説は、スティーブ・カープマンが1968年に提唱した「家族病理モデル」である。

私がこの仮説を知ったのは、ジェラルド R.ウィークスと、ルチアーノ・ラベイトが著した「逆説心理療法」(1986  篠木満・内田江

里 訳 星和書店)に拠っている。

 同書では「ドラマ・トライアングル」が次のように説明されている。

「ドラマ・トライアングルの考え方は、家族メンバーはそれぞれ、迫害者、救援者、犠牲者の3つの役割をとるというものである。

これらの役割は、時間の移り変わりとともに急激に変化することがある。すなわち、犠牲者が救援者や迫害者にもなることもある。

(中略)家族メンバーは、このドラマ・トライアングルに陥ると、限定された一組のルールに従うことになる。彼らには、ゲームのルール

を変えることはできない。家族メンバーがこのルールから逃れようとしても、トライアングル内での役割の変化が起こるに過ぎない」。

 この説明を読んでも、おそらく理解できない方が多いだろう。そこで、もう少し説明を付加していこう。

家族メンバー間で生じる「3つの役割」とは、以下のようなものである。

A.救援者

 この役割は、無私、寛容、協力を特徴とする。それゆえ、自分を犠牲にして他者を助ける者である。

 「ならば、救援者とはまことに有難い存在だ!」と思いこんでしまいそうになるが、実はそこに陥穽(かんせい)が待ち構えている。

 何故なら、救援する者が「私の方が立場が上。従って、私はOKだ!」という立場をとり、救援される者を「私の方が立場は下。従っ

 て、私はOKではない!」という立場に置かされるからである。

 すなわち救援者の存在が、被救援者をますます「私はOKではない!」という犠牲者に追い込んでしまっていくことになるのだ。

B.迫害者

 「迫害者の役割は、救援者と犠牲者との交流から生まれてくる」という説がある。

 つまり、ある者(救援者)が自分自身を助けられないだれか(犠牲者)を助けようとすると、以下の2つの事態が生じてくる。

 ①救援者の努力は通常報われることがない。そこで怒りと不満を覚えてくるようになってくる。

  その怒りと不満とが、かえって犠牲者を迫害する形となって現れてくる。

 ②救援者から救援されるたびに、犠牲者はさらに一段と低い、無力な立場に置かれてしまうようになる。

  このことから犠牲者は怒りを覚えるようになり、どこまでも救援しようとする者に対して、迫害者の立場をとってしまうようになる。

C.犠牲者

 「犠牲者の役割は、迫害者と救援者と協力・共謀する者によって演じられる」という説がある。

 犠牲者は、他者の支配下にあることの容易さや魅力から、犠牲者であり続けようとする。

 何故なら、自己決断をする必要もなければ、自己責任をとる必要もなくなるからだ。

 それどころか犠牲者は、救援者からの注目や努力、さらには金銭まで入手できることになる。

 こうした視点に立ってみると、犠牲者とは迫害者の役割をとる形へと変化してくると言えるのだ。

                                 ★

 ・・・いかがなものでしょうか?

上記の説明で、ある種の「閉ざされた家族関係性空間」においては、家族メンバーが次々と「迫害者」「救援者」「犠牲者」の「役割」へ

と変化していく様相が見られるのではなかろうか?

言い切ってしまえば、家族メンバー同士で果てしない「心理ドラマ・ゲーム」に嵌(はま)っているということである。

 これこそが、カープマンの指摘した「家族病理」としての「モデル原型」なのだ。

 

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