新・隠居カウンセラー日記です。

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カウンセリングの反面教師・・・(8)自分の力の限界を知ること-③。

2017-05-15 08:10:30 | 日記

 クライアントに「なんらかの心的変化」を起こすことを、「S.F.A.(ソルーション・フォーカスト・アプローチ)」は何よりも重

視している。

「S.F.A.」の権威者であるスコット・D・ミラーが、クライアントに「変化」を生じさせようと試みるのは当然のこと。

従って彼によれば、セラピストの意図的な「そうした試み」がなんらの貢献も果たしていなければ、それは「失敗」ということになる。

前回(1)で述べたように、ミラーにとっての「セラピーの失敗」とは、「セラピー(カウンセリング)の貢献したことが何もない場合」

という風に定義されてくる。

この定義については、私も同意するところである。

 加えてミラーは「失敗」のなかでも、「成功未満」という「失敗」の「定義」も示している。以下の(2)がそれである。

(2)セラピーにおける「成功未満」の定義 ; 「クライアントの状況がセラピーの介入とは関係のない理由で改善したときにも、セラピ

ストはそうした改善をセラピーの功績として捉えることがある」。

 これがミラーによる「成功未満」という「失敗」の定義である。

あえてこの「成功未満」という「失敗」の定義を私が引用したのには、理由がある。

私は同業者たちの「事例報告会」にしばしば参加してきたが、その多くに(2)のような「成功未満」を、あたかも「成功事例」のごとく

トクトクと語る臨床心理士たちを見るからである。

 たとえば、初回面接で「主訴」を聴取し、第2回目の面接では、その臨床心理士が依拠する「ある技法」をもって介入した臨床心理士が

いたとしよう。

しかし、第3回目の面接に来ることをクライエントが何らかの口実をもって、婉曲的に「拒否」したとする。

そのクライエントの「拒否」を、当該のカウンセラーは「改善」と解釈し、自分の「功績」として捉えてしまうのである。

あまりにもバカバカしいので、最近の私は「事例報告会」にも参加しなくなってきた。

 そして、もう一つ。

とくに精神分析に依拠した臨床心理士が陥る「抵抗」という概念が、「失敗」を隠蔽する道具立てになっているケースも多々見かける。

 「抵抗」とは、クライエントがセラピスト(カウンセラー)に示す特殊な「心的現象」の一つで、このように定義される。

「『抵抗』とは精神分析治療の期間において、無意識への到達を妨げるような、被分析者自身のすべての言動」のことであり、

「一般には、面接によって無意識の欲望をあらわにされることへの恐怖心や心理的不快感から、連想過程や分析者の解釈、ひいては治療そ

のものに対して敵対的・拒否的になることである」(「心理臨床大事典」より)。

 一般の方にはなんともコムツカシイ定義に映ることだろうが、なんのことはない。

自分の得意ネタを披露したにもかかわらず、いっこうに笑ってくれない観客に対して、「笑いのセンスのない観客ばかりだ!!」と、あれ

これの理屈を並べ立てては居直るお笑い芸人みたいではないか。

 実際、この「まずい面接」のなかで登場してくるトップ・セラピストの多くも、この「抵抗」なる「心的現象」の説明をしきりにしてい

るが、私ときたら、時としてそこにセラピスト自身の「嘘臭さ」を感じ取ってしまうタチなのだ。

 この私も、次回面接の約束をしたにもかかわらず、ドタキャンされるご相談者に出会う機会が決して珍しくはない。

とくに、「あんなに上手くやっていたのに・・・」と思うときは、ご相談者に一種の憎悪を感じなくもない。

しかし、ドタキャンされたり、拒否されたりするのは、すべてカウンセラーの責なのだ。自分の力を反省すべきことなのだ。

 決してクライエントの責に転嫁してはならない。報酬をもらっている以上、アッタリマエのことでしょうが・・・。

 

 

 

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