しまなみニュース順風

因島のミニコミ「しまなみNews 順風」は、しまなみ海道沿いの生活情報をリリースし、地域コミュニティー構築を目指します。

ただいま、制作快調!ふるさとCM大賞 part ①

2005-01-20 01:04:22 | お茶目
 寒気を含んだ風がヘルメットのシールドにぶつかって風なりしている。生口橋上空を流れる雲が早い。私の頭の中では、サンダーバードのタイトル画面にある「five、…。four、…。three、…。two、…。one、…」のようなカウントダウンが始まっている。
 急がねば。
 所用で遅れた分、「ふるさとCM大賞」のロケ現場集合時間に遅れていた私は、しゃかりきになってスーパーカブ・カスタム90を飛ばしていた。私の住む土生町からロケ現場となっている本因坊秀策の碑までは、普通の人ならバイクで飛ばして約一二、三分。元新聞販売店主の私の場合、この町の至るところにワープゾーンがあるため、本気で走れば五分以内で到着する。サンダーバードのカウントダウンは、私がワープゾーンへ突入するときのスイッチのようなものだ。
 ウインカーを出したまま走り続ける滴マークの横をすり抜け、西浦の要橋から中庄に抜ける交差点をひねるようにバンクさせ、後続者を振り切って青影トンネルへと続く道を爆走する。
 ♪青い空を乱すものは誰だ。聞こえてくるのは、SOSだ。
 ワープゾーンになっている青影トンネルを越えると、すぐに中庄の町並みが見えてくる。
「ふるさとCM大賞」のロケを本因坊秀策の碑の前でしようと言い出したのは、このCMのディレクターを買って出た篠塚くんだ。この日の前日には、篠塚くんが因島市民会館から碁盤と碁石を借り、小道具の手配は終わっている。一月十七日のこの日のロケにはコモンズ・ネットワークの大西好樹さんが外浦保育所の子どもたちと老人クラブの人達を手配して出演者も揃っている。私もこの日までにコピーライターとして「いごごちいいまち いんのしま」というキャッチコピーを作り上げ、この日のロケを心待ちにしていた一人だ。
 キャッチコピーを「いごこちいいまち いんのしま」とした理由は、因島が碁聖本因坊秀作生誕の地であることと、普段から因島には遊べる場所があるのに弾ける場所がないと思っていたからだ。そのためキャッチコピーは、囲碁を通して三世代で遊べる居心地の良い町ということをイメージして制作していった。
 昭和四十年代まではのんびりと農耕牛の歩いていた中庄の町並みを外れ、埋め立て地となっている中庄新開方面へ出ると、私の頭の中で流れ続けていたサンダーバードのテーマ曲はいつの間にか消えていた。秀作の碑のある外浦への入り口付近には、赤い交通安全の旗が四、五本強い風に揺れている。アクセルをふかして通り過ぎると、バタバタと風になびく旗が「こら~!」と怒鳴ったような気がした。
 ロケ現場となっている石切神社に到着すると、すでにロケ隊は撮影の準備を進めていた。おまけに、ロケ当日に取材に来るとは聞いていた広島ホームテレビの取材スタッフも揃っている。
「やあ~、いらっしゃい」
 ウエルカムの笑顔で出迎えてくれたのは、大西さんだった。この日は、娘さんが風を引いてしまったとかで、大西さんは午後から予定されている因島ロッジでのロケに参加できるかどうかは微妙だと言う。
 本因坊秀作の碑の前には、すでにみかんの集荷に使うオレンジ色のコンテナが用意され、出演者となっている老人会の村上 敏之さんと松原 進さんが囲碁を始めている。
 ロケのシチュエーション(舞台設定)は、本因坊秀作の前で囲碁を楽しむお年寄りと子どもというもので、石切神社境内にある秀作記念館の手前に続く狭い通路には外浦保育所の子どもたちもスタンバイしている。子どもたちのお世話をしている吉武 町子所長は、興奮してはしゃいでいる子どもたちを落ち着かせるため、にこやかな笑顔の中に若干冷や汗っぽいものを滲ませている。
 しばらくするとディレクターの篠塚くんは、出演者を前に撮影の絵コンテを見せ、出演者、スタッフ、ホームテレビの取材スタッフにロケの説明を始めた。
 このロケは、CMの最後のカットになること、撮影は何パターンか試すこと、収録後は秀作記念館の中に入って音取りをすること。篠塚くんは、入念にロケの説明をすると、それでも足りないと思ったのか、追い打ちを掛けるように出演者に念押しの説明をしている。実は、これが最終ロケでの悲劇を生むことになろうとは、私達スタッフには知るよしもない。
 撮影は順調に進んだ。私達スタッフは、囲碁盤に因島に関係するキーワードとして「フネ」「タコ」「はっさく」といった文字を篠塚くんが既に作っていた絵コンテに当てはめて碁石で書いていく。それは、ちようど昔のパソコンにドット(文字画面上の小さな点)の粗い文字を書いていく要領で進められる。
 篠塚くんは、何度もビデオカメラのファインダーをのぞき込んで、光りの加減を気にしているようだった。
 その間、待ち時間がやたらと長く感じられる。子どもたちのテンションを支えていた好奇心もテレビ局の人が来ているといったものから、石切神社で遊んでみたいといったものへと変わっていく。所長先生の格闘が始まったようだった。
 ここで、ちょっとした事件があった。
 私は所長先生の子どもたちとの格闘を見て、碁盤に「いんのしま」の文字を書き込む作業を子どもたちにさせることを思いついた。撮影の待ち時間に、もしかしたら、子どもたちの興味を引きつけられるのではないかと思ったからだ。
 予想は的中した。
 子どもたちは争って碁盤に文字を書いていく。上手い下手は関係ない。大西さんと二人で碁石を子どもたちに渡し、絵コンテに近い文字が仕上がっていく。
 その光景を見た私は、私自身でも取材しなければならないことに気が付いた。
 バッグからデジカメを取り出し、大西さんと子どもたちが碁石で文字を書いていく様子を撮影していく。私は、すぐ近くで撮影している篠塚くんの様子から、しばらくはこの状況を続けられそうな気がしていた。
 しかし、この予想は長い待ち時間と共に外れていくことになる。
 子どもたちは、碁石で文字を書く遊びより、必死で文字を書かそうと笑顔で対応している大西さんをからかうことに集中し始めたのだった。
「おい、お~い。これ、・い・じゃないでしょ。ちゃんとやってくれなあかんな~」
 子どもたちの好奇心は、大西さんの使う関西弁での注意に引きつけられていく。
 大西さんの笑顔の中に冷や汗が光って見える。
 これはまずいと思ったのか、すかさず所長先生が現場に介入してくる。子どもたちは、碁石で遊べないと分かると、今度は私のデジカメに好奇心を移したようだった。
 子どもの顔がドアップでファインダーに映ってくる。指先がレンズに忍び寄ってくる。とうとう最後には、私のデジカメのレンズに指をこすりつける子どもまで現れた。
 私は思わず「S・O・S」と悲鳴を上げた。
「もう、あんたたち、止めなさい」
 現場に急接近した所長先生の声が響く。サンダーバード一号のお出ましだ。潜水艦を追撃する駆逐艦のようにも見える。
 さすがの篠塚くんもこの騒々しさに気が付いたのか、次に撮影する予定となっていた「いんのしま」の文字の乗った碁盤をすぐ準備するように私達スタッフに要請した。その後で篠塚くんは、私達の用意した碁盤をコンテナの上に載せると、私を呼び寄せてこう告げた。
「悪いんじゃけど、最後の・いごこち いいまち・を・いごこち いいとこ・に代えさせてもらったんじゃけど。・まち・って言ったら、市町村の町みたいな感じになるかなと思ったんで。・とこ・なら土地を表す言葉なのでいいかなと」
 私は、正直、ちょっとムッとした。
 私の考えた「まち」とは、「市」という漢字を含んだうえで「まち」と読ませる。また、「まち」とは、人の集まる場所を示す言葉なので、このコピーに「まち」を使っても支障はないはずなのだ。それに、「machi」とした場合、前の「いごこち」と語感が音でつながるので響きも違ってくる。
 私はその旨を篠塚くんに伝えた。彼はちょっと困ったような表情を浮かべ、
「ボクはこっちのほうで」と言いながらすがりつくような目で私を見る。
 私は、これが自分の企画したものだったら、絶対に妥協しなかったはずだ。しかし、ディレクターは篠塚くん。もし私が篠塚くんの立場だったら、同じように困った目をしたはずだと私は思った。
 結局、私の作ったキャッチコピーは一部変形させられてしまったものの、秀策の碑の前での撮影は無事に終了した。篠塚くんは満足そうに、次の現場となっている秀策記念館へと向かった。
 篠塚 誠一郎、恐るべし、である。

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